ifap_63_a_man_from_the_past
「いやぁ、君、かわいいねぇ」 男の声には、あたしが彼を無視できないのを自覚しているような自信にあふれていた。「こっちに来て、おじさんの膝の上に座ってみないかな?」
彼は、あたしが誰か認識していない。彼には認識しようがないだろう。最後に会った時から何年も経て、あたしがどれだけ変わったことか。彼には、自分が呼び出したシーメールの娼婦と昔のあたしとを結び付けることはありえないだろう。あたし自身も、これは偶然なのだと自分に言い聞かせていた。
あたしは彼に近づいた。自分が素っ裸だということを嫌というほど感じる。彼が、元のあたしのことを知って、今のあたしを見る。それだけは絶対いやだ。あたしは、あの昔の自分を忘れるため、以前の自分から離れるため、できることをすべてやってきた。すべてを捨ててきたし、すべての人とも断絶してきた。すべて、過去の自分と直面せずにすむよう願って。なのに、今、あたしの過去そのものが目の前にいる。椅子に座って、あたしのカラダをいやらしい目で舐めまわすように見ている。ここから逃げることもできない。
彼の膝の上に座った。猫なで声で言った。「おじさん? あたしに何をしてほしいの? あたし、とっても悪い娘だった?」
「そうだな、おじさんに話してくれないかな。どうしてお前は私を殺そうとしたのか? リック?」 冷たく感情のない声だった。
「な、なに?」 あたしはつぶやき、腰を上げようとした。でも、彼はツタで絡みつくようにあたしの腰を抱き押さえた。丸々とした肉付きの両手があたしの柔肌に食い込んでいた。「り、リックって誰のこと?」
「無駄な話はやめろ。お前が誰か、知ってるんだよ。5年前、お前は死にかかっていた俺を放置して逃げた。そのわけを知りたいんだよ」
「あ、あたしは……」 よい言い訳を考えようと、口ごもった。「別に…何と言うか…」 あたしを抱く彼の腕にさらに力が入った。その強さに、思わず、あたしは悲鳴を上げた。「ご、ごめんなさい。本当に、ごめんなさい、マック。ああするつもりはなかったの……」
「どうしてだ?」 マックは怒鳴り声をあげた。
「あ、あなたが死んだと思って」 あの日のことを思い出していた。あたしとマックは仲間だった。親友だった。そして、あの銀行には人は誰もいないはずだった。だけど、実際は、そうではなく、急速に悪い展開になっていき、マックは複数、銃弾を撃ち込まれ、血を流して歩道に倒れてしまう結果になったのだった。「あたしは逃げたわ。全部持って、走り続けた」
単純化しすぎた話だったけれど、嘘ではなかった。あたしは逃げ続けた。しかも、単に逃げる以上のことをたくさん行った。自分の背後には裏切りの道の跡が続いてると感じていたし、何十人もの非常に危険な人間たちがあたしのことを追っていると感じていたので、あたしは、身体を変えたのだった。何か他の存在になったのだった。自分のアイデンティティも、男であるということ自体も捨て去った。すべて自分の過去を消すためだった。そして、しばらくの間は、それはうまくいっていたのである。あの、マックがコールガールとしてあたしを呼ぶまでは。
「お前は逃げるべきじゃなかったのだよ」 マックは低い声で言った。その感情は読み取れなかった。「俺を助けるべきだったんだ」
「わ、わかってるわ。本当にごめんなさい、マック。本当に、本当に……」 マックが返事しないので、訊いてみた。「それで、これから、どうすれば?」
「今夜、これから、お前が俺に償わなければならないことをしっかりやってもらう」と彼は言った。「そのあと、残ってるカネがあるところに俺を連れていけ。娼婦として働いてるところを見ると、あまり残ってねえんだろう。だが、俺は全部いただく。その後は、目にした限りのウイスキーを買い込んで、それに溺れることにするつもりだ。そして、お前を見つけたことを忘れるつもりだよ」