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Choice and consequences 


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私は決断した。そして今、その決断の結果を受け入れている。少なくとも、そういうふうに私は自分に言い聞かせている。それに、その決断は正しかったのは確か。そもそも、選択の余地はなかったし、論点も意味がなかったし。ともかく、引き返すことはできない。自分で望んでいたかというのもあり得ない論点。ともかく、望みどおりに生活させてほしいというだけの話しだった。今は、ただ、前のように生活させてくれればいいのにと願っている。それは、そんなに悪いことなのだろうか?

私たち夫婦は、ずっと子供が欲しいと思っていた。でも、それは問題だと思わない人は山ほどいると思う。そういう人は、ゲイの人というのは、テレビによく出てるようなお笑い担当の人だろって思ってる。でも、私たちはそんな人たちとは違う。一生を一緒に暮らしていきたいと思った、ごく普通の人間。だから、この世界に子供たちを連れてきて私たちと一緒に暮らしてほしいと思っても、別にびっくりするようなことじゃないはず。

私の人生で一番幸せな日は、ゲイ同士の結婚が合法化された日。まさにその翌日、彼と一緒に裁判所に行って、私たちふたりのことを合法としてもらった。二番目に幸せな日は、トーマス機関のことを知った日。その機関の助けを得れば、ポールとあたしの間で子供を持つことが可能になると知った日。

どういう仕組みでそうなるかは分からないけど、私の体の中で成長している卵子が、私のDNAで成長しているのを知っている。この子は遺伝子的にも私たちの子なのだ。奇跡のような技術。

私たちのどっちが子を産むか、その選択は難しくなかった。ポールの収入は私のよりずっと多かったから。私たちのどっちが子を産む負担を背負うかとなったら、私がその役割になるのが理にかなっていたし、私も喜んでその仕事を受け入れた。私は、とても現実とは思えない、自分が妊娠するという考えにロマンティックな気持ちを持っていた。

でも、私がつまずいた点は、その点ではない。いや、私は妊娠して気分の浮き沈みが激しくなるとか、強い欲求が出てくるとか、出産時の痛みとか不快感とか、全部、心づもりはできていた。私が予想していなかったこととは、体の変化だったのである。

私は決して女性のような体になることを欲したことがなかった。私は男なのだ。乳房も大きなヒップも、何もかも欲していなかった。単にお腹が膨らむだけだろうと思っていて、それはそれで構わないと思っていたのだった。でも、実際はそういうふうにはなっていないのだった。

周りの人々が私たちに接する態度がすごく変わった。可笑しいくらい変わった。みんな、私が女性のように見えるため、私を女性だとみなすようになった。私たちは「ノーマルな」カップルだとみなすようになった。怪訝そうな眼差しや、決めつけるような眼差し。それがすべてなくなった。このようにして、私たちは受け入れられる存在になったのである。私たちは問題ないと。そこが嫌な点。「ノーマル」だとして受け入れられる感覚を享受している自分が嫌い。これまでずっと必要ない、欲してもいないと言い続けてきた承認を与えられていることが大嫌いなのである。

だけど、今はそれが私の生活の一部になっている。もはや元に戻ることはできない。再び男性に戻ることはできない。妊娠し、子供が生まれた後も、私の体は元の体形に戻らないだろう。それが、母親になるために私が払った代償なのだし、私はそれを受け入れている。ではあるけれども、だからと言って、時々、自分の決断が正しかったのかと迷わないわけではないのだ。

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[2017/12/04] 本家掲載済み作品 | トラックバック(-) | CM(0)

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