デニスは鏡を見て、ちゃんと格好よく見えてるか確かめた。彼は大柄な男ではない。身長は170センチちょっとだし、体重も70キロほど。だが、自分のルックスには自信があった。確かに彼はハンサムだし清潔感があり、充分に身なりに注意していた。髪をきちんと刈りそろえ、バギーパンツもアイロンを掛け、片方の耳にダイヤのイヤリングをつけている。それを買うため、夏じゅう倉庫でアルバイトをしたのだ。このダイヤのイヤリングは自慢のアクセサリーだった。
その夜、彼は世界のてっぺんに登ったような高揚した気分で家を出た。ルックスは悪くないし、秋には大学に進学する。そして今からベッキーとデートに行くのだ。ベッキーは近所でもいちばん可愛い女の子だった。人生は上向きになっている。
家を出て道を歩き、一群の若者たちの横を通り過ぎた。デニスは、あの連中がドラッグを売っているのを知っている。デニスは、彼らの中の知人に頷いて挨拶した。ベッキーの家までは歩いてもそんなにかからない。2ブロックほど先に住んでいる。デニスは彼女の玄関ドアをノックした。
ベッキーが出迎えた。
「ハーイ」
彼女は後ろを振り返りもせず家を出た。デートに出るのが待ち遠しくてたまらなかった様子だった。
ふたりはバス停まで歩きながらおしゃべりをした。この集合住宅に入ってくるほど勇気のあるタクシーはほとんどないのだが、たとえそんなタクシーがあったとしても、ふたりには乗る経済的余裕はなかった。幸い、バスはすぐに着た。バスはふたりを映画館の近くへと連れて行った。
デニスはベッキーに映画を選ばせた。ベッキーはラブコメの映画を選んだ。デニスにはどんな映画でも良かったのである。ベッキーの姿を見てるだけで嬉しかったから。今夜のベッキーはタイトのブルージーンズとTシャツの姿で、とても可愛かった。それにアイクが言っていたように、彼女のお尻はとても丸く、完璧な形と言え、デニスはどうしてもそこを触りたくなってしまうのだった。
映画は、少なくともデニスにとっては、上々だった。実際、彼は映画の筋にはほとんど注意を払っていなかったものの、何と、ベッキーの肩に腕を回すことができたのである。これができただけでも、成功と言えた。
映画の後、ふたりは再びバスに乗った(デニスにはレストランに食事に行くお金がなかったのである)。バスから降りた後は、ふたりで歩いてベッキーの家に向かった。ふたりはおしゃべりをしながらゆっくり歩き、デニスはベッキーのことをもう少しだけよく知ることができた。
ベッキーは元々、この街の出身ではなかった。彼女の母親が仕事の関係で2年ほど前に引っ越してきたのである。だが、その仕事は長続きしなった。急に不景気になり、その仕事は打ち切られてしまったのである。そこでベッキーの母親は政府に援助を求めたのだが、与えられたのは仕事ではなく、この集合住宅なのだった。ここは、犯罪と薬物と貧困の巣窟であって、たいていの人々が求める救済の地ではなかった。とはいえ、ベッキーの母親は仕事を見つけることができ、近々、ここを抜けだし、郊外に引っ越すことを計画していた。
そしてベッキーは、デニスが通うことになる大学と同じ大学に、すでに入学していた。それは、まさに神がめぐり合わせてくれたことのように思えた。ふたりは、互いのジョークを笑い合う、とても仲の良い間柄だし、デニスはベッキーを魅力的だと思っていた。できれば、彼女の方も自分のことを同じく魅力的だと思ってくれたらと期待するデニスだった。
ベッキーの家に着き、ふたりはそこで立ち止った。「あーあ、着いちゃったわね」とベッキーが言った。
「ああ」 とデニスは体を傾け、彼女にキスをした。「電話してもいいよね?」
ベッキーはにっこり微笑み、背を見せ、玄関ドアを開けた。「そうして」と一言残し、家の中に姿を消した。
玄関ドアが閉まり、それを待っていたかのように、デニスは満面の笑顔になった。ただのおやすみのキスが、どうしてこれほどまでにデニスを喜ばせたのか? それを理解するには、彼の歴史を知る必要がある。彼は、外から見た印象とは異なり、周囲にすんなり溶け込んできた若者ではなかった。もっと言えば、ほぼ、その正反対と言ってよい。
この集合住宅で育った月日は、デニスにとって辛い日々だった。彼の肌は普通の黒人より明るい色をしている。それは、手頃なパンチバッグを求める者たちにとって、標的となるものでもある。それは、フェアでもなければ、正しいことでもないし、理解できることでもなかった。だが、他の子供たちは、デニスの血に白人が混じっていることに反感を抱いた。デニスは子供時代を通して、しょっちゅうイジメられ、からかわれてきた。
彼が10歳の時、一度、イジメっ子たちに歯向かい、それまで受けた仕打ちの仕返しをしたことがあった。確かに、それ以来、イジメは止まった。だが、他の子供たちで、デニスを受け入れた者はほとんどいなかったのだった。デニスは皆とは違う存在だった。そして幼い子供たちの心の中では、皆とは違う存在は、避けるべき存在に等しいのである。そして、実際に、他の子供たちは彼を避けた。デニスは、成長期を通じて、友人と言えるのはたった一人しかいなかったし、知り合いもひと握りしかいなかった。他は誰も彼を拒絶したのである。
そして、女の子たちも、彼を拒絶した者の中に含まれていた。彼はこれまでの人生で、2回しかデートをしたことがない。そのデートの相手も、たぶん、同情心から付き合ってくれたんだろうと彼は思ってる。デニスは、誰も自分と関わり合いたいなど、本心では思っていないし、ましてデートするなどもっての他なんだと思っていた。結果はと言うと、18歳になるまでキスをしたのはベッキーを除いて2人だけだった。実際、2回目のデートにこぎつけた女の子はひとりもいなかった。
デート経験がないことは、彼が童貞であることも意味していた。デニスが考えることすら避けたいと思っている事実である。でも、それもこれも、これからは変わりそうだと彼は期待した。どうやら、ベッキーは自分を好んでくれているらしい。それも僕も彼女が好きだ。前に広がる可能性を思い、ワクワクしながら彼は家へと歩いた。
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