ノボルはウルドルモク[Uldolmok]海戦(鳴梁[めいりょう]海戦)のことを思い出し、微笑んだ。イ総督が無実の責で三道水軍統制使の役から降ろされ、投獄された後は、朝鮮水軍は、後任の無能なウォン・キュン[Won Kyun:元均]による指揮の元、ただ撃破されるのみだった。壊滅から逃れようと、悔恨した王朝はイ総督を再び三道水軍統制使に任用した。だが、深刻な打撃を受けた水軍では回復できた軍船はたった12隻にとどまった。このような逆境にもかかわらず、たった12隻のパネウクソン [paneukson:朝鮮水軍が用いていた平底の木船]を率いて、イ総督は一隻の損失も受けずに、日本水軍の全艦隊を打ち破った。彼が統率した23の海戦のうち、彼は一度も破れたことがない。彼が勝ち取った勝利は、伝説の話題となるだろうとノボルは確信した。彼の勇気と犠牲へのふさわしい賛辞となるだろうと。
「確かにその通りです。ですが、我々の安全にとって最も大きな脅威は、あなたのお国の人々によるものでは決してありません。むしろ我々自身の人々によるものです」 とクォン・ジュンは謎めいた返事をした。
クォンはノボルが理解してない様子を見て、説明した。「豊臣が我々の大地に侵略することができた理由は、腐敗し、自分のことばかり考える政府が、人々の安全と生活の向上よりも、自分たちのつまらぬ欲に関心を払っていることにあるのです。国を危機から守るには、トン・ジャエ・サー[Tong Jae Sah:水軍統制使総督] イ・スーン・シンほどの卓越した人間が必要だった。だが今は、総督はお亡くなりになってしまった。それに政府の腐敗しているという本質は、総督が生きていた時となんら変わりありません…」
クォンは木製の欄干にもたれかかり、遠い目をした。「…日本人以外の誰かが、再び我々の弱みに付け込み、利用しようとするのも時間の問題でしょう」
「あなたのおっしゃることが本当なら、総督は無駄に死んだことになってしまうではないですか!」 とノボルは顎を歪めながら叫んだ。「あれほどの戦士が無駄に命を落としたなど、私は思いたくありません!」
「いや、無駄というわけではないでしょう。総督は私たち民に伝説を与えてくれた。これからも決して忘れられることのない伝説です。ここの国民の心に今後何世紀にもわたって希望を与え続ける物語を残してくださったのです…」
クォン・ジュンはノボルを見て、悲しそうな笑みを浮かべた。「…総督は、あなたに会った最初からあなたのことを信頼していた。それに、ご自分のことをあなたの友人だと言っていつも自慢なさっておられた」
クォン・ジュンは決して容易く感情を露わにすることはしない。その点で彼は非常に日本人的なところがあった。その彼が心からノボルのことを認めるのを見て、ノボルは深く心を揺さぶられた。
ノボルは目から涙が溢れそうになるのを堪えた。「コ・マブ・ソ[Ko mabh so:ありがとう]。私があなたやあなたのお国の人々に手助けできることがあったら、声をかけてください」
クォン・ジュンは、それに返事をせず、一礼をし、その場を去った。ノボルはまた海に目をやり、この8年の間、親友であった人物が亡くなったことを思い、啜り泣いた。「総督、もし天国で私のジ・エウンに会うことがありましたら、是非、彼女にお伝えください。私が彼女の国の人々を守るためにできる限りのことをしたと。あなたの魂はようやく平穏を見出したことと願います。さらば、友よ」
ノボルは頭を下げ、頭頂のまげを刀で切り、波間へと投げ捨てた。そして陣営へと通じる階段を降りていった。