次の他の変化に気づくまで、ほぼ1ヵ月がすぎた。今度は、ふたりがジムに行き、いつものようにウェイト・リフティングをしていた時だった。クウェンティンが、いつもの重量を、普段の半分の回数すらリフトできないことに気づいたのである。振り返って思い出してみると、確かに、徐々に筋力が衰えていた。だが、クウェンティンは、それをストレスのせいか、あるいは、よくある小さな変動にすぎないと、無視していたのだった。
だが、この時、胸からバーベルを持ち上げようとあがきながら、はっきりと自覚した。自分は弱くなっている。それはグレッグも同じだった。ふたりとも、いつも、同じウェイトを同じ回数、行っていたから。クウェンティンは、エクササイズを終え、ウェイトを棚に戻し、立ち上がった。
「ちょっと気分がすぐれないんだ」
クウェンティンは、そうグレッグに言い、そそくさとロッカールームに入った。運動着を脱ぎ、鏡の前に立った。はっきりと目に見えて分かるわけではないが、自分の身体である。はっきりと分かった。彼には、筋肉が大きくやせ細っているのが見えた。前なら、筋肉が隆起し、その隆起の間に深々と谷間ができていたのに……確かに、隆起は見えるが、前ほど隆々としたものではない。確実に筋肉が落ちている。
身長はどうだろう? これははっきりとは分からなかった。クウェンティンは背筋を伸ばして立ち、周囲の物と比較し、相対的にどうだったかを思い出そうとした。ああ、やっぱり。これは想像ではないのだ。実際に、背が低くなっている。多分、3センチから5センチくらい。前は183センチはあったのだが。
ひと月前、クウェンティンはグレッグの前では、何でもないといった体面を繕った、だが、実際は、心の中、全然穏やかではなかった。
クウェンティンは、これまでずっと、自分の身体の大きさに頼ってきたところがあった。この身体が彼に自信を与えていた。もちろん、意識の上では、逞しい身体だけが自信の元であったわけではないが、逞しい身体が彼の個性の中核を占めていたのは事実だった。
したがって、その筋肉が失われかかっている今、彼がトイレの個室に入り、便器にうずくまるように座り、声も立てずに、ひっそりと頬を涙で濡らしているのを見ても、その理由を理解するのは、難しいことではない、
だが、クウェンティン自身にすら、その涙の理由ははっきりと分かっていたわけではない。彼は、ただ、彼の世界がぼろぼろと砕け落ちていくような気持ちだっただけである。彼は便器に座ったまま、前のドアを見つめながら、ほぼ5分間、涙を流していた。そして、馴染みのある声が彼に問うのを聞いた。
「クウェンティン? ここにいるのか?」
グレッグの声を聞き、クウェンティンは鼻を啜り、顔から涙をぬぐった。
「ああ、ちょっとだけ」
クウェンティンは立ち上がり、トイレのドアを開けた。そしてすぐに洗面台に行き、顔に水を当てて洗い始めた。グレッグに顔を見られないように注意した。こんな顔を見せたら、性格の弱さをあからさまに見せてしまうようなものだ。そうクウェンティンは思っていた。そんな顔を恋人に見せるわけにはいかない。
クウェンティンは肩に手をあてられるのを感じた。優しく擦ってくれている。顔を上げると、そこにはグレッグがいた。
「大丈夫か?」
「ああ、ちょっと気分が良くなかっただけだよ」 とクウェンティンは嘘をついた。
「本当か?」 グレッグはしつこく聞いた。
「ちょっと、吐き気がしてね」
「なんなら、今日は仕事を休んでもいいんじゃないか? そうだよ。家に戻ろう。そうすれば、明日には気分が良くなっているさ」 とグレッグは提案した。
「そうだね」
クウェンティンはそれしか言わなかった。明日になっても、この悲しみが癒えているわけでは決してないのは分かっていた。これは、永遠に治らないし、進行が止まるわけでもないのだ。
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