「ビル?」 とリンダは立ち止まって声をかけた。
「はい、奥様」 と男は顔を上げずに返事した。
リンダはビルの不思議な行動を理解できなかった。こんなふうに自分のことを呼び、顔すら上げないとは。まるで、昔からの知り合いではなく、何か、従順な召使いのよう。
「大丈夫?」
「大丈夫だよな、ビル?」 ジェイムズが口をはさんだ。
「はい、ご主人様。はい、奥様。私めは大丈夫でございます」
「よろしい。仕事を続けろ」 と言い残し、ジェイムズはリンダを階段の方へとせかすように連れていった。
階下に降りると、リンダとジェイムズは、前に二人で座っていたところと同じソファに座り、背の高いグラスに注いだミネラル・ウォータを一緒に飲んだ。二人は身体を寄せ合って座っていた。リンダは手を彼の脚の上に乗せ、ジェイムズは我が物であるかのように彼女の肩に腕を回していた。
「今夜が終わってしまうのが、とても嫌だわ」
「心配するな。また、何度でも会えるから。約束する」
「もうすでに待てない気持ちなのよ。うふふ… ねえ、あなたを私の家に連れ帰ることはできないの?」
「俺も、もう何時間かお前のカラダを楽しみたい気持ちはありありなんだが、それはもうちょっと待った方がいいだろうな。お前の旦那が外の輪の中にいて、もう2時間になる。旦那は、気が狂いそうになってるはずだぜ」
ああ、私の夫! リンダはほとんど忘れていた。夫は、このことをどう思うかしら? 今夜ばかりでなく、これからの夜も、どう思うかしら?
「ああ、私の夫ね… そろそろ彼を助けだして、家に連れ帰った方が良いみたい。冷静でいてくれたらいいんだけど…」
「まあ、大丈夫だと俺は思うぜ。最終的には、旦那は、これに乗り気にさえなるはずだ」
「本当にそう思うの?」
「ほとんど、保障してもいいぜ… 旦那を見て俺が分かったことがある。お前の旦那は、黒ネトラレ、そのものの顔をしてる」
「まあ! 何てすごい表現! 黒ネトラレだなんて。でも、夫はそういう言い方されても興奮しないように思うけど…」
「旦那は、今夜のことについて、興味津々になるはずだし、聞いたら興奮するはずだぜ。お前は何もかも話してやるといい。旦那は、自分の目で見ることができず、ただ、話しを聞かされるだけで、欲求不満になるはずだ」
「そうなの?」
「ああ、そうとも。何もかも話してやれ。ゆっくりとな。焦らしてやるんだ。それであいつが興奮しなかったら、俺は逆立ちして町を歩いてもいいぜ。旦那は、分からなかった部分は想像で補うことになるだろう。だが、旦那にはセックスをさせてやらないのが肝心だ。ともかく、今夜はだめだ」
「うふふ… それについては心配しないで。しばらくの間、あそこがひりひりしてダメだと思うから。でも、このひりひり感がとっても素敵なの。こんな経験、初めてだわ。それに、あんなすごいオーガズムも初めて。絶対、私、一回は気絶していたと思うのよ。そして、どう思ったか分かる?」
「どう思ったんだ?」
「何年もの間、私から幸せを奪っていたブルースのことを憎らしく感じてる自分に気づいたのよ。もちろん、ブルースが悪いことをしたわけじゃないのは分かっていても、自分の幸せが台無しにされた感じなの。ねえ、次のパーティはいつなの?」
「2週間後だ。ブルースに、またここに来るよう説得する時間がたんまりあるということだ。まあ、それは難しいことじゃないと思うけどな」
「その通りだといいなあ…」
「大丈夫だ。分かるか? 黒ネトラレになった旦那の場合、お前にとっても副作用的な良いことがあるんだぜ?」
「何?」
「こういうことが続き、旦那がそれを受け入れ、自分の卑小な役割を自覚する時間が長くなれば長くなるほど、何というか、旦那は別のやり方でお前を喜ばそうとするということさ。夫婦の間の力のバランスは、確実に、お前に有利な方向へ変わっていく」
「何だか、そういう表現、とても良い感じがするわ」 とリンダは邪悪っぽい笑みを浮かべた。 「…そうなったら、ずっと楽にいろんなことを進められそう」
「お前は驚くはずだ。おそらく、ブルースからは、あいつが今夜、あの輪の中で聞かされたことを、たくさん教えてもらえるだろう。あの輪の中の旦那どもはびっくりするほど噂好きなんだ。お前もびっくりするぜ」
「ふーん… 興味津々だわ…」
「連中は俺たちのことを『ご主人様』とか『奥様』と呼ぶ。このクラブではそういう決まりになってるからな。だが、そう長くかからないうちに、連中にとっては、そういうふうに呼ぶのが自然に思えるようになるんだよ。すぐに、本気でそう呼ぶようになる」
「信じられない」
「お前はすでに内側に入ったし、ブルースは外側で、中を覗き込むだけになってる。旦那はお前をうらやましく思うはずだ。それに、性的にはもうお前の相手はできないと観念するはずだ。となると、別の方法で実に従順になろうとするんだ。そうなったら、お前は、好き放題に旦那の好意につけ込めばいいのさ」
「そうなの… ブルースの場合もその通りになるか見るのが楽しみだわ」
「お前の友達のサラと話しをするといいぜ。サラの旦那のビルは、もうすでに、家では食器洗いや、洗濯、掃除をやってるんだ」
「冗談でしょ!」
「いや、ほんとさ。もっと面白い話しを知ってるぜ。だが、ともかく、お前自身で分かるのが一番だな。旦那が黒ネトラレ状態に甘んじるように変わったら、夫婦生活でどんな可能性が生まれてくるか、自分で知るのが一番だ」
「ああ、もうそろそろ、旦那を助けに行った方がいいみたい。旦那って言い方、何だか、気に入ってきちゃったわ。ねえ、2週間後も私と会ってくれる?」
「ああ、いいとも」
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