「願い事には注意して」 Be Careful What You Wish For by YKN4949
第1章 魂を売る
「ねえ、ラリッサ? あたし、今夜デートなの。なので、お願い。あたしの犬を散歩に連れて行ってくれない? 寝る前に。何時でもいいから?」
ルームメイトのウェンディがドアを開けた音は聞こえていなかった。だけど、彼女の要望は聞こえた。あたしは、急に彼女に声をかけられ、びっくりしてちょっと椅子から跳ねあがってしまった。
急いでパソコンのブラウザを閉じる。パソコンの画面は彼女には見えなかったはず。身体で視界をブロックしていたはず。それに、シャワーを浴びた後、タオルを身体に巻いていたんだけど、それも解いていなかったのは本当に幸いだった。だって、もし毎週金曜の夜のあたしの計画について、ウェンディにバレたりなんかしたら、あたし、もう生きてはいけないもの。部屋に閉じこもって、違法にダウンロードしたポルノを見ながらオナニーするなんて。
あたしは振り返って、あたしの寝室に入ってくるウェンディを見た。
「うん、いいわよ……あたし、どこにも行かないから。散歩に連れてってあげる」
そう答えながら、自分がつくづく負け犬で、金曜の夜だと言うのに何の用事もないことを認めてしまってることを自覚した。でも、負け犬だって認めてるんだったら、そもそも、あたしは何を心配してるのかしら?
ウェンディは、あたしのデスクの奥に鏡があるのを見つけて、近寄ってきて、あたしの肩越しに鏡を見た。あたしは、何を見ていたか覗かれないようにと、静かにノートパソコンを閉じた。ウェンディは鏡に映る自分の顔を見ながら、髪の毛をいじったり、唇を尖らせたりした。
「ラリッサにならお願いできると思っていたわ!」
あたしは小さく泣き声をあげた。週末には確実にスケジュールが空いていると、自分のルームメイトに確信させてあげることは良いこと。あたしには何の用事もないのが嫌って言うほどはっきりしてるから。あたしの泣き声を聞いてウェンディは、あたしがちょっと不満に思ってるのに気づいたみたい。
「ラリッサって本当に模範的な学生よね。あたし、あなたは、今夜は家にいて勉強するんだろうなって思っていたもの。あなたの楽しい日は土曜日の方なんでしょ?」
ウェンディは寛大にもそう言ってくれた。事実じゃないけど、そう言ってくれたのは優しい。確かにあたしは社交面では不活発だけど、それは、あたしがガリ勉だからじゃない。ウェンディが気づいてないことは何かと言うと、この2年間、彼女のルームメートだった人(つまり、あたし)が2ヶ月前に成績不振で退学になっていること。あたしの成績は、これまでもずっと不振続きで、今年になってからは、かろうじて残っていた勉強への動機も失ってしまったのだった。あたしが、勉強でパスできたからって何かいいことがあるの? 学位を取れたからといって、学位を持ったみじめ人間になるだけじゃないの、って。
あたしは、何にも集中できない気持ちになっていた。これはずっと前からのあたしの問題。ママがよく言っていた。あたしは雲の中に頭を突っ込んでいるって。目の前に現実の目標があって、それに集中すべきときなのに、手に入れられそうもないモノを夢見ているって。
ママが言ってたことは正しいと思う。大学に入ってからの3年間、あたしはキャンパスの可愛い人気者になることを夢見てきていた。人気者になったらどんなことがあるだろうって、いろいろくわしく妄想していた。でも、あたしがそんなふうにみんなの人気者になりたいって願うということは、逆に言えば、どうしたらその夢をかなえるかについて、あたしは、何にも知らないということ。人とどう付き合ったらよいか知らないから、みんなの中で人気者になりたいと願って、夢に見るわけ。
実際、あたしは、人に話しかけずに済むなら、めったに話しかけない。退学になる前でも、あたしの名前を知ってる学生は10人もいなかったと思う。それに、そういうあたしの愚かな夢のせいで、あたしは気が散ってしまって、講義にぜんぜん集中してなかった。もし本気で全精力を傾けたなら、落第して退学なんて避けられたと思うんだけど。
退学になったとは、まだ誰にも言っていない(パパから仕送りを受け続けるため)。キャンパスの近くの中古ビデオショップでバイトの仕事を始めたところ。誰かに見つかる前に、何かいいことが起きて、あたしの問題を解決してくれたらいいなと思っている。あ、でも、あの仕事もダメになったんだった。今日の午前中にクビになってしまったのを忘れていた。店番している時、ぼんやり宙を見つめていて、10代の悪ガキどもがDVDを盗んで、建物の壁にぶつけて壊してたのに気づかなかったから。
あ、忘れる前に言っておくけど、ウェンディはもうひとつのことについても間違っている。土曜日も、あたしの楽しい日ではない。明日の夜の計画はというと、今夜と同じこと。あたしの人生って、ホント、ごみ溜めみたいなものよ。
「ラリッサ、あたし、どう? 可愛い?」 とウェンディが訊いた。その声に、あたしは自己嫌悪から一瞬、抜けだした。顔を上げ、鏡の中を覗きこんだ。
すでに時刻は8時、彼女はデートに向けて完璧ないでたちだった。彼女の曲線美豊かな腰や形の良い太腿をぴっちり包み込むような流行の黒いタイトなドレス。ハイヒールを履いて、引き締まったお尻をキュッと持ち上げると同時に、素敵なふくらはぎに視線を引きつける。
瞳は大きく緑色で、アイシャドウを注意深く塗って完璧と言ってよいアクセントになっているし、ピンク色のぷっくりした唇もリップ・グロスで輝いていた。髪は長く蜂蜜のようなブロンドで、毛の先端に至るまでストレートなさらさら髪。髪やリップやシャドウの強めの色が、ミルクのように白い肌から浮き出て見える。ウェンディは、あたしが知ってるうちでも最高クラスに入る可愛い娘なのは事実。ボディには目を奪われるし、顔も欠点が何もない。
「完璧だわ」 と言うとウェンディは目を輝かせた。
「ありがとう。優しいのね。でも、あたしなら完璧とは言わないわ。あなたほどじゃないもの!」
あたしは力なく微笑んだ。
ウェンディは、こういう点では、ちょっとぎこちないところはあるけど、いつもとても気立てが良い。あたしがルックスについて気にしてることを知ってるからか、いつもルックスについて良いことを言って、おだててくれる。
でも、彼女のおだては、時々、恩着せがましい感じもする。あたしより彼女の方が可愛いのは誰が見ても明らかなのだ。鏡で自分の顔を見てみたが、いつもの顔。ほどほどのルックスの女の子。それ以上では決してない。長い黒髪でゆったりしたカールで背中に流れてる(これがあたしのベストな特徴)。そして大きな青い瞳。まつ毛はウェンディのより短いし、鼻もちょっと小さい(かと言ってウェンディの鼻が大きいと言ってるのではない)。背も彼女より低い(ウェンディは175センチでほっそりとしてる。一方、あたしは155センチでガリガリに近い痩せ形)。肌は彼女より濃い目で、オリーブオイルのような色。脚はいい形をしていると思うけど。
時々、こんなあたしでも、案外、かなり可愛いんじゃないかと思うことがある。特に今みたいにシャワーを浴びた直後とか、そう思う。そして、特にそんな時、どうしてウェンディには、デートに誘おうと素敵な男たちが群れ集まるのに対して、あたしは独り家にいて、自分で自分を慰めなくちゃいけないのかって思う。ぜんぜん、理屈が分からないと。どうしてウェンディはあたしが夢に思う生活ができて、あたしは部屋に座って、ただ切望し、自分が情けないと思ってるの? あたしとウェンディ、そんなに違わないと思うのに。
そんなことを考えていたちょうどその時、ウェンディが身体を傾けて、鏡の中を覗きこみ、唇の状態を確かめた。そしてあたしと彼女の違いが、あたしの左腕に押しつけられた。違いの左右両方とも。
それに気づくのにいつもちょっと時間がかかるのだが、この時は速攻であたしは悟った。ウェンディには完璧な形のCカップの胸があるのだ。ドレスから溢れんばかりになっている乳房。あたしは自分の胸元に目を落とした。身体に巻きつけたタオルを支えるのもやっとな胸しか見えなかった。21歳になるのに、トレーニング用のブラすら必要ない。見た目は、12歳の男の子の胸と同じ。こんな女と誰がデートしたがるだろう? 人が聞くと馬鹿げてると思うかもしれないけど、あたしは、この左右の虫刺されみたいなモノがあたしのすべての問題の根源なのだと確信した。
その時、あたしたちが借りている家の前から、クラクションの音が聞こえた。ウェンディのデート相手ね。
ウェンディはもう一度、鏡を覗き、確認した後、「お犬の散歩、引き受けてくれてありがとう」とあたしの頬に軽くキスをして、出て行った。
キスする時の彼女の唇が震えているのを感じた。「諦めなさいよ」のキスね、と思った。また、ひとりぼっちの金曜の夜か。行動予定の変更の見込みもほぼゼロ。
椅子に座り、鏡の中、自分の顔を見つめた。孤独感と自己嫌悪がずっしりと両肩に乗ってくるのを感じた。いつもお馴染みの涙が、目に溢れてくるのを感じた。そして、これもいつもお馴染みのことだけど、あたしは現実の生活から抜け出て、物事がもっと良かったらどんな生活になっていただろうと想像し始めた。あたしが今のあたしというより、ウェンディに近い存在だったら、どうだろう? 素敵な彼氏とデートに行って、お食事をして、映画を見て、意味深な視線を交わしあったり、焦らすような冗談を言い合ったり…。
これは、あたしが金曜の夜に思い浮かべる、いつもの夢。毎週金曜、オナニーをした後、不安感が必ず襲ってくる。そんな時に見る夢だ。そして、その夢から覚めると、前よりもっとみじめになるし、孤独に襲われる。
この日は、もはやオナニーする気にもならなかった。だから今夜は完全にムダな夜になる。また、ここにひとりぼっちで座っていたら、また泣き出してしまうだろう。しょうがないから、あたしの一番の親友を呼び出して、彼女に慰めてもらおう。あたしはそう決めた。
「トリキシー、おいで! 散歩に行こう」
小さな毛玉が、跳ねるようにして部屋に入ってきた。あたしはタオルを引きはがして、素早く運動用のショートパンツと白いタンクトップに着替えた。わざわざブラをつける必要も感じなかった。
数分後、あたしは、リード用の紐を握り、21年目にして初めてのデート相手と散歩に出かけていた。毛深い女性はあたしのタイプじゃないけど、相手を選べる立場じゃない。