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総督の書斎にて、ノボルは総督が都からの手紙を読み終えるのを待っていた。そして、総督が深いため息をついて手紙を降ろすのを見て気を落とした。
手紙を渡されたノボルは文字を追い、驚きの声を発した。「これは何かの冗談では! どうして都の人々は総督の警告に目を開かないのでしょうか!」
「今後も同じことが続きそうだ」 とイ総督はうんざりした様子で答えた。「宮廷は、敵は弱いと思いこみさえすれば、実際に、敵は弱くなると。そう信じているのだよ」
ノボルは、こぶしを床に叩きつけ、怒りながら床を見つめた。「日本軍は何十万という兵を集め、艦隊を用意し、貴国の沿岸に侵入しようとしているのですよ! 1年も経たぬうちに、この国は荒廃してしまうでしょう!」
「私には、宮廷の許可がなければ、あまりできることがないのだよ」
イ総督は、すでにこれまで数えきれないほど、ソン・ジョ王(King Son-jo)を我慢の限界まで急き立ててきた経緯がある。それに、イ総督の長きにわたる宮廷での友人であるユ・ソン・リョン(Yu Song Ryong)大臣は、何度もイ総督の行動を王に対して弁護してきたことにより、政治生命を断たれてしまった。
ノボルは手紙を机に置き、絶望した面持ちで総督を見た。「これから、どうするおつもりですか?」
「できることだけをするつもりだ。侵略軍が到来したときに備えて、できるだけの準備をしておくこと。侵略した陸兵が国土の主になると言うのなら、私は海兵を指揮し、海の女王とし、侵略軍と日本との生命線を断つことで、撤退を余儀なくさせるつもりだ…」
総督は落ち着いた様子で、広げた手紙を巻き戻しながら続けた。「…私は、そう簡単にはこの国を降伏させないつもりだ。連中は真っ先に私を殺すだろうが、かなりてこずらせてやろうと思う」
ノボルは目の前に座るこの男に敬意を感じた。静かに決意を固め、落ち着いて座るこの男に。この男のそばにつこうと、この国の様々な地域からはるばる長い旅をして来る者が多いと聞く。ノボルはそのわけが分かる気がした。この男の民の幸せを考える、一本気な性格。これが、困窮に苦しむ朝鮮の百姓たちに希望を与えている。
「総督、あなたはなぜこんなことをするのですか? あなたはすでにあまりに多くのことを犠牲にし、あまりに多くの困難に耐えてきた。それは何のためにですか? あなたを羨む者たちに陰謀をしかけられ、罵倒され、家族からは引き離され、ご自分の腹をかろうじて満たす分しか食べ物を取らない。王や宮廷の者たちは宮殿で何の気兼ねなく飲み食い、享楽に明け暮れていると言うのに。いったい、どうしてですか?」
総督は片頬を歪め微笑んだ。
「ナガモリ様。名誉と奉公を尊ぶ人生では大きな代償が伴うことを、私ばかりかあなたも充分ご存じのはず。民のためなら、喜んで命を捧げたいのです」
ノボルはこの朝鮮の総督と奇妙な同族意識を感じた。
「総督、あなたと知り合う機会を得たこと、私の人生における大きな宝のひとつと存じます」
「それは、私も同じだ。ナガモリ様」
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