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Fathers and sons 「父と息子」 

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64_Fathers and sons 「父と息子」

私は性差別主義者ではない。私は同性愛者嫌いでもない。そして、私は、誰であれ、単に染色体がたまたま本人が自覚する性と同一でないということだけで、その人のジェンダーが他の人のジェンダーより劣っていると思う人間では決してない。私は、他の人に負けないほど進歩的な考えの持ち主だと思っている。であるが、たとえそうであっても、自分の息子が女の子だと知るのは非常に、非常に辛いことである。

まさにそう感じる自分自身に嫌悪感を感じてしまう。本当にそう感じている。そのような考え方は間違っているのは分かっているし、彼を(彼女をと言うべきか)ありのままの姿で受け入れるべきであることを分かっているし、これまでと同じように彼女のことを愛するべきであることも分かっている。頭では分かっているのだが、どうしても、息子が一緒に育った他の男の子たちと同様に成長してくれたらよかったのにと願わずにはいられないのだ。

最悪なのは、過去を知る人と会うときである。息子の昔の友達の父親たちと会い、彼に息子は最近どうしているかと聞かれるときである。正直になれたなら、私はそんな父親たちにこう言うだろう。息子はようやく本来の自分を発見し、幸せになれたと。そんな強い心をもった息子を自慢に思っていると。だが、私は嘘をついてしまう。真実を隠してしまう。性別を明らかにしなければならない代名詞を使うことを避けてしまう。彼らがあまり深く掘り下げないように願いながら、実行し慣れたカモフラージュの壁の陰に隠れてしまうのだ。

息子が大きくなるにつれて、私は彼が他の男子とは違うところがあると思ってきた。どのくらい根深いものかは分からなかったが、そういう印象は持っていた。そのヒントも目にした。それを無視しようとどれだけ頑張っても、そう考える手掛かりが目の前に出てきて、目を背けようとも否応なく目に入ってきたものだった。だが、息子はずっと黙っていた。彼が言ってくれたのは、大学に進んでしばらく経ち、すでに女性化する道に入り始めた後だった。

息子のベッドの下にパンティを見つけたときを思い出す。私は、息子にガールフレンドができて、それを隠しているのだと自分を納得させた。息子の顔に化粧の跡があるのを見つけた時を思い出す。息子のクローゼットの上のところに男性器の形をした玩具があるのを見つけた時を思い出す。それでも私は、そういう変わったことを説明するあらゆる可能性を信じこもうとしていた。そういう可能性がますますあり得なさそうに見えてくるにも関わらず。

とうとう息子が私に話してくれた時、私は驚かなかった。私自身が認めたがっていようがいまいが、ずっと前から私には分かっていたことだったから。そして、息子の告白に私は心暖かに、支援する反応を示した。私の世界に新しく娘ができたのだと歓迎した。その新しくできた娘を愛していると息子だった彼女に言った。私はその娘を誇りに思っていると伝えた。本当にそう伝えたし、誇りに思っていることも本当だった。

だが、それでも、私は彼女のことが恥ずかしいという恥ずべき気持ちから逃れることができずにいる。いかに心の奥深いところにその感情を埋め隠しても、依然としてその感情は存在し、私の思考に影響を与えている。願わくば、その感情を彼女から隠し通すことができればと思っている。理想としている父親のふりをしているのであるが、最後までそんな父を演じ続けることができればと願っているのだ。


[2017/12/18] 本家掲載済み作品 | トラックバック(-) | CM(0)

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