時が経ち、クウェンティンもグレッグもテロリスト攻撃のことは、あまり考えなくなっていた。報道各社すら、1週間ほどすると、この話しはほら話であったとみなし、報道しなくなっていた。少なくとも、誰もが、そう思っていた。だが、3週間が経ち、変化が起き始めたのである。
その運命の朝も、他の朝と同様、グレッグは普通に目が覚めた。クウェンティンはまだ眠っていた。そこでグレッグはクウェンティンを寝かせたままにして、シャワーを浴びに、バスルームに行った。ノブを捻り、水が温かくなるまで待った。適温になった後、シャワーの下に入り、身体を洗い始めた。
多くの人がそうであるように、グレッグもシャワーを浴びながら鼻歌を歌う。しかも、ひどい音痴で。クウェンティンはいつもそのことでグレッグをからかったが、彼はやめることはしなかった。ほとんど頑固と言ってもよい。自分が音痴であることなど気にしないといった感じで。自分が楽しいから、リラックスするために、歌うのである。それのどこが悪いんだ。
だが、その朝、彼はお気に入りの歌を歌い始めた時、少なからず驚いたのだった。
この声は! グレッグは普段は、若干、低音の声質をしている。彼自身が、密かに自慢に思っている点だった。だが、この時、グレッグは耳にした音に驚き、思わず手で口を塞いだのだった。自分の喉から出てきた声が、ソプラノの高音の声だったからである。
グレッグは口を塞いでいた手をよけ、咳払いをし、別の曲を歌ってみた。同じだった! しかも、この声は、(からかいとか女性のモノマネをするときに)普通の男性が出すような、偽物っぽいソプラノではなかった。そうではなく、本物の女性のような声だったのである。グレッグは唖然として、何分か、シャワーの下に突っ立っていた。シャワーのお湯が彼の身体に土砂降りのように降り続けていた。
彼がベル博士が言ったことを思い出すまで、時間はそうかからなかった。声質の変化は、ベル博士が言ったことのひとつだった。本当にありえるのか? 他の変化も必然的に起きるのか?
そして、次の瞬間、グレッグは笑いだした。男性的な笑いを意図したが、出てきた笑い声は女の子っぽいクスクス笑いだった。
もちろん、そんなことはありえないさ。声が変わるのと、他のいろいろな変化はまったく別物なのだ。何から何まで、それほど完全に変わってしまうなんて、馬鹿げている。とは言え、この声は気になる。どうしても無視することはできない。
グレッグはシャワーを終え、腰にタオルを巻いた。そして、恋人がいる寝室へと戻り、ドアを開けた。部屋の中、クウェンティンがベッドに座っているのを見た。頭を垂れて、両ひじを膝に乗せている。クウェンティンが顔を上げた時、グレッグは、その表情から、声の変化がクウェンティンにも生じたことを知った。
顔を上げたクウェンティンが言った。
「君もかい?」
彼の声はグレッグの声ほど甲高くはなかったが、男性の声だと思う人は誰もいないだろう。グレッグは頷いた。
「これ、みんなに起きてると思う?」 グレッグは訊いた。クウェンティンは、グレッグの声が変わったのは予想していたはずであるが、実際にその声を聞いて驚いた。グレッグはクウェンティンの驚いた表情に気づき、クウェンティンは素早く表情を隠した。
「どうしたらいいんだろう?」 クウェンティンが続けた。
「僕たちに何ができる? というか、あらゆる専門家たちが、こんなことありえないと言っていたのに、起きたんだ。だから、医者に行っても大したことできないと思う。……それに、たかが声じゃないか? なあ、そうだろ?」
クウェンティンは頷いたが、納得していない様子だった。
「きっと、元通りにする方法を誰かが見つけるさ。政府は世界で最も優秀な人材を集めて、解決法を研究させている。連中は、きっと見つけるよ」
グレッグは、自分でそう言いながら、クウェンティンを慰めるためというより、むしろ自分自身を納得させるために言っていると分かっていた。グレッグはクウェンティンの隣に腰を降ろし、片腕を彼の肩にかけた。クウェンティンはグレッグにもたれかかった。
クウェンティンは顔を上げ、笑顔で言った。「グレッグ? 君が10代の女の子のような声を出してるの、自分で分かってるか?」
「こいつ、黙れ」 とグレッグは言い、クウェンティンをふざけまじりに押しのけた。
ふたりは何秒か声をあげて笑い、その後、もつれ合うようにしてベッドに倒れ込んだ。ふたり横たわりながら、グレッグは言った。
「でも、真面目な話、世界の終わりが来たというわけじゃないんだ。ただ、声が変わったというだけなんだ。僕たちは、前と同じ人間だよ。全然変わっていない」
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