ゲンゾーはアンジェラの方に軽く頭を下げ、ケンを離し、何事もなかったように腰を降ろした。
「アンジェラ、一体どうなってるんだ? 電話に出たのはこの男か?」 とケンは怒った顔をして首を擦り、すでにノートパソコンに注意を戻してるゲンゾーを睨みつけた。
「ケン、こっちに入って」
アンジェラはそう冷たく言い、診療室のドアを指差した。もう、私の人生にはいま以上ドラマティックなことはいらないのと思った。ケンが診療室に入る時、ゲンゾーが携帯電話で日本語で話すのを聞いたが、彼女が分かった言葉は「彼氏[kareshi]」だけだった。
ケンに注意を戻し、アンジェラは強い口調で言った。「何しに来たのよ?」
「何しに来たかって?」 とケンは信じられないと言わんばかりに同じ言葉を繰り返した。「この前、君に電話したら、誰か男が出たんだ。そして、俺の声を聞くなり切りやがった。君も、全然かけ直してくれないし。メールすらよこさない。せめて無事だと知らせてくれればいいのに。俺、心配したんだぜ! アンジェラ!」 と彼は苛立ちながら部屋の中を進んだ。
アンジェラにとって、ケンは自己中心的なことが多い男だったが、今回は心配かけてすまないと感じた。
「ごめんなさい、ケン。最近、ちょっと気が変になるようなことばっかりあって…」
「外にいるあいつが、そいつなのか?」 とケンはドアを指差した。「あいつが、電話に出た男なのか? あいつとヤッたのか?」
「ケン!」
アンジェラは鋭い眼でケンを睨みつけた。ケンはその強い視線に、少しひるんだ。
「誰かと付きあってるのか? あいつがその男?」 と前より落ち着いた声でケンは訊いた。
「ケン、これについては話しあったはずよ。ただのセックス。それ以上、何もないの」
「どれだけ真剣なんだ? 君のマンションに行ったら、もう引っ越したと言われた。今はあいつのところに住んでるのか?」
ケンの声には、アンジェラが引っ越したと知って心が傷ついている様子が現れていた。
アンジェラが返事をしようとした時だった。急にドアが開き、ノボルが入ってきた。ノボルはアンジェラに近づき、両手を彼女の腰に添え、優しく尋ねた。「大丈夫か[Daijo-ka]?」
「そうか、こいつが電話に出た野郎だな」 とケンが吐き捨てるように言った。
ノボルはケンを無視し、もう一度アンジェラの顔を覗きこみ、同じ質問をした。
「大丈夫。彼とは知り合いなの。彼は私のことを心配していた。ただそれだけよ」 とアンジェラはノボルの肩越しにケンの方を見た。「後で電話するから、いい? 今はその時じゃないから、変なことはしないで」
「そういうことかよ。ヤルのに俺が邪魔で、追い返そうとしてるんだな。腹立つ!」 とケンは厭味を言った。
それを聞いてアンジェラは目を丸くして、両手を腰に当て、鋭い眼でケンを睨みつけた。 「ケン! あなたにこんなことを言ってもできっこないのは知ってるけど、数秒間だけでいいから、そんなバカなナルシストになるのを我慢してくれない?」
ケンはノボルのところにずんずんと近寄り、偉そうな顔で彼を見下ろした。
「良い出会いだな、おい」
ケンはいつも自信過剰の人物であった。アンジェラが彼と最終的に別れたのも、そのことが理由の一つだった。ただ、ケンがそのように自信過剰になるのも理由がないわけではない。日本人とアメリカ人のハーフで、身長は190センチ、体重96キロ。ハンサムな顔立ちで、彼自身、自分がイケメンであることを自覚している。
ケンはノボルの前に立ち、彼を見下ろしながら言った。「アンジェラ? 俺は、君はチビとはやらないとばかり思っていたんだけどなあ」
アンジェラは、ノボルが顔色を変えずにいて、この場でケンを殺したりしないでと祈りながら、ふたりの間に割りこんで、ケンを強く跳ねのけた。
「もう出て行って! 後で電話するって言ったでしょ? 今すぐ出て行かなかったら、もう二度とあなたと会わないから、そのつもりで!」
ケンは最後にもう一度、ノボルをきつく睨みつけ、部屋から出て行った。ドアを乱暴に閉じて。アンジェラはケンが出て行くときにゲンゾーのそばを通らずに済んで、内心ほっとした。