結局、この問題は倫理の問題に帰着する。僕の可愛い小人たちは、羊の群れたる人類にとっての、番犬なのだろうか、それとも狼なのだろうか? これが問題だ。この進化上の変化は、僕の子供たちの世界の見方にどのように関係するのだろうか? 同情とか憐れみとかは、法律で決められるものでもなく、学校教育によって教え込まれるものでもないと思う。むしろ家庭で育まれるものだろう。
子供たちに、僕たちの価値観を教えることができるかもしれないし、できないかもしれない。だけど、子供たちの脳が生まれつきどのように作動するようにできているかが、ホモ・サピエンスの未来に対する決定的要因になるだろう。育ちではなく、生まれつきの要因が大きいのだ。だとすると、僕たちにできることは、ただ、子供たちを愛し、子供たちも僕たちを愛してくれるだろうと期待する他には何もないと思われる。
子供たちは、インターネットを使っても、あらゆることについて自学自習することができるわけではない。大人が教えてあげる必要がある事実や概念が存在する。僕の可愛いアインシュタインたちであっても、すべてがすべて、本能的に知識獲得できるというわけではないのだ。そう言うわけで、Eガールたちが4歳になる前に、妻たちは家庭内教育を始めた。
ジョージア州ステーツボロの素晴らしい点の一つは、この町が大学の町であるという点である。僕たちはジョージア・サザン大学の大学院生を雇って、彼らの専門を子供たちに教えさせた。最初は種々の外国語、その後は、計算とか物理とか経済学である(僕は、コンピュータ・プログラミングを担当した。少なくとも、この分野に関しては僕は得意だったから)。結局、僕たちは自分たちで小さな学校を開校したことになった。
IAMの子供たちは誰も、普通の学校教育の環境に馴染むことはできないだろう。あの忌々しい相対評価とやらを考えてみればすぐわかる。幸い、いまや、エレが巨額の資金を稼いでくれているので、僕たちは次世代の子供たち全員の教育に対処するため、僕たち自身の大学を設立することにした。
大学を設立するためには、エレには1500万ドルでは足りず、もっと稼いでもらわなければならないだろう。でも、適切な資金が与えられれば、次世代の子供たち全員が馴染めるような場所を作ることができる。このことを先週、エレに話してみた。
「エレ? もし、エレの個人資金を5000万ドルくらいに増やしてもらうことができたら、パパたち、ちょっとした使い道があるんだけどもね」 と。
まるで子供のカネを親が奪うような話しに聞こえるかもしれないが、これは決して僕のわがままを通そうとしているわけではない。そもそも、エレは僕たちがおカネで何をするか興味すらないだろう。エレの頭の中では、単に現金を使ってモノポリー・ゲームを楽しんでるだけなのである。僕はエレに、「『大通り』と『公園周辺』を買い占めて、そこにいくつもホテルを建てるんだ、そして誰かがそこに立ち寄るといいなと願えばいいんだよ」と言ってるだけ。もし、そこに新人類大学を建てるとして、安くはできまい。多分、来年までかかるだろう。