「誰でも心の中ではいろんな欲望があるものなのよ。例えば、あなたが誰かに腹を立てたとして、その時、どんなことをしたいと感じるか、自分で考えてみるといいわ……」
私は黙っていた。
「…どう? 分かるんじゃない? 誰でも心の中で怒りまくることがあるものよ。でも、ちゃんとした人は、そういうときでも、自分を抑えることができるの。どうしてそれができるか分かる?…」
私はまた返事をしなかった。ただダイアンを見つめていただけ。
「…そういう人には、もっと重要な別の欲望があるからよ。例えば、公正に振舞いたいとか…」
「…リチャードも、心の中では何か変なことをしたいという欲望を感じてるかもしれないわ。でも、彼がちゃんとした人なら、あなたが私に言ったように、それは確かだと思うけど、もしそうなら、そんな欲望は、彼にとっては、そんなに重要ではないはず。むしろ、あなたとの関係を正しくしておきたいという欲望の方が強いはず」
「でも、リチャードがそういう欲望を持っていると知っちゃうと…」
「だから、こういう誘いに乗るべきじゃなかったんだわ、私。催眠術なんて…。できてもすべきじゃなかったの。もう二度とダメ。それに聞いて、そういう欲望って、そんなに変なことじゃないのよ。そういう欲望を持ってる男はたくさんいるわ」
またダイアンは間をおいて、私にしゃべらせようとした。でも、私は黙っていた。頭の中で疑問が渦を巻いていた。女に鞭を振いたい男はたくさんいるって…?
「…それにそれを望む女も同じくたくさんいるの。ただの欲望なの。実際、それをしてるカップルも多いの」
「でも、それって病的よ!」
「普通だわ」
「女に鞭を使う男が普通ですって?」
「誰も傷つけないなら、そうよ! そういうことを楽しみのためにしてるカップルもいるの。寝室で」
私はダイアンを見つめた。「どうして、あなたにそれが分かるの?」
「そうだからよ。誰も傷つけていないわ」
「でも、あの女性、あんなふうになって…。あの人、助けを求めていたわ!」
「もし、本気で助けを求めていたとしたら、それは彼女が危険を感じたからでしょう。でも、安全だと分かってる女だったら、自分から進んで、楽しみのためにそれをすることもあり得るのよ」
「楽しみって!」
「その通り、楽しみよ! 欲望に身を任せること。男が安全だと感じられるなら、ちゃんとした人だと分かるなら、女はそれをして喜べる…」
私はまだ理解できなかった。まるで世界がひっくり返ってしまったみたいだった。どうしてダイアンはリチャードの肩を持つの?
「普通の女が、鞭で打たれ、恥辱を味わわされるのを許す。あなたはそう言ってるのね?」
「自分の意思でそうされるときに限りね。一種のゲームをしてるのよ」
私は彼女を見つめ続けた。
「ルールを作ってしてるの。ふたりともその気であるときに寝室でのみ行うとか、女はいつでも中止することができるとか…」
私は黙り続けた。
「…ふたりとも快感を感じられる場合にのみ、続けられるとか」
「女が、恥ずかしい目にあわされて喜ぶ、って? そんな…」
「現実にではないわよ。でも、全体的に見て、現実にはそんなことを望んでいない場合でも、女の人の中には、そういう欲望に身を任せたいと思う人がいるものなの」
私は間を置き、そしてようやく口を開いた。「そんな人いない」
「いいえ、いるわ」
「どうしてそれが分かるの?」
今度はダイアンが口をつぐんだ。何か考えている様子だった。
「…私は催眠術師だから。人の心についていろいろ知ってるから。それに私、人の心を読むし…」
「あなた、もしかして…」 と、私は言いかけたが、最後まで言わなかった。
その日の夜、ベッドに横になりながら、私の頭の中にはまだいろいろなことが渦巻いていた。リチャードが言ったこと! ダイアンが言ったこと!
私はリチャードとの関係を修復しようと努力したのは事実。でも、うまくいかなかった。あのことについて彼には一度も話さなかった。だけど、彼と一緒にいるといつもあのことが心の中に浮かんできて、消し去れなかった。いつも嫌悪感と恥ずかしさの両方を感じた。それは耐えきれなかった。結局、リチャードとは別れた。彼はどうしてそうなったのかはっきり分からなかったと思う。
それから1年ほどしたころ、とあるレストランから彼が出てくるところを見かけた。彼はダイアンの腰に腕をまわしていた。
おわり