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デス・バイ・ファッキング 第11章 (6) 

アンドリューの話:IAM 僕は僕(IAM what I am)

僕は、この「次世代」関係の不思議な話し全体の背後には、「人類向上機構IAM」という謎の組織が立ちはだかっていると思うようになっていた。ディアドラとドニーによると、その組織は可能な限り双子家族を支援してきたが、今は資金不足になっているという。この組織について、これまでの歴史は分かっている。だが、現在の状態はどうなっているのだろう?

それに、ディアドラたちは、年に一回、IAMからガリ版刷りの報告書を受け取っていると言っていた。その報告書には、その年に生まれた双子の数、それまでの誕生数の総計、それに現在生存している双子の数といった統計が記されているという。僕は、このような組織がガリ版刷りで報告書を送るなんて、少し変だと思わないかと訊いたが、彼女たちはそんなこと考えたこともなかったと言っていた。

年一回発行のIAMのニューズレターにはジョージア州の住所が載っていた。ステーツボロ(参考)とかいう町だった。この町が、人類の次の大いなる希望の町になるのだとして、その未来の要塞に一度行ってみるべきだ。と、そう僕たちは心を決めた。

シンシナティからステーツボロまで、おおよそ1150キロはある。これはかなりの長旅になる。白状すれば、目を疑うような美人二人と一緒に同じ車に乗っていくのでなかったら、気が狂うほど退屈してしまったことだろうと思う。だが、実際には丸二日間、僕はずっと興奮し続けた時間を過ごしたのだった。

初日は、州間高速道路75号線を800キロほど走り、アトランタの近くで一泊した。そこに着くまでに、僕はすっかり興奮しきっていたので、着いたとたん、僕の美しい妻二人に対して、まるで猿のようにセックスせざるを得なかった。どうしてそんなに興奮してしまったかというと、二人ともあの車の中、ただ座っていて、ちょっとだけ身体を動かしていただけだったのだが、ちょっと脚を見せたり、チラリと胸元を見せたりしていたのだった。そして、そんなことをされると、僕の方は、すぐに本能的にそのスカートの中を見上げたり、胸の谷間を覗きこんだりしようとしてしまうのだった。

ちえっ、僕は二人の夫なのに! 普通なら、見えてもいないのに、覗くだけで興奮するなんてありえないと思うだろう。だが、僕は興奮してしまうのだ。二人はそれを知ってて、僕をからかっているんだ。二人とも、僕を気が狂わんばかりにしていると知って、ある種の倒錯した快感を感じているのだろう。僕個人としては、そんなに面白くは思っていないのに。

ともあれ、僕たちは、アメリカ的な風景にポツリポツリと点在する、よくある宿のひとつに泊った。そのようなホテルはすべてありきたりで全部同じだ。

かつてはこのアメリカという国にも、旧街道に入るとその土地その土地の特徴が見られた時代があった。マクドナルドとかバーガーキングとかタコベル(参考)とかケンタッキー・フライドチキンとかが出てくる前の話し。ウォルマートとかKマート(参考)とかの前の話し。
コンフォート・インとかハンプトン・インとかスリープ・インとか、連中が考えつくような、それから派生したあらゆる他の「イン」のついた名前のホテルが出てくる前の話しだ。連中は次から次へと新しい名前を考えつくが、結局は、どれも同じつまらないホテルになってしまう。

かつては、オハイオとかペンシルバニアの小さな田舎町を車で行けば、それなりのものを見ることができたと思う。例えば、町の中心にあるスクエア広場。地元民が経営する様々な小さいけれども素敵な店が並び、それがメイン・ストリートとなっていた。それに、家族で40年ほども経営を続けているという風変りな小レストランもあったものだ。

だが、その後、大きなチェーン店が進出してきた。そいつらは地価が安く、駐車スペースが豊富な町の郊外にモールを建てた。モールがそぐわない場所となると、それに代わって、あの忌々しいショッピング・センターを建てた。そうやってファースト・フードのチェーン店を引き込んだ。一方、お金持ちの上流な人々について言えば、彼らはそれなりの上流なフード・チェーン店を引き込み、オレゴン州ポートランドでも、メイン州ポートランドでも同じつまらないディナーが食べられるようにしたのだった。

そういう連中は、地元のパパ・ママ・ストアより安い値段で商品や食べ物を提供し、そういう地元の店が商売をやっていけなくなるまで、それを続けた。そうすることにより、アメリカの小都市から魂をもぎり奪ったのだった。今や、アメリカのほとんどすべての小都市では、かつて衣類を売っていた店やレストランがあった町の中心部は、空き店舗か慈善活動をする各組織の事務所になっている。それに、各地の小都市に対する利便を高めるために作られた高速道路は、意に反して、人々がそんな小都市をまるっきり無視して通り過ぎることを容易にする結果しか生まなかった。

僕たちは、アメリカの荒廃化と画一化を目の当たりにしているところなのだ。確かに僕自身は、各地方で物や風景が同じになることをそんなに気にしているわけではない。だけど、基準がこんなに低い理由はいったい何なのだろうか? どうして、これほどまで低い一般水準がアメリカ的となっているのだろうか? 同じものにするにしても、低きに合わせるのはどうしてなのだ? かつてはあれほど偉大で、あれほど多様性にあふれ、あれほど独創的だったこの国に、一体、何が起きてしまったんだろう?

翌日の朝、僕はホテルのベッドから出る気になれなかった。出ても、自分がジョージア州にいるのかミシガン州にいるのか区別ができないだろうと思ったからだ。同じものなんか、嫌いだ。同じものなんか、くたばっちまえ、だ。


[2011/04/28] 本家掲載済み作品 | トラックバック(-) | CM(0)

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