その時、イサベラは恐怖にひきつって目を見開いた。のしかかる父の背後にレオンがそびえ立ったからだ。怒りに満ちた恐ろしい形相をしている。
レオンは、もぎ取るように父の身体をイサベラから離し、ベッドから突き落とした。父はよろめき、床に尻もちをついた。こんなにも長い間、求め続けてきたイサベラの身体から、よくもわしを離したなと見上げ、その瞬間、信じられんと言わんばかりの恐怖の表情を顔に浮かべた。
「ドゥ・アンジェ!」
「この腐った卑劣漢が! こともあろうに自分の娘を!」 レオンは険しい顔で怒鳴り、床にすくむ父に突進した。
「この女は淫乱なのだ」 父はしゃがれ声で答えた。ドアへと後ずさりながら、レオンから目を離さない。「わしの城に来たその日に、すぐに股を広げて、わしにやってくれとねだるものでな」
その瞬間、レオンが父に飛びかかり、二人ともども床に倒れ込んだ。
イサベラは、二人の男が床のうえ、もがきあい、格闘するのをかろうじて見続けた。衛兵に、この音が聞こえないようにと必死に祈りながら。彼女は、父親が、彼女の悲鳴を聞かれて噂話を広めるかもしれないと、衛兵たちを城外に送り出していたことを知らなかった。
イサベラは、父がブーツの中から何かを出そうとしているのを見て、レオンに叫んだ。父は身体を反転させ、レオンにのしかかり、彼の胸に短剣を突き降ろした。レオンは両手で父の手首をつかみ、かろうじて剣を受け止める。首に腱の筋が浮き出ていた。
イサベラは、震えながらも近くにあった重々しい銀の燭台を手にし、二人のところに近づいた。燭台を振りかざし、息を止め、一気にそれを父の後頭部に打ちおろした。ずしんと鈍い衝撃が腕を伝わるのを感じた。
父はイサベラの攻撃に唸り声をあげ、振り返った。手を伸ばし、イサベラの破れかけたガウンを掴みかかろうとした。だがイサベラは身をかわし、同時に固い銀の道具を全力で振りまわした。
その一撃は父のこめかみを強打した。父は一瞬、驚いた表情を浮かべたかと思うと、横にばったりと倒れた。短剣がかちゃっと音を立てて床に落ちた。
レオンは、ぐったりとなった父の身体を押しのけ、立ち上がった。そして、今にも倒れそうにふらついているイサベラの身体を受け止め、しっかりと抱き寄せた。
「死んだの?」
イサベラはレオンの広い胸板に顔を埋めながら呟いた。手にしていた血糊がついた燭台を石の床に落とし、両腕を彼の腰へ絡め、抱きついた。
レオンは抱き寄せる腕に力を込めながら、彼女の額にキスをした。
「死んだ」
イサベラは、事実そのものというような彼の声の調子に身体を震わせた。だが、あの怪物がようやく死んだことに安堵を感じたのも事実だった。
「なぜ、こいつの邪心のことを俺に言わなかったのだ?」
レオンはイサベラを軽くゆすって、尋ねた。胸に顔を埋めるイサベラのあごに指を当て、顔を上げさせた。燃えるような金色の瞳でイサベラを見つめる。
「なぜだ、イサベラ!」
「一度もお聞きにならなかったから…」 と、イサベラは小さな声で答えた。そしてレオンの腕から辛そうに逃れ、彼の胸を押して囁いた。「行って! …あなたがここにいるのを衛兵に見つかったら、殺されてしまうわ」
イサベラはレオンに目を向けることができなかった。再び自分の元から離れて行くレオンを見るなんて、心臓が張り裂けそうになる。父が死んだ今となっては、今後、二度とレオンとは逢えないだろう。
イサベラはレオンに背中を向けた。父があつらえた破れたガウンを脱ぎ、汚れたものを見るように、床に捨てた。
「俺と一緒に来てくれ。衛兵たちから俺を守ってくれないか?」
レオンは落ち着いた声で尋ねた。イサベラは驚いて動きを止めた。
どうしてそんなことを訊くの? 私があなたのことをどう思ってるか知らないの?
レオンはイサベラの返事を待ち続けた。長い沈黙が続いた。
突然、レオンは大股でイサベラに近寄り、両腕で彼女を抱え上げた。彼女の悲鳴も気にせず、肩の上に抱え上げた。そしてイサベラの尻をぴしゃりと叩いた。
「言うことを聞かぬと、今度はもっと強く叩くぞ! その必要を感じたら、いつでもお前から返事を引き出してみせる」