
56_Failure 「失敗」
「あの役をもらえないって、あんた、どういうこと? あたしがこのためにどんな経験してきたか、分かっていないでしょう?」
「あの役をやるって誰も言ってなかったはずだぜ」とヒューは、ズボンのチャックを上げながら答えた。「それは君が思ったことだろう? サイコロを投げて勝つときもあれば負けるときもある。よくあることさ」
「あの役はもう手に入れたも同然だって言ったじゃないの!」 ザックは叫んだ。「特に、あたしが…あたしが……した後に……」
「いいか? ふたりとも楽しんだじゃないか」とヒューはシャツのボタンを締めながら言った。「あの話はそれくらいにしようぜ。何か他のことが出てきたら、君に連絡するから」
ザックは何を言ってよいか分からなかった。若い女性を食い物にするプロデューサーの話しは確かに聞いていたが、自分はそういうことには関係ないと思っていた。彼はヒューが身支度をし部屋から出て行くまで、ずっと彼をにらみ続けた。そしてヒューが出て行ったあと、彼は独り言を言った。「いったい、これからどうしたらいいって言うのよ?」
それは当然の疑問だった。彼は、ヒューにしつこく求められて、あの役を得るために自分の体を完全に変えたのだった。いまさら元には戻れないことも承知していた。少なくとも、元のザックには戻れない。どうしても思ってしまう。なぜ、自分は素直に負けを認め、故郷に帰り、自分の生活をすることができなかったんだろうと。何とかして役者になるために、苦し紛れの努力としてすべてをなげうってしまったのだろうと。
しかし、その疑問を考えても意味がなかった。すでに答えを知っていたから。あの役は一発逆転の大役だったから、この姿になったのだし、有名な俳優になることをずっと夢見てきていたからでもあったのだ。望むことは有名俳優になることだけ。それが叶わないなら、自分は惨めな落伍者にすぎないと。そうであるから、これまでの数多くの女優達と同じく、彼はやらなければならないことをやったわけである。そして、これまでの数多くの女優たちとちょうど同じく、彼は無残に敗れたということだ。
だが、以前の生活に戻ることは不可能だった。彼はこの先、何が求められようと、それを行うと固く決意し、前に進むほか道はなかった。