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デス・バイ・ファッキング 第12章 (4) 

もし、この子たちのテレエンパシー能力が、受精時にディ・ディと僕が互いのDNAを混ぜ合ったその混ぜ方に関係した発生上の性質だとしたら? その場合、ドニーと僕のDNAが同じ混ぜ方で混ざり合う確率はどのくらいだろうか? それは、あまり高くない。そう思う。

ひょっとすると、この能力は、必ず遺伝的に引き継がれる性質となのかもしれない。そんなこと考えたことない? (チッ! 分かる人には分かると思うけど、僕の言い方が彼女たちにだんだん似てきてしまっている) ディアドラの体内で成長している僕と彼女の遺伝子の組み合わせが何であれ、もし、その組み合わせが、僕たちの遺伝子群が組み合わさった場合の必然的結果であるとしたら? 自然の何らかの偶然とか、何らかの逸脱とか、何らかの突然変異などではなく、僕と彼女の遺伝子が混じると必然的に組み合わせが決定し、その組み合わせによってテレエンパシー能力が発現するとしたら?

そうなら、多くの疑問に答えが出る。確かに、解決するものよりももっと多く疑問を提起してしまうが、以前から僕の心に引っかかっていた問題のいくつかに解答を与えてくれるものだ。いちばん大きな問題は、僕は生れてくる子供たちを区別できるだろうかということだが。

ああ、確かに、これはずっと僕を悩ませてきた問題だ。でも何も特別なことはしないつもりだ。ディ・ディとドニーについても、片方にはない吹き出物を、もう片方にあるのを見つけたことは一度もない。僕の目には、ふたりとも、染み一つない肌をしてるようにしか見えないから。

彼女たちの人生で、これまで誰一人、二人を区別できた人はいなかった。彼女たちの両親ですら区別できなかった。親なのに双子の子を区別できない。これはどれだけ辛いことだろう? 

だが、僕にはディ・ディとドニーを区別できるのだ。何も考えずに、二人を区別できる。それはどうしてなのだろう? 僕たちは、エンパシー(共感)の種を共有しているのではないか? ただ、その種はあまりにも深く身体に染み込んでいるので、存在していることすら気づかずにいるのでは? これが答えではないか?

そして、その共感の種は、僕たちの子孫の体内ではさらにより多くの共感能力に育つようにセットされているのではないか? つまり、ただのエンパシー(共感)からテレエンパシー(遠隔共感)のレベルにまで育つようになっているのではないか? これは興味深い能力発達だ。発達と言えると仮定しての話しだが。IAMは知性を高めた人類を求めて活動をしているのかもしれないが、その頂点として遠隔共感にたどり着くことになるのかもしれない。我ながら自慢できる推論じゃないか?

もちろん、これは単に僕の頭の中で考えている理論にすぎない。おい待てよ、僕はまだディ・ディの子供とたった一回だけの経験しかしてないじゃないか。自分が正気かどうかもまだはっきりさせていないし。

ともあれ、あれが最初のテストとなるだろう。その後、ドニーが身ごもっている子供たちについても同じことを感じるか見てみることにしよう。まあ、同じことを感じたとしても、僕が正気だと分かることにはならないだろうな。むしろ、やっぱり僕は狂っていると考えるべきだろうが。

今はすべきことは一つある。ディ・ディに約束していたオーガズムを感じさせてあげることだ。その後のことは、もう少し待たなければならない。


[2011/08/03] 本家掲載済み作品 | トラックバック(-) | CM(0)

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