ジウンの泣き叫ぶ声はやがて、すすり泣きに変わり、最後には声がしなくなった。それを聞きながら、ノボルは吐きそうになるのを必死にこらえた。嫌々ながらも目を開け、ノボルは砂浜にぐったりと横たわるジウンの姿を見た。その身体は兵士たちに汚されていた。目に涙をあふれさせながら、ノボルは囁いた。
「俺を許してくれ。こんな形で報おうなど思ってもいなかった…」
あたかも彼の言葉を聞いたかのように、ジウンは泣きはらした目を片方だけ開け、ノボルを見た。
次の瞬間、ノボルは心臓が喉から飛び出しそうになるのを感じた。ジウンが袖の中から小さなものを出し、最後の力を振り絞って、自身の首に当てたのを見たのだった。
「うおーッ!」
ノボルはジウンが自らの喉を掻き切ったのを知り、咆哮した。ジウンは自分の血が砂に溜まっていくのを見ていた。
「ジウン…」
ノボルはがっくりとうなだれ、悲しみに崩れ落ちた。
「まあ、これはこれまでと」 三郎がしらけ顔で言った。「おい、船はまだか?」
ノボルはひざまずいたまま、地面を見つめていた。弟に対する、深い燃えるような憎しみが心の中に溢れていた。
「三郎、お前はこのことに対してたっぷり報いをうけることになるだろう」
「あんな、つまらん女なのにか? 勘弁してくれよ」 三郎は船を捜して水平線を見ながら言った。
「あの娘のことを、よくもそんなふうに! もし自由だったら、今すぐ、お前を殺しているところだ。身内だからとて、構わん!」
三郎はノボルにうんざりした顔を見せた。
「まだ、つべこべ言うようなら、兄上を黙らすほかなさそうだな」
三郎は刀を出し、自分の兄の顔を一打した。そして、ノボルは、思考に黒い布が被せられたように意識を失った。
三日後、ノボルは、殿の前にひざまずいていた。殿の好みの居城にて、目を伏せながら、正座していた。座るノボルの周りを、豊臣秀吉が、無言のままぐるぐると円を描いて歩いていた。その二人の周りには秀吉が従えている大名たちが取り囲んでいた。その大名たちの中に若き徳川家康がいた。猫のような鋭い目で秀吉を見ている。
しばらくぐるぐる回っていた秀吉だったが、その動きを止め、両手を背中にまわした。
「ナガモリ、わしはこの知らせを聞いて、いたく落胆しておるのだぞ。お前は、高貴な家系の出の侍だというのに、自分の部下を殺すとは。しかも、何年もせぬうちに我らのものとなる国の浜辺で、わけのわからぬ土着民を助けるためだと言うではないか」
ノボルは何も言わず、じっと床に目を落としたままだった。
「自由に口を聞いてもかまわぬぞ」 と秀吉は譲歩した。
「殿、私も同様に落胆しております」 とノボルは静かな口調で答えた。「武士道によれば、その決まりごとに従う武士たるもの、名誉と奉仕の人生を送るべきと定められております。朝鮮を侵略することに何ら名誉はございません。あるのは自己満足のみでございます」
秀吉は一瞬、怒りに目を燃え上がらせたが、すぐに平静を取り戻した。
「ということは、お前は、わしの大陸への侵攻計画に反対ということだな」 と秀吉は落ち着いた声で訊いた。
「その通りでございます、殿」
ノボルの静かな反抗は秀吉の神経に触った。「そして、ナガモリ、わしはお前をどうしたらよいと思うかな? 言ってみい」
「私は切腹をいたしたく存じます。さすれば、私は、殿のそばで棘となることもなくなるでしょう」
秀吉は、声を落ち着かせるため最大の自制心を使いつつ、吐き捨てるように言った。
「お前には、そのような名誉は相応しくない。お前にはもっと良い処罰を考えておる。それは、ずっと生き続けてもらうことになるだろう。ずっと、ずっと長くだ」
それを聞いて、ノボルは恐れのあまり顔を上げ、秀吉を見た。だが、すぐに背中を打たれ、床に伏せた。
「分際を知れ、ナガモリ。わしの許可なくして、わしの顔を見ようとするとは、何ごとだ?」
秀吉は、部屋の外に控えていた衛兵を呼び、ノボルを部屋の外へ連れ出すよう命じた。そして部屋の奥にある小さな漆塗りの机の後ろ席へと戻った。秀吉は、すべての大名たちが彼が次に何をするかを見ようと待つ中、髭を擦りながら、何ごとか考えた。秀吉は大名たちには目もくれず、嬉しそうな口調で言った。
「直ちに兵を集めよ。いずれ、明皇帝をわしの部下にすることになるとすれば、大勢の兵士が必要となるからな」