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願い事には注意して (3) 

彼女はちょっと意地悪そうな笑みを浮かべてあたしを見ていた。でも、完全に落ちつき払っている感じ。

あたしはちょっと彼女から視線をそむけ、床の穴を見た。こんなのありえない。彼女がこの穴から出てきたなんて……

彼女はあたしが視線をあっちに向けたりこっちに向けたりしてるのに気づいたようだった。ベッドに両手をついて、前のめりになり、ベッドに入ったままのあたしに顔を突き出すようにした。その姿勢のせいで、大きな乳房が左右から押されて、むにゅーっと盛り上がる。あたしは自然とそこに目を向けた。

「あんた、あたしのおっぱいを見つめ続けてるだけ? こんにちはも言ってくれないの?」

すごく官能的な声。

あたしは2秒くらい目を閉じ、そしてまた目を開けた。目を閉じてる間に、この人が消えてくれればいいいのにと思って。

「あたしはまだいるわよ」

彼女は身体を起こして、そびえ立った。背が高いというわけではない。あたしとあまり変わらない。でも、背が高いように感じてしまう。彼女はあたしにウインクして見せ、片手に尻尾を握って、誘惑するような感じで、振り回した。

「誰……?」 ようやく声を出したが、小さなかすれ声しか出なかった。

「ラリッサ」

「何……?」 少しずつ普通の声に戻り始めた。

「あたしに会うと、自分の名前を忘れちゃう人がいっぱいいるのよねえ。あんたの名前はラリッサでしょ?」

そう言って彼女はベッドの横へと回ってきた(穴が開いていない方の横側)。そして、けだるそうにベッドに腰を降ろした。

「いえ、何が……?」

そう言いかけて思った。どうして彼女はあたしの名前を知ってるの? とは言っても、別にその疑問が重要だったわけではない。頭の中が混乱しきっていたし。でも、それが最初に浮かんだ疑問だった。

「あら、あたしのことを知りたいの? はじめまして。会えて嬉しいわ。あたしの名前、当ててくれるといいんだけど」

あたしは眉をしかめた。

「どう?」

どんどん頭が混乱してくる。彼女はつまらなさそうにクスクス笑い、瞳をくるくる回して見せた。

「あんた、若すぎるようね。ローリング・ストーンズは? まあ、どうでもいいわ、あたしをリリスと呼んでいいわよ」(訳注:ストーンズのレコード会社はリリスと言う)

あたしはちょっと驚いた。何か、もっと邪悪な名前を予想してたから。ベルゼブブ(聖書での大魔王の名)とかなんか。

「血統の良い名前なのよ。いつかグーグルで検索してみて」 とリリスが言った。また、あたしの心を読んだみたいだった。

そう言って彼女は、ベッドの上、仰向けに倒れ、背伸びをした。毛布の上からだけど、あたしの両脚の上に背中を乗せるような感じで。

彼女の匂いがした。硫黄の匂いではなく、バラの花の匂いに近い感じ。毛布の上から彼女の体温も感じた。すごく熱い。でも、火傷するほどではない。

リリスは横になったまま背伸びをした。関節がポキポキなる音が聞こえた。じっと天井を見つめている。呼吸に合わせて、彼女の胸が上下に隆起を繰り返していた。ビキニの中、乳首が固くなっているのが見えた。寒さを感じた時に固くなるのと同じ感じで。リリスは寒さを感じているの?

「いったいあなたは誰?」

そう言うと、彼女は笑いだした。あまりに笑いすぎて、横になってばかりもいられず、身体を起こし、あたしを見た。また、あたしに興味をもったような顔をしていた。瞳は、さっきまでは黒かったのに、いまは赤く輝いていた。

「適切な質問ね。見かけよりは面白そうな人だわ」

「あなたは誰?」

「リリスよ。もっと面白い質問をしなさいよ」 と退屈そうな目を向ける。

「どこから来たの?」

そう訊くと、リリスは笑顔になった。彼女の歯が本当に鋭い牙になっているのが見えた。舌でゆっくりとその歯をなぞっている。舌は黒っぽい血のような赤で、フォークのように先割れしていた。

「その答えは知っているでしょ? 答えを知らない質問をしなさいよ。最後のチャンスよ。あたし、だんだん退屈してきてるんだから」

リリスがどこから来たか? 心の奥では答えは知っていたが、それを受け入れる気にはどうしてもならなかった。

でも、彼女が退屈したら、いったい何をしでかすか、それの方が恐ろしかった。あたしは別の質問をした。

「なぜここに来たの?」

リリスはニヤリと笑い、また仰向けに転がった。そしてあたしの横にすり寄ってきた。いまは、(毛布の上からだけど)あたしのお腹の上に寝転がっている。肘枕をして、顔をあたしに向けていた。

「あんたがあたしを召喚したんじゃない、ラリッサ?」

「そんなことしてないわ!」

すっかりわけが分からなくなって叫んだ。あたしは、人から宗教的な人と呼ばれるようなタイプではない。ましてや、助けを求めて、あ…悪魔を呼び出すなんてあり得ない。こんなこと完全に狂っている。

リリスは肩をすくめ、口を開いた。口の中、赤い舌は動いてなく、平らに収まったまま。なのに、彼女の口から声が出てきた。まるでテープレコーダのように。

「もうイヤ! 素敵なおっぱいができるなら、こんなあたしの魂なんか売り飛ばしても構わない!」

あたしの声だった! リリスの口から出てきてるけど、まったくあたしの声と同じ! そして、何時間か前に、その言葉を吐いたのを思い出した。あたしはまた頭を左右に振り始めた。

「否定するのはヤメな!」

リリスは身体を起こした。怒った声になっていた。

「あんたもあたしも、あたしが誰で、あんたが何を求めたか知ってるの。さっさと本題に取り掛かるのよ」

「いや、あたしは、ただ、感情をぶちまけただけなの。別に望んだわけじゃないの」

あたしは、この部屋で起きてることと、世界についての真理や物事が作用する仕組みについての知識との、つじつま合わせができずにいた。でも、ここに、あたしの目の前にリリスがいることは事実。ということは、リリスと契約を結ばなければならない?

「あのねえ、あたしは感情をぶちまける人のところには来ないの。本当に心から願ってる人のところにしか来ないの。いいこと? あたしを信じることね。あたしには嘘は見抜けるのよ」

リリスはそう言って、ウインクした。あたしは少し前のことを思い浮かべた。不満に思うことや、落胆させることが山ほどあって、一度にあたしに襲ってきたあの時。あたしは本気で言ったのか? すごく不幸な気持ちだった。いまでも不幸だけど。

「ええ、確かにあの時は本気だったわ。でも、今はもういいと思ってるの」 そう言った。

人生で、あたしがこういうことを言ったり、思ったりしたのは、何度目だろう。あたしは、そんな願いを言っても叶いっこないと知ってたから、そう言ったのか? それとも、心の中、本気でそれを求めていたということか?

「あたしが誰かに会いに来るときは、その人は心から求めていたモノを欲しがっているの。あたしがこうやって出向くのは、年に2回程度なのよ? それにあたしが望みを叶えてやると言えば、人間は受諾するものなの。妙な自意識は捨てて、魂をあたしに売りたいと思ってると観念しなさいよ」

「気持ちが変わったのよ」

あたしは良く考えずに、そう言った。これは狂っている。第一に、誰かに自分の魂を売るなんてことがそもそも不可能。起こりえないこと。それに、たとえそれが可能だとしても、おっぱいのために魂を売るつもりなんてない。第二に、今のあたしが何らかの精神的障害状態に陥ってるのは明らかであり、……

「気持ちを軽く持って」 とリリスが言った。今は暖かい笑みを浮かべている。魂の代わりにどんなものが得られるか、まだちゃんと聞いてないでしょう? あんたがあたしのところに来たのは運がいいのよ。いや、あたしがあんたのところに来たのか? どっちにせよ、あんたの魂の価値に見合うものを与えてくれる人なんて、そうそういないのよ?」 
リリスは早口になっていた。ちょっと中古車のセールスマンの口調になっていた。

「いえ、あたしは……」

「それに今は11月。11月には特別契約を実施してるの。今すぐ行動した方がいいわよ。いったん契約がテーブルに乗れば、5分以内に見返りが得られるから。5分よ。魂を売ってから、手に入れるまで、たったの5分……ええっと、ちょっと待ってね」

リリスはしゃべりながら、身体を反転させ、あたしの腰の上にまたがった。両手をあたしの首の左右に添えて、前のめりになって顔を近づけた。リリスの美しい顔が、あたしの顔から10センチも離れていないところに近づく。彼女の呼気からバラの香りがした。

「あたし、魂を売れない。地獄に行っちゃうもの」

この時点では、自分でも、どうして魂を売りたがっていないのか真面目に考えていなかった。それも一種、自然な反応だと思う。魂を売ることは悪いこと。だから、売らない。それ以上でも、それ以下でもない。

「あたし、たいていの時間は地獄にいるの」 とリリスが急いでつけ加えた。「あそこ、大好き。あんたも気に入ると思うわ」

リリスの瞳を覗きこんだら、今は青白い炎で燃えているように見えた。

「あ、あたし……」

「あんた、魂が必要なのね。自分の魂をいつも近くにおいておいて、キスしたりして、大事にしていたいのね? あたしにも分かるわ。あたし、今すぐ奪ったりしないから。あんたが死んだときにもらうから。ねえ、正直になったらどう? あんた、そんなに品行方正な人生を送っているわけじゃないじゃない? というか、妬みやひがみだらけの人生じゃないの? 確率的には、あんた、どのみち地獄に落ちる可能性の方が高いわ。だったら、地獄か天国か、どっちか分からない宙ぶらりんの状態を解消しちゃって、地獄に落ちると諦めて、そこから何か得た方が、いいんじゃない?」

「いや、そういうのとは違うの」

そうは言ったけど、心の中は違っていた。リリスが言うのは正しい。あたしは信心深い人間じゃないし、これまでも、神は存在しないと考えて生きてきた。まあ、それを言ったら、リリスも存在しないと考えて生きてきたんだけど。

ともかく、リリスはここにいて、あたしが間違っていると言っている。どのみち地獄に落ちて、身を焼かれるのなら……だったら、今の自分にご褒美をあげていても構わないんじゃ?

リリスは、あたしの目を見て、心の変化を読み取ったに違いない。

「よく考えて、ラリッサ。あんたがどうしてそういうことを言ったのか、あたしには分かるわ。孤独になることも、怒りを感じることも、恥ずかしさも、不安感も、どういう感情かあたしは良く知っている。あんたが毎日、どんな日々を送っているのかも知っている。そんな人生、送る必要ないのに、あんたは。なのにこれからも今の人生を続けて行くつもりなの? 今日はあんたのサインだけもらえればいいの。他は何も求めていないのよ」

リリスは、あたしが自分について考えてきたことのすべてに触れてきた。あたしの考えてることを見通している。それに加えて、まさに痛いところを突いてくる。あたしには自分の人生を自分の力で直す決断力が欠けているのは明らか。本当に、これって、あたしが求めていたことのすべてじゃないの?

「ねえ、サインしてくれる?」

リリスは乳房の間に手を入れ、中から小さなノートを引っぱりだした。それから耳の後ろからペンも出してきた。あたしはそれを受け取り、彼女を見つめた。

「どうしよう……」

リリスの目がしだいに飢えた感じになるのが見えた。一瞬、こんなことものすごく狂っていると思った。こんなことが本当に起きてるなんてあり得ない。これって、何か、奇妙な夢かなんかじゃないの?

でも、同時に、あたしは願い事をかなえられたらって、何度も期待してきたことを思い出した。人生を変えることができたらいいのに、と。これが夢なら、何も害はない。でも、これが夢じゃないなら……でも、あたしは、幸せになっちゃいけないのだろうか? あたしだって……。リリスはうまいところを突いている。

切り替えが速すぎるように思われるのは知ってる。魂を売ることにぜんぜん乗り気じゃない状態から、売ってもいいかなと思うようになるまで速すぎるのでは、と。でも、あたしには、実際、それほど速かったとしか言えない。

最初は、当然、魂を売ることを拒否した。でも、その後、落ちついてよくよく考えてみたら、あたしは、そもそも自分の魂を使っていないことに気がついたのだ! あたしの魂以外の部分は、みっともなくて、目も当てられない代物なんだけど、それで言ったら、あたしの魂自体もみっともなくて、目も当てられない代物だったと気づいたのだった。あたしには、守るべきものなど、そもそも何もなかったのだと気づいたら、急に、魂なんかどうでもいいじゃないと思った。大事なのは、今の自分を変えること。それだけだわ。しかも今すぐに。

「さあ、どうする? ラリッサ?」

リリスはあたしの魂を得ようと必死になっているのに気づいた。彼女の目の色からそれが分かる。今ならチャンスがあると思った。魂を売る時に、おまけを得るチャンス!

「そうねえ、何かもらえるんでしょ?」

「おやおや、偉そうに!」 リリスは高慢な口調でそう言ったが、顔は笑っていた。「誰かさんは、魂を売ることについて交渉しようとしているようだね。その種のことをやっただけでも、地獄に落ちるのに充分。まあ、あたしは好きだけどね、そういうの。あんたに何を提供するか、話してあげるわよ」

リリスはそう言って、あたしから離れ、あたしの膝の上にしゃがんだ。

「何をくれるの?」

「まずは、おっぱい。それをあんたにやるわ。あんたが望んだモノだからね。あんたが魂を売る代わりに得るものが、それ」

と、そこまで言って、リリスは話しを止めた。おっぱいが欲しいというのは、あたしもリリスも知ってること。でも、あたしはもっと欲しいのよ。あたしは目を落とし、自分のぺったんこの胸を見て、それから顔をあげ、リリスを見た。

「あたしの魂を奪っておいて、おっぱいしかくれないなんて、思ってないわよね?」

そう言うと、リリスは大笑いした。

「あんた、自分で思ってるほど弱くはないわよ。なかなかヤルじゃない? さっき、あたしは取引するって約束したでしょ? まずはおっぱい。それは今夜にも、もらえるでしょう。でも、それに加えて、続く二晩連続で、2つ、追加の要望を叶えられることになるわよ。一晩にひとつずつ。2夜連続。合計、3つ願いをかなえられるの。人間って、3つのお願いってのが大好きだからね。千夜一夜とか。父と子と聖霊のためにお願いしてもいいわよ、その気があるならだけど。ともかく、魂との交換で、願い事3つを提供するわ。もっと願い事を叶えてもらう願い事は不可とか、いろいろあるけど。で、どう? ラリッサ?」

リリスは一通り離し終えると、手の爪を見た。一種、「あたしはどうでもいいんだけどね」といったフリをしているのだろう。あたしも同じようにしたかったけど、できなかった。お願いが3つも叶う! それならどんなことでも、欲しいモノ何でも手に入れられる。とても、ポーカーフェースを装うことなどできなかった。

「取引するわ!」 とはっきり言った。

リリスは素早くノートをあたしの顔の前に突き出した。あたしはさっきのペンを握り、ノートを見た。何も書かれていない。あるのは、1本の直線と、その先に×印だけ。リリスを見たら、彼女は眉毛を上げた顔をした。心臓がドキドキしている。

「サインしなさい。そうすれば、もう二度と、自分は要らない人間なんだなんて思わずに済むようになるから」

またもあたしの胸に突き刺さるような言葉を振りかけてくる。あたしはノートをおいて、名前をサインした。すぐに胸に目を落とした。すると……何も変わらない。

「どういうことよ、リリス? ちゃんと最後までしなきゃ、魂をあげないわよ!」

突然、リリスの瞳が紫色に輝いた。そして、素早く立ち上がり、ベッドの上、仁王立ちになった。威嚇するようにそびえ立っている。全身から純粋な悪意が放たれてくる感じがした。

「奴隷の分際で、あたしに説教しようなんて思わないことね! あんたは、この地上には2年程度しかいられないのよ。その後はあたしのモノになる。つべこべ条件を言うのは止めることね! あんたには、願ったことをすべてやるわ。でも、それはあたしのやり方でヤルということ!」

リリスの声が頭の中でこだました。急に恐怖に襲われた。今まで経験がないほどの恐怖。あたし、なんてことをしてしまったんだろう?

次の瞬間、リリスの尻尾がびゅんと飛んできて、あたしの頭の横を強打した。そして、世界は真っ暗になってしまった。


[2015/11/09] 願い事には注意して | トラックバック(-) | CM(0)

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