地獄の第7段階が、最も気を重くさせ、悩ましい問題だ。ダイアナがあからさまに乱交的なライフスタイルを送っていることと、彼女が僕に愛情を表現してくれること、この二つの折り合いを僕の中でつけることが、僕にとっての地獄の第7段階だ。
ダイアナには複数のセックス・フレンドがいる。それを知りつつ、僕は彼女を信じるようになれるだろうか? 僕は、信頼していたスーザンに裏切られたのであるから、いっそう、そうなれる自信がない。
これは、結局のところ、誠実さと選択という二つの問題に帰着する。ダイアナは僕に対して本当に誠実だ。真正面から、ほとんど暴力的にと言ってもいいほど僕のことを誠実に愛してくれている。だが、その一方で、ダイアナは僕に選択肢を出してきてる。ありのままのダイアナをそのまま受け入れるか、さもなくば一切、縁を切るかのどちらかを選べと。だけど、ダイアナの方は僕を受け入れているのだろうか? 突然、チャンタルの言葉が脳裏に浮かんだ。
……ダイアナはセックスが好きなの…。でもそれは、単なるセックス。ことが愛のことになったら、ダイアナは、まさにハードコアのレスビアンと言えるわ。あの子はあなたにぞっこんなのよ!……
あのダニエルという男性とセックスした経験。あの時、女性の立場からの思考様式を経験し、その後、ダイアナが僕に辛辣な反応を見せるのをじかに経験したおかげで、チャンタルが正確に何を言っていたかを理解することができた。「ランス」という男性の立場だけだったら理解できなかっただろう。僕がダニエルにとって、あるいはおそらく他の男性にとっても魅力的な存在になっていたのは確かだ。
だが、そうだとすると、問題は誠実さと選択の問題ではなく、「信頼」の問題になるのかもしれない。自分自身が信頼できるかどうかの問題。ダイアナが他の誰かとセックスしても、結局は僕を、僕だけを愛することができるように、自分を魅力的な存在であると信ずることができるかどうかという問題だ。ダイアナとの関係がおざなりになることがあったとしても、それは、僕自身のちっぽけな不安感、自信のなさに原因があるのであって、ダイアナの不特定多数のセックス・パートナーのせいではないということになる。
そこまで考えたとき、突然、みぞおちあたりに冷たいものを感じた。自分はスーザンに対してもアンフェアなダブルスタンダードで捉えているのではないか?
思考がめぐりめぐって、再び、誠実さと選択の問題に戻ってきた。スーザンは、まさにダイアナと同じように、自分自身の性的欲望に関して誠実に振舞っていたのではないだろうか? だからこそ、浮気をしたのではないか? いや、これは全然違う。
スーザンは、つい1時間ほど前に、僕に選択肢を出した。だが、あれは単に言葉だけの選択肢であって、僕が無理やり言わせたからにすぎない。実際、ダイアナは、この事態を、こんなふうな言葉で予測していたではないか。
……それで、もし彼女が明日あなたのところにやってきて、私たちが今夜言ったことと同じことを言ったとしたら、どうするの? 話すのが遅れただけだとしたら?……
だけど、スーザンが言ったことは、僕とダイアナの会話での言葉とは同じでなかった。僕の前に表面だけは魅力的な姿で現れて、餌を垂らしてみせる。それに飛びつけば、彼女にとっては、「自由に出獄できるカード」となるだろう。離婚して悔恨するのは、僕の方で彼女の方ではないという方向に持っていこうとしてるのは明らかだった。スーザンは、ジェフ・スペンサーと会うのを止めることすら、一言もほのめかさなかった。一度だまされたなら、だました方が悪いが、二度だまされたら、だまされた方が悪い。ランスとしてであれ、リサとしてであれ、ちょっとでも、スーザンに改善する方法を示してやったら、スーザンはくるりと背を向け、僕と離婚し、僕をお払い箱に放り込む可能性が高いだろう。
ダイアナのように複数のセックス・パートナーが絡んでいる場合、エイズの問題が出てくるのは当然だが、それは適切に注意を払えば、対処できる問題だ。だが、不誠実さは対処しできない問題だ。あらゆる家庭で、信頼の欠如が厄病になっている。もう一度、スーザンを信頼できるだろうか? あり得ない、絶対に。ダイアナは信頼できるだろうか? 信頼というものは、時間をかけて獲得されなければならないものだ。でも、少なくとも、ダイアナは僕に対して誠実に振舞っているという実感はある。誠実さがあれば、時間さえかければ、やがて信頼を確立することができるはずだ。