ここでその体位でする? それは私には不慣れなことだった。確かにそれまで何度もアンジーに後ろから犯されたことがあったし、この4カ月ほどは週に5、6回は、その体位でされていたけど、リビング・ルームでするというのは珍しかった。テレビがある部屋でテレビを見ながらされたことは会ったけど、性行為をするのは寝室に限定するのが普通だった。
でも、私は拒否するつもりはなかったし、それに拒否してもアンジーは許さないだろうという感じがあった。
私は後ろ向きになって、アンジーにお尻を突き出した。アンジーが私の背中に手を当てるのを感じた。
「いまのお前の姿、言い表せないほど可愛いわ。赤いパンティがこっちを向いてる。それに赤いストッキングと赤いガーター。お前はまさにこういう服装になるように生れたのだし、こういう格好で私に犯されるようにできてるようね」
アンジーは「犯される」という語を言うのに合わせて、私の中に突き入れてきた。舌で私のあそこを濡らすこともなければ、指でそこを広げてくれることもなかった。今回は、まったく前戯なしでディルドを突っ込んできたのだった。
痛みを感じたのはこの時が初めてだった。もっと言えば、それまで一度も痛みを感じたことがなかったのは運が良かっただけかもしれないと思った。
でも、この時はいきなり突っ込まれ、苦痛を感じた。鋭い痛みが走り、思わず、腰を引き、同時に甲高い悲鳴を上げた。
アンジーは、逃れようとする私の腰をがっちり押さえ、ぐいっと引き寄せ、ペニスを突き刺した。
「これは、淫乱娘のような振る舞いをした当然の報いよ」
アンジーは本格的に私を犯し始めた。最初、私にはまったく快感がなかった。私はこの乱暴な扱いに耐えるのが精いっぱいだったのに、アンジーはそれにお構いなく、下腹部を叩きつけるよう激しく私を犯し続けた。
でも、ゆっくりとではあったけど彼女のペニスが気持ちよくなってきて、やがて、アンジーにされるときにいつもそうであるように、快感のよがり声を上げるようになっていた。
私が悩ましい声を出し始めるとすぐに、アンジーは打ちこみにあわせて私の尻頬を平手打ちし始めた。突っ込まれると同時に、ピシャリとお尻を叩かれる。
これも、私にはそんなに興奮できる行為ではなかったけど、これすら、だんだん気持ちよくなってくるのを感じた。乱暴に犯されながら、お尻にビンタされること。自分がそれを実際に喜んでいるなんて、自分でも信じられなかった。
アンジーは私を犯しながら、ひどい言葉で私を呼んでいた。メス犬とか娼婦とか淫乱とか…。ペニスを突っ込みながら何度もフレンチ淫乱と叫んでいた。それにそれを言うたび、ピシャリとお尻を叩いていた。
アンジーはオーガズムに数回達していたと思う。これまでの経験から、アンジーが大きな悲鳴を上げ、次に電撃ショックを受けたように身体を震わす場合、オーガズムに達しているのだと私には分かっていた。彼女は私を犯しながら、そういう時が数回あったし、普段の時より、強烈なオーガズムのようだった。
そういうオーガズムが5回目を数えた時、アンジーはいきなり私から抜け出て、私の身体を押した。私は身体を押されて、バランスを失い、床に横寝になる形で倒れた。
私は、今度はアンジーが私を正常位の体位で犯そうとしてると思った。犯しながら私のペニスを擦り、私をイカせてくれると。少なくとも、それまでいつもそういう形で終わるのが普通だった。
でも、この時は、違った。
彼女はハイヒールにお尻を乗せるような姿勢で座っていて、身体を起こしていた。呼吸を整えているようだった。私も横になったまま呼吸が戻るのを待ち、アンジーを見上げていた。するとアンジーはディルドを握り、ひねるように曲げて、ストラップから外した。そして、そのディルドを私に投げつけて、言った。
「それ、洗ってきなさい。洗ったら持ってくるように。すぐにまた使うつもりだから」
アンジーが言ったことは本当だった。彼女はそのディルドをすぐまた使ったし、しかも何度も使ったのだった。
1時間ごとにベルが鳴る音を聞いたように思う。毎回、呼び出されるたびに私は口で奉仕するか、お尻を差し出さなければならなかった。口での奉仕の場合、二つあって、そのどちらかだった。ひとつは、ディルドを深飲みすることで、充分に喉が慣れ、ディープスロートにも耐えられるようになるまで続けられた。もうひとつは、舌で彼女のあそこを舐めることで、私の舌が疲れ切ってしまうか、彼女のクリトリスが敏感になりすぎるかのどちらかになるまで続けられた。
夕食の準備をするときも、途中3回も呼び出され奉仕を強制されたので、なかなか仕事が進まなかった。この日のアンジーは本当に貪欲だった。
たぶん皆さんは、私がベルの音を嫌いになったのではと思うかもしれない。でも、それは真実とは全然異なる。あの音が好きになっていたのである。あのベルが鳴るということは、アンジーが私を必要としてたり私を求めていることを意味しているのだ。まさに彼女が私を必要としてると思ってくれるからこそ、私はいっそうアンジーに愛を感じるのである。求められていると感じられることこそ、誰もが本当に求めていることだから。