朝になりノボルは目を覚ました。頭がぼんやりし、身体もぐったりしている。起き上がろうとしたが、身体に力が入らない。枕から頭を上げるのがやっとだった。
枕だと? 俺はどこにいるんだ?
視界がはっきりしてくるのに合わせ、頭を横に向けてみた。そして、そばに若い女が眠っているのを見た。毬のように身体を丸めて眠っている。この寝台は、この女のものなのだろう。
自分の置かれている状況に不安になり、ノボルは気を失う前に起きたことを思い出そうとした。最後に覚えていることは、彼の乗った偵察船が海に乗り出したこと、そして、その数分後に嵐に遭遇したこと。俺は岸に打ち上げられ、ここに入る娘に見つけてもらったのだろうか。
体中が痛んだ。そして、突然、自分が衣類を着ていないことに気がついた。だが、充分すぎる掛け布が身体に掛けられているのは、ありがたい。それにしても、わが身に降りかかった様々なことを思うと、気が落ちつかなると言っても言い足りない。この娘が着ているものを見ると、自分は朝鮮にいるのだろう。
思案を続けるノボルだったが、娘が目覚めたのを見て、唐突にもの思いを中断した。
不思議だった。娘は何も言わず、身じろぎもせず、黙ったまま、何分かノボルを観察していた。じっと目を見つめている。
ノボルはどうしてよいか分からず、ぼんやりと同じように見つめ返していた。娘は、20代前半とまではいかずとも10代後半のようだ。頬にそばかすがあるのを見て、ノボルはいささか驚いた。
ようやく娘は口を開き、何ごとかしゃべったが、ノボルには一言も理解できなかった。彼女は、ノボルの顔に浮かんだ問いたげな表情から察したのだろう、自分自身を指差して「ジウン」と言った。さらに数回、自分の胸を叩き、「ジウン」と繰り返した。
ノボルは、喉を渇かせつつ、かすれ声ながらも「ノボル」と声を出した。
娘は、うんうんと頷いた後、さっと立ちあがり、部屋の隅へと走り、何かを探し、戻ってきた。手には紙と硯を持っていた。
見るからに高品質な紙と高級そうなの硯で、それを見てノボルは驚いた。娘は硯に水を加えながら、墨を擦りつけている。そして、筆を取り、何かを書き始めた。それが漢字であるのに気づき、ノボルは驚いた。
華麗な筆遣いで、娘は「大」の字を書き、期待している顔で彼の顔を見た。ノボルは何を期待されているのか分からぬものの、両手を大きく広げ、大きなものを表して見せた。
娘は、それを見て、再びうんうんと頷き、また、別の文字を書き始めた。今度は「嵐」の文字である。それを見て、ノボルが家の外を指さすと、娘は嬉しそうに声に出して笑った。
ノボルは娘がどうして笑ったのか分からなかったが、その明るい笑い声は嬉しく、彼自身もお返しに笑顔を見せた。
彼は少しお辞儀をしながら、娘の持っている筆を指差した。ジウンは彼が筆を求めているのを理解し、筆を手渡した。そして、彼が「国」の字を書くのを見た。
「ここがどの国か知りたいのね」 とジウンは声に出し、ノボルの顔を見た。そして筆を取り、「高い」と「王国」を表す漢字を書いた。朝鮮を意味する漢字ふた文字である。ジウンは男が理解したと頷くのを見た。
ジウンは、男と意思を通じ合わせる方法を見つけ、喜んだものの、もうすぐ紙がなくなってしまうのに気づき、心配になった。男は、彼女の懸念を察知したのか、ちょっと思案に没頭した後、ジウンに衣類を渡すよう頼んだ。下ばきに脚を通し、彼はためらいがちに立ちあがった。
ノボルは、今にも気を失いそうになったが、ジウンが素早く立ちあがり、助けに入った。それでもノボルは頭を軽く振りながら、ジウンに家の中にとどまるよう身振りで示し、引き戸を開けて、家の外に出た。
よろよろと浜辺に出て、辺りを見回したノボルは、大きく平らな岩を見つけ、それを抱えて、家に戻った。
ノボルはジウンに、何か飲むような身ぶりを示した。それを受けてジウンは椀に水を入れて持ってきた。ノボルは、さっきとは別の筆をその水に浸し、岩に文字を書き始めた。水のおかげで岩の表面が黒ずみ、やがて乾いて消えた。だが消えるまでの時間で、文字を読み取ることはできる。ジウンは、書かれた文字が「石」の字であるのを読み取った。そして、顔を上げ、この賢い男に笑顔を見せた。その笑顔を見て、ノボルは心が温まるのを感じた。