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身内びいき (1) 

身内びいき Nepotism  by Nikki J http://omarbelluniverse.blogspot.jp/2011/03/nepotism.html

マイクは怒っていた。会社が最大級の損失を出してしまったのは、自分の責任ではない。自分は自分の仕事をしただけだ。ミスをして、会社に何百万ドルもの損失を与えたのは、あのトニーの傲慢バカ野郎のせいなのだ。だが、そんなことは問題にされなかった。トニーはすべてマイクのせいだと主張した。そしてトニーは、CEOの従弟であるおかげか、むしろ、あらぬ嫌疑をかけられた人物として、会社から好意的に受け取られた。

結果として、マイクはオフィスでの自分の持ち物を段ボール箱に詰めることになった。その作業をするところを守衛が見守っている。会社のビルから出るまでマイクを監視する職務なのだろう。

マイクは25年近く会社のために働いてきたし、何百万ドルも会社に利益をもたらしてきた。だが、身を粉にして働いてきたことも、会社のトップの親族である傲慢野郎の身代わりに会社から放り出されるためだけだったような気がしてくる。マイクはマグカップを段ボール箱に放り込んだ。だが、怒りのせいか、ちょっと強く投げすぎたようだ。マグカップが粉々に割れ散った。

「大丈夫?」 と守衛が訊いた。マイクはこの10年ほど毎日、この守衛を見かけてきたが、名前は知らなかった。

「ああ。ただ、憤懣やるかたなくてね」 とマイクは答え、ツルツルに剃ったチョコレート色の頭を手で撫でた。

お金が問題ではなかった。彼は充分な財産を蓄えていた。問題は今回の件の背後にある原則なのである。会社に貢献してきた長い歴史が何の意味もなかったということが問題だった。会社への忠誠心が、廃棄物のように投げ捨てられたように思えた。わずかな所持品を段ボール箱に詰め終わると、守衛に導かれてビルの外へ出た。何かの犯罪者のように扱われ、マイクは屈辱感を感じた。

ビルの外に出たマイクは、しばし呆然と突っ立っていた。彼の脇を通行人たちが歩いていく。これから何をしようか?

ほぼ10年前に離婚したので、彼には家族と呼べる人はいなかったし、子供もいなかった。マイクはそれだけ会社に人生を捧げてきたのである。そして、その会社はというと、彼の顔面に唾を吐きかけた。

何分か後、マイクは家路についた。それしか思い浮かばなかったからである。

*

2日ほど過ぎた。マイクは重度のうつ状態に陥っていた。何もしたくない。ただリクライニングに座って、一日中、テレビを見ていた。別の仕事を探すこともできるだろうとは思ったが、新しい仕事についたからと言って、この欝状態を和らげることにはならないのは自明だった。加えて、新しい職場に行っても、たぶん、その会社もスケープゴートが必要になったら、自分を真っ先に解雇するだろうと思った。

日は、週へと延び、週は月へと変わった。そして知らぬ間に半年近くが過ぎていた。マイクはめったに家を出ず、ただ無為に時間を浪費することを選んだ。ひとつ明るいことがあって、それは、彼の取引業者が巧妙に株の投資をしたおかげで、このひと月の間に、貯蓄がほぼ3倍になっていたことだった。こんな短期間に資産が数百万ドルに膨れ上がったら、たいていの人なら、狂喜するだろうが、マイクは違った。生きる目的がない時、カネがあったって何に使うというのだ。

彼の興味を惹くものはほとんどなかった。食もギリギリ必要なものしか食べず、ほとんど睡眠もとらず、外の世界との接触も皆無だった。マイクは実に、実に暗い場所に落ち込んでいたのである。だが彼は自分が求めていることが何かを知っていた。少なくとも、無意識的には知っていた。マイクはあの連中に代償を求めていたのでる。トニーに負け犬になった気持ちを味わわせたかった。彼は復讐を求めていたのである。

その思いが幾層にも重なった欝状態を潜り抜けるのには、しばし時間がかかった。だが、ようやくその状態から復讐の思いが抜け出た後は、彼は計画を練り始めた。再び、自分自身のことを期にかけるようになったし、それから間もなく、彼は元の自分自身に戻った。今や、マイクには目的ができたのである。トニーを殺すのだ。

*

そういうわけで、マイクは身体を鍛え始めた。捕まらずに目的を達成するために、どの程度の体力が必要かを考え、設計したトレーニング計画だ。もちろん、彼は刑務所の塀の中にはいりたいとは思っていない。だから、彼はありったけのエネルギーをトレーニングに注ぎ込んだ。彼は、ミッションに取り憑かれた男になっていた。

ある朝、射撃練習場から帰って来たマイクは、留守電にメッセージが入っているのに気づき、ボタンを押した。

「マイク? オマールだ。この二日ほど、ここに来ていて、私の大学時代のルームメイトに電話をしようと思ったんだ。どこかで会わないか? 私の電話番号は421-555-2351。返事の電話をくれ」

マイクはニヤリとした。彼はオマールとはいつも気が合った。オマールは人種的なことに関しては、いささか過激な点があったが、全体的にみれば、オマールはいい奴だった。それに、オマールは常に興味をそそる存在でもあった。マイクは電話をすることにした。

番号を押すと、呼び出し音2回でオマールが出た。

「はい。オマール博士です」

「ただのオマールじゃないのか? お前、今はベル博士?」 とマイクは冗談まじりに言った。

「マイク! 調子はどうだい?」

「あんまり良くない。というか、実際は、かなりひどい目にあわされてきた」

「昼飯はどうだ? 何だかわからんが、俺に話してみないか?」

「ああ、良さそうだな」 とマイクは答えた、食事をする場所を決めた後、マイクは電話を切った。

*

その2時間後、マイクは指定したスポーツ・バーに来た。そして、オマールがバーカウンターのそばに座り、大学野球の試合を見ているのを見つけた。オマールは大きな男ではない。たった160センチだ。体重も多くはない。だが、彼にはどこか周囲を仕切る存在感が合った。

握手をし、挨拶を交わした後、オマールが尋ねた。「それで、悩みというのは?」

そしてマイクは解雇になったいきさつを説明した。オマールはそれは人種差別的なことによるとしたがっていたが、マイクは、自分が黒人であることはこの件と関係がないという点は頑として譲らなかった。これは、身内びいきのおかげで職につけた無能な男の代わりに、便利なスケープゴートがいたという、そういう単純なことなのだと。オマールは納得してないようだった。やはり、彼にとっては何もかもが人種差別に関係するのだ。

「それで、お前、これからどうするつもりだ? 新しい仕事に着くのか?」

マイクは頭を左右に振った。「いや、職を変えても俺が変わることはできないと思う。それに、俺は今はかなり金銭的には余裕があるんだ。株で幸運に恵まれてね」

「じゃあどうする? 旅行か? 世界を見て回る? お前なら、いつでも俺の会社に歓迎だ。俺は善良な人間を求めている」

「いや。俺には計画があるんだ…」 と言いかけ、マイクは思い直した。

マイクはオマールを完全に信頼している。ふたりはほとんど兄弟のようなものだ。だが、だからこそ、マイクは殺人の意思を持ってると言って親友を困らせたくなかった。

「…いや、お前は知らない方がいいな」

「何だよ? じゃあ、復讐か?」 とオマールは訊いた。オマールはマイクのことを良く知っている。

「会社内の不正か何かについて、社会に警鐘を鳴らすつもりなのか?」

ここまでのところ、的外れだ。

マイクは笑った。「あの会社に? いや、会社自体はクリーンだよ」

「何かせっかちに荒っぽいことをするつもりじゃないよな?」 とオマールは心から心配して言った。

マイクは返事をしなかった。その代わりに、顔を上げ、モニターに映ってる野球の試合を見た。地元の大学が、どこか他の州の大学と戦っている。そして、ふとマイクはあることに気づいた。

「ああ、もううんざりだ」

オマールはいぶかしげにマイクを見た。

「あのガキだよ。打席に立ってる…」 とマイクは画面を指差した。「あいつは、俺を首にした野郎の息子だ。フィリップと言う名前だ。俺と一緒に仕事をしていた野郎がトニーだが、あいつは、いつも野球をやってる自分の息子を自慢していた。いつかはプロの世界に入るだろうとか。あの息子こそ、あの野郎の自慢の種だし喜びなんだろう。トニーは、あのガキがたらしこんだ女の数までも自慢してたっけ」

マイクはうんざりした様子で頭を振った。そして顔を上げオマールを見た。オマールは妙な顔をしていた。

「お前は、そのトニーって男に復讐したいんだな?」 とオマールは訊いた。

「他の何よりも一番に」

「そしてお前は多額のお金が使えるんだな?」

マイクは興味をそそられた。「ああ、必要なら、数百万の単位で」

「じゃあ俺には考えがある」 とオマールは言った。「お前からはかなりの投資をしてもらうことになるが、お前が求めている復讐は確実に叶えてあげられる」

「あいつを殺すのか?」 とマイクは訊いた。

オマールは笑った。「アハハ、俺は殺し屋じゃないよ。俺がするのは、そのトニーが可愛いがってるモノを奪うだけだ」

オマールは説明し始めた。生化学者、および遺伝工学者としての研究を通して、彼の問題を非常にユニークな方法で解決する薬物を開発したと。マイクは説明を受ければ受けるほど、興奮してくるのであった。

そしてとうとうマイクは言った。「それをやろう。そうするには何が必要なんだ?」

「まずはカネだ。いくらかかるかは分からんが、俺はお前にその投資に見合ったことはして返せる。それに施設も必要だ…。それ以外では、フィリップスを俺たちが望む場所に連れてくる方法を考えてくれさえすればいい」

マイクはニヤリと笑った。まさにそういう仕事のために、この何ヶ月かトレーニングを続けてきたのだから。

「それなら任せてくれ」

*

そういうわけで、今、マイクは、2週間ほど前に買った古いピックアップトラックの中にいた。この数日、彼はフィリップを見張り続けていた。彼を拉致する適切な時期を探っているのである。だが、適切な瞬間はまだ訪れてはいなかった。この若者の女性を引っかける能力に関しては、トニーは確かに誇張していなかったようだ。大学のスター選手であると、有利なことがあるのだろうとマイクは思った。

このフィリップという若者は確かにマイクよりも大きな身体をしていた。身長190センチほど、体重は100キロ近いか? だがマイクはこの男を倒せる自信があった。何と言っても、マイクはかつてボクシングでゴールドグラブ賞を取ったことがある。それに彼は、まさにこういう時のために何ヶ月もトレーニングを続けてきたのである。

マイクはフィリップが建物から出てくるのを見た。この建物には野球部のための屋内バッティング場がある。フィリップは振り返り、友人が言ったジョークに笑い、手を振って、仲間たちと別れた。そして自分の赤いスポーツカーへと歩き出し、キーのボタンを押しした。車のランプが点滅し、ロックが解除されたことを知らせた。

彼の車は駐車場の非常に暗いスペースに止まっていた。それにフィリップは今はひとりだ。マイクにとって、これほど良いチャンスはないだろう。マイクは車のドアを開け、外に出た。足音を立てずに、より体の大きなフィリップへと忍び寄る。マイクは手袋をしていたが、その片手に注射器を握っていた。フィリップはマイクが近づくのに気づいていない。

マイクはフィリップの背後から襲いかかり、片手でフィリップの口を塞ぎ、叫び声を押し殺した。それと同時に、フィリップの首に注射針を押し込み、麻酔薬を注入した。フィリップは数秒も経たぬうちに意識を失った。

マイクは彼の身体を自分の車へと引きずり、非常に苦労したものの、彼を車の後部へと載せ、ドアを締めた。マイクはひと仕事を終え、車に背を預けながら荒い呼吸を続けた。

*

警官たちはコーヒーを飲みながら、あれやこれや話しあっている間、トニーはイライラしながら携帯電話をいじっていた。

「あの、私の言うことを聞いておられますか?」 と捜査官が訊いた。

「え? あ、ああ…」 とトニーは答えた。

「この1日か2日の間に取引の電話か手紙が来るはずです」

トニーはちょっと黙った後、口を開いた。「どうしてフィリップなんだ? 息子は誰にも迷惑をかけていない」

「可能性としては、あなたの家族のお仕事と関係があるかもしれません。ご子息を誘拐した人が誰であれ、犯人はあなたが身代金を払えると知ってる人でしょう」

その日の前夜、メッセージが現れた。トニーの息子のフィリップが誘拐されたこと、および、誘拐者は近々、接触を持つつもりであることを告げたメッセージだった。トニーは息子とは二日ほど会っていなかったが、それはそんなに不自然なことではなかった。フィリップはしょっちゅう監視する必要はなかったから。彼はもう大人だったから。

ちょうどその時、トニーの携帯電話が鳴った。皆が会話を辞めた。捜査官は、「電話に出てください。私たちが携帯電話の追跡をします」

トニーはボタンを押し、耳に電話をあてた。「もしもし…」

「我々はカネは求めていない」 と電話の向こうの声が言った。ロボットのような声で、明らかに何らかの装置を通して発せられている声である。「我々は単にお前を辛い目にあわせることを目的にしている。お前の息子が誘拐されたのは、お前のせいであるということを知らせたいだけだ」

「息子を傷つけるのはやめてくれ!」

「誰だ…」とトニーは耳から電話を離した。「すでに切れていた」

捜査官はノートパソコンの前に座っている技術者に目を向けた。技術者は頭を左右に振った。「何だ、これは…。こんなに複雑なのを追跡するのは初めてだ」

「明らかに、私たちはプロを相手にしてるようです」

*

フィリップは頭が割れそうな頭痛と激しい吐き気を感じながら目を覚ました。ぐったりしたようすであたりを見回した。彼はコンクリートの小部屋の隅にいた。鉄格子がないことだけが異なる、まるで牢屋のような部屋だった。コンクリートの壁と小さなドア、それだけだった。彼は全裸にされていた。

フィリップは立ち上がり、数歩進み、ドアを確かめた。ロックされていた。

「誰かー?」 

叫んでみた。声がコンクリートの壁に反響した。彼はドアをがんがん叩き、叫んだ。「僕をここから出してくれ!」

何度か叫んでみたが、無駄だと悟り、彼は床に座った。壁にもたれかかり、考えた。

僕を誘拐するなんて。そんな理由を持ってるのは誰なんだろう? 自分には知る限りでは、敵対する人などいない。だとしたら、犯人が求めているのはお金なのだろう。そうに違いない。フィリップは、お父さんなら僕を取り返すためにお金を出してくれるだろうと思い、少し安心した。

だが、そうだからと言って、ここから脱出しようとするのを止めたわけではない。メディアの見出しを想像してみよう。「野球のスター選手が変態誘拐犯の元から見事、脱出!」 なかなかいいじゃないかとフィリップは思った。そこで彼は落ち着いて腰を降ろし、脱出のチャンスを待った。

そのチャンスは1時間後に訪れた。フィリップは準備万端だった。ドアのノブが回り、ゆっくりとドアが開いた。フィリップは即座に行動に移った。ドアの向こうにいたのは巨漢の黒人だったが、フィリップの方は不意打ちをしかけてる点で有利だった。フィリップはドアに突進し、見張りと思われる男を床に倒した。男はコンクリートの床に頭を打ち、動かなくなった。

フィリップは巨大な石の迷路のような廊下を圧倒的なスピードで疾走した。壁は、彼が閉じ込められていた部屋と同じコンクリート製で、天井は比較的低かった。出口を見つけ出そうと、彼はでたらめに何度も角を曲がり、走った。そしてついに、廊下の突き当たり、重厚なドアを見つけた。おそらくそこが出口だ。

そのドアを体当たりして外に出た。強烈な陽の光に照らされ、慣れない眼のため一瞬、真っ暗になる。ようやく眼が慣れ、あたりを見回し、フィリップはがっくりうなだれた。そこは砂漠の真ん中だったのである。見渡す限り砂丘が続いている。振り返って建物を見た。それは巨大なコンクリートのブロックのような建物だった。ほぼ正方形の形をしている。

フィリップはチャンスに賭けることにし、建物に背を向け走り出そうとした。そして、3歩ほど進んだ時、強烈な痛みが脇腹を襲った。フィリップは熱い砂に崩れ落ち、痛みにもがいた。ヒクヒクと身体が痙攣し、口からは涎れが垂れ流れた。

数秒後には痛みが引いたが、身体の力はかなり奪われていた。フィリップは首を曲げて、相手を見た。そこには背が低く、ヤギ髭を生やした禿げた黒人男が立っていた。手にはスタンガンを握っていた。

「フィリップ、そう簡単には逃げられないよ」 と男が言うのが聞こえ、その後フィリップは意識を失った。

*

目が覚めた時、彼は再びコンクリートの部屋に閉じ込められていた。今度は、前より頭がぼんやりしていた。そして、今度は部屋には彼ひとりではなかった。ヤギ髭の男が彼の前、スツールに座っていた。まだスタンガンを持っている。

「ああ、ようやく目が覚めたようだな」と男は言った。フィリップは男を睨みつけた。

「自己紹介が必要かもしれない。もちろん、私はお前のことを知っている。私はオマール・ベル博士だ。そして、私はお前のことを完全に、疑うべくもなく、憎んでいる。お前が誰であるからとか、お前が何かをしたからという理由で憎んでるのではない。お前が代表していることが理由で、お前を憎んでいる…」

「…こう言ったからと言って、別にお前を怖がらせようとしているわけではない。むしろ、警告するのを意図して言っているのだ。私から譲歩を得ようとしても無駄だ。私は私の計画を完遂するつもりだ。そして、お前の感情も、生活も、未来も呪われたものになるだろう」

「どうして…」 

フィリップはそう言いかけたが、ベル博士がスタンガンを掲げたのを見て、すぐに口を閉じた。

「話せと指示された場合を除いて、お前はしゃべってはならない。これからお前の身に何が待ち構えているかに関しては、いささか複雑な話しになる。ただ、私は世界を変革する薬物をお前に実験するとだけ言っておこう」

フィリップは恐怖に顔をひきつらせた。

「心配するな。その薬物はお前に危害を加えるものではない。充分、健康のままでいられる。こう言って安心するなら言っておくが、もし私がお前を殺すつもりなら、もうとっくにお前は死んでるはずだ。それを知っておくがいいだろう…」

「…その薬は単に、お前の人生に対する見方を変えるだけだ」 とベル博士は安心させるような口調で言った。「実験が終われば、お前は解放される。ちなみに、悪い行動をしたなら、確実に罰を与える。良い行動なら、褒美を与えるだろう」

ベル博士は立ちあがり、ドアに向かった。ドアを開け、彼は振り返った。

「あ、それから、二度と逃げようとしないことだな。いつでも我々は、お前のここでの生活を非常に不快なものに変えることができる。それに、ここはサハラ砂漠のど真ん中なのだよ。逃げたとして、どこに行くつもりなのかね?」

そう言って、ベル博士はドアの向こうに消えた。重々しい鉄の扉ががちゃりと音を立てて、締まった。

*

マイクはふたりの様子をコンピュータのモニタで見ていた。あの部屋に設置されている小さなカメラから画像が転送されているのである。

オマールが入ってきた。

「俺の声、どう聞こえた?」 とオマールはニヤニヤしながら訊いた。

「悪魔の天才のようだったな」 とマイクもニヤニヤしながら答えた。

「で、もう一回、教えてほしいんだが、これからどうなるんだ?」

「前に話した通り、2年ほど前、俺は前の同僚から製法を買い取った。彼は何年も前から彼にイジメを繰り返していたヤツに復讐するため、それを使ったらしい」 とそこでオマールはちょっと間を置いた。「……その男の名は忘れてしまった。とにかく彼は今はどこかに行ってしまった。それで、この薬だが、実にユニークな薬だ。だが、俺の求めるものを考えると、まだ完璧とは言えない。と言うわけで俺はその製法を改良する研究を始めた。まさに俺が望むものになるよう、改良しはじめた」

「それは?」

「俺は、この世界の白人どもに復讐したいのだよ。この問題について俺がどう思っているか、お前もよく知ってるだろう。雇用機会均等法などでちょっと仕事を与えられたからといって、俺たちが被った不平等を補われることなどあり得ない。過去に我々黒人が受けた抑圧を補うには、単に平等になっただけでは済まないのだ。平等以上の補償が必要なのだよ。白人男は罰を受けなければならない」

オマールは一言ひとこと言うごとに、だんだん声の調子が上ずっていった。一度、気持ちを落ち着かせ、彼は続きを言った。

「知っての通り、俺たちは白人より優れているんだ。プロスポーツを見ろ。俺たちの方が強く、速い。そして、あの不公平なシステムで押さえつけられていなかったら、俺たちの方がずっと賢かったはずなんだ」

「オマール? 話しを省いて要点を言ってくれないか? その話しは前から聞いていたし、俺がどう思ってるかも知ってるはずだよ。…あそこの中でフィリップにはどんなことが起こるんだ?」

「基本的に、彼は女っぽくなっていく」

マイクはちょっと考えこみ、そして口を開いた。「それは前にも聞いたが、それはどういう意味なのかな?」

オマールはニヤリと笑い、そして興奮して言った。「まるでSFの話しのようなものだ。だから、実際に自分の目で確かめるまで、信じられないと思う」

「普通の言葉で説明してくれよ」 とマイクは苛立ちながら訊いた。

「まず第一に、彼は徐々に身体が小さくなる。基本的に、彼が女性として生れたとしたら、そうなるであろう体の大きさに変わっていく。あの薬が遺伝子に変化を与えるプロセスは実に複雑で…」

マイクが遮った。「ということは、彼は小さくなるんだな。その仕組みの話しはいらないよ」

オマールは少し不満そうだったが、話しを続けた。

「筋肉の総量の大半が失われるだろう。それに体つきも変化していく。ウェストが細くなり、腰回りが膨らむ。また臀部は丸みを帯びて大きくなる…」

ちょっと間を置き、オマールは続けた。「…この薬で俺が気に入ってる部分は、これだ。乳首と肛門が性感帯に変わるという点だ。それに応じてそれぞれの器官の働きも調整されていく。アヌスは伸縮性を獲得し、挿入に対して極めて感受性が高まるようになる。乳首も興奮すると自然に硬直するようになり、女性の乳首と同じようになる。ただし、もちろん、乳房自体はないのだが…」

「…彼は体毛の大半を失うだろう。これまでの被験者の中には、陰茎の上部に小さな筋状の陰毛を残した者もいたが、大半は、それも失った。…さらに声の質も変わり、甲高くなり、陰茎と睾丸は大幅に縮小する…」

「…そして最後に、彼は女性フェロモンを分泌し始め、男性フェロモンに反応するようになる…」

「…この効果の何とも美味しい点は、彼は非常に女性的な肉体を持つことになるということ、それに男性に心を惹かれるようになることだ。そして、いったん男性に挿入されると、あまりにも快感が強いので、その惹かれる気持ちが強化されていく。まあちょっと条件付けも必要であろうが、そのような効果と、自分の男性性が失われることによる心理的効果が相まって、彼は典型的なオンナ男になるのだ」 とベル博士は興奮して話しを終えた。

マイクは少し考え、口を開いた。

「…写真だ。彼の変化を撮った写真が必要だ。それほど変化するのなら、トニーに、それが本当に彼の息子であることを確実に認識させる必要がある」

*

「起きろ」

見張りの男がフィリップの部屋のドアを開け、言った。「今すぐだ」

フィリップは言われた通りにした。

「俺について来い」

フィリップは従順に見張りの男に従い、個室から出た。2分ほど廊下を歩き、あちこちの角を曲がり進んだ。そのうち、フィリップは来た道が分からなくなってしまった。そして、巨体の見張りの男が導いてくれて、ありがたいと思った。

ようやく、ふたりは別の部屋の前に来た。ここも同じく鉄の扉がある。見張りの男はフィリップに中に入らせた。そこは写真撮影のスタジオのような部屋だった。部屋の隅には黒い背景の幕がたらされていて、そこは様々な照明器具に囲まれていた。その反対側には様々なカメラが三脚に据えられていた。

そのカメラのひとつの脇に、ベル博士が立っていた。博士はフィリップと見張りが入ってくるのを見ると、見張りの男に言った。

「クラレンス、外で待っていなさい」

クラレンスが出ていきドアを閉めると、ベル博士が言った。

「私は大学では副専攻として写真を学んだのだよ。決して巧くはなかったが、実に楽しく学んだ。分かったことがあって、それは、カネと権力を別とすれば、女性を裸にするには、その女性にアーティストの被写体になるかもしれないと思わせるのが一番だということだな」

フィリップは垂れ幕の横、裸で立った。大事なところを両手で隠しながら。

「おっと、わざわざ隠そうとしなくてよい。お前はこれからかなりの時間、素っ裸で生活することになるのだから」 とベル博士は笑った。

「さあ、それじゃあ、撮影開始だ」 とベル博士はカメラの何かをカチャリと押した。

「さて、まずは垂れ幕の前のところに立ってくれるか。…ああ、それでよい。横向きに立つんだ。両手を両膝について。お尻をちょっと突き出して。背中を反らす。そうだ、いいぞ。…じゃあ、今度はカメラの方を振り向いて、カメラにキスするように振舞って」

オマールはシャッターを切った。

「今度は腰を降ろして。両脚を広げて、両手を足首に添える。それから、ちょっと膝を曲げて自分に近づけて…。そうだ、いいぞ」

カシャッ! さらにもう一枚撮った。

「上手だな。今度は立ってみようか? 垂れ幕の方を向いて。それから背中をぐーっと反らす。お尻を思い切り突き出して。両手はお尻の頬に当てがって。もっと突き出す……。よし、そこだ。それからこっちを振り向く。ちょっと口を尖らせて。いいよ、最高だ」

オマールは笑顔になっていた。

「フィリップ、君は実に素晴らしいよ。すごい才能だ。それでは、最後の一枚だ。いいね? 今度はうつ伏せになってほしい。床にうつ伏せに。そして両ひじをついて、背中を反らす。いいかね、いつも背中を反らすこと。そうして、両足を宙に上げる。…そう、その格好でカメラを見て。そしてニッコリ笑って」

彼は最後の写真を撮った。

「クラレンス!」

ベル博士が呼んだ。ドアが開いた。

「お客さんを部屋に連れ帰ってくれ」

部屋に戻るまでずっと、フィリップは恥ずかしくてたまらなかった。撮影を止めさせることなどできなかったのは知っている。だが、あんなふうに、誘拐者の言うことに全部したがったりせずに、少なくとも、抵抗はすべきだったと思った。それにしても、ベル博士はあの写真をどうするつもりなのだろう? それが気になって仕方がなかった。フィリップは、自分が女の子のようなポーズを取ったのは自覚していた。誰も、あんな格好になった写真を見ないように。彼はそう祈る他なかった。

*


[2014/03/13] 本家掲載済み作品 | トラックバック(-) | CM(0)

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