「兄上、それが身内の者に対する挨拶ですか? 兄上は弟である私に怪我を負わせたのですぞ!」
サブローはひざまずき、ノボルの刀で身体を支えた。
「これは本当に美しい刀だ。チチウエ[Chichue]は、これを最初から私に譲るべきだったのに…。だが、この刀は、家名を受け継ぐ父上のひいきの息子の元にわたってしまった。ふん。あれほど愛した長男が時化の海で命を落としたと聞いて、もともと心臓が弱かった父上がどんなに悲しんだことか…」
サブローはわざと涙ぐんで見せながらそう言い、ノボルに近づいて、「その父上は、すでに亡くなりましたがね」と付け加えた。
父の死の知らせを聞き、ノボルの頬に涙が伝った。「お前が私をそんなに憎んでいたとは、知らなかった」
「それは父上も兄上も、あの武士道などという意味のないことを大事にしすぎたからですよ」
サブローはそう言い、ノボルの顔を地面から上げ、顎を手でつかみ、自分の目を正視させた。
「目を覚ますのです、お兄さん[Oni-san]! 名誉とか、家とか、忠誠心とか、そんなものこの世には何の意味もない。強く、冷酷な者こそがこの世を支配するのです。だからこそ秀吉様も朝鮮王朝を叩き潰すおつもりなのです。そして! そして、大陸にしっかりと土台を固めた後は、明の皇帝にご自分の意志に従わせる。あえて歯向かおうとする者は誰であれ、殺し、排除していくのです」
サブローはそう言いながら、嬉しそうに目を細めた。「そうなったら、素晴らしいじゃありませんか」
「サブロー、お前は気を病んでいる。哀れな…」 ノボルは弱くつぶやいた。
サブローは、自分の言葉にノボルが無関心でいることに腹を立て、ノボルの皮膚に刀を刺した。
「私が気を病んでいるだと? 兄上こそ、今は犬畜生でしょう! いや、その状態がお似合いですな。兄上はあのメス犬と交わるのがお好きなようだから」 とサブローは唾棄するように言った。「もっとも、毎晩やってくるあの妖術使いは…。ちくしょう! 時々、兄上が羨ましく思えてしまう!」
ノボルは刺された刀を呻きながら抜いたものの、平静を保ちつつ弟の目を見つめ、誓った。「サブロー、いつの日か、お前が行った悪事が自分自身の身に降りかかることになるだろう」
「あいにく、私はその仏教とやらの教えも信じていないのでね」 サブローはふんと嘲笑った。「それにしても、俺だけ、あの朝鮮女の身体を味わわなかったのが、返すがえすも残念だ。他の者たちは全員、あの女の身体を楽しんだと言うのに。たとえ畜生以下の女だとしても…」
ノボルは稲光の速さでサブローに突進し、サブローは仰向けに倒れた。彼は、倒れた衝撃で一時的に茫然としていたが、ノボルの鼻先が変形し、目の色も変わっているのを見て、恐怖に目をひきつらせた。
「サブロー! そのいつの日は、俺たちが思っていたより早く来たようだな」
怒りに満ちた遠吠えと共に、ノボルは弟の首を掴み、喉の前部を引きちぎった。サブローは自分が出した血で喉をつまらせ、息をしようと、妙な音を喉から鳴らした。
ノボルは自分の刀を握り、元の人間の姿に戻った後、牢から飛び出した。
秋の収穫期の月が空低くあり、夜の黒々とした海に大きな黄色い船が浮かんでいた。海が望める崖の近く、ノボルは、月光の中、狐使いの白い身体の輪郭を目にした。ノボルは、音を立てずに彼女の背後に忍び寄り、いきなり掴みかかり、前を向かせた。
狐使いは驚き、ノボルの青い瞳を見て、小さな悲鳴を上げた。
「明日はどうやら会えないようだな。いや、もっと言えば、もう二度と会うことはあるまい」
ノボルはそう唸り、脇刺しに手を伸ばし、一瞬のさばきで、女の首をはねた。
ノボルは、頭をなくした女の身体から着物を剥ぎ取り、女の血が地面に染み込むのを見ながら、その着物に身を包んだ。
ノボルは目を閉じ、ゆっくりと息を吐いた。冷たい夜風がそよいだ。外気に触れるのは、ほぼ1年半ぶりのことだった。そして海を見渡しながら、この海の反対側の土地にいる人々のことを考えた。
まだ、しなければならない仕事がある。