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67 Getting through the day 「今日一日を生き延びる」 

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67 Getting through the day 「今日一日を生き延びる」

時々、将来のことと同じくらい昔のことについても考える。そんなふうに生きるのはイヤなことなのは分かってるけど、でも、私たち誰でも、時々、罠に落ちてしまうことがあるものよね? 自分がどうして今のようになってしまったか、振り返りたくなるのは誰でもあることだと思うの。これまで達成してきた自分を誉めて、大成功したと大喜びする人もいれば、反対に、過去の失敗を嘆いて、逃げる人もいる。正直に言うけど、私は自分が本当のところどっちのグループに属しているか不確かな気持ち。

ここまで、ずいぶん頑張ってきたのは確か。成長期のかなりの部分を、イジメられることを恐れて毎日ビクビクしながら生きていたやせっぽっちで友達がいない少年から、美しく、自信に溢れた女性へと変わった私は、かなり長い旅路を辿ってきたと言える。その途中には、でこぼこ道もあったし、道に外れたことも山ほどあった。でも、私はここまでやって来た。昔は、可能性がないと思えていたけど、何とかして、私は自分が憧れていた人間になることができた。この事実には、少なからず誇りを持っている。

でも、その誇りの上に覆いかぶさっているのが、迷いと恐れの影。男の子だったかつての自分の名残。それは、ほとんど透明で、気にならない時もあるけど、逆に100%に近いほど不透明になって、私の精神全体を脱出できない暗黒へと投げつけることもある。そういった時、私は、むかし私をイジメていた人たちが突然現れて、私に憎悪の言葉を投げつけ、私を地面に押し倒し、私を散々殴りつけてくるのではないかと、半ば本気で思ってしまう。

そんなことを思うなんてバカげているのは分かっている。あの時の男子たち……今は成人した男たちだが……まさに同じ彼らが、今は、私に話しかけるために、少しだけでも話しをさせてと、それだけのために床にひれ伏しているのだから。私とベッドを共にするチャンスが得られるかもしれないと淡い期待を抱きながら、甘いたわごとを私の耳に囁きかけてくるのだから。そして、そんな男たちの期待に、私は応じてしまう。ああ、本当に、私はそんな自分が大嫌い。でも、私が、そういうふうに承認されることを心から求めているのも事実。これまでずっと、そんな承認を求めてきたし、これからも、ずっとそうだろう。そう思うと怖くなる。

この承認要求、燃えるようなこの要求。これは、憎しみによってさらに燃え上る。自分の心の中にそんな憎しみがあるのが分かる。私は、自分が自分の心にふさわしい肉体を持って生まれてこなかったことを憎んでいる。だからこそ、女性になった自分を男たちが求めることで、自分が承認された気持ちになれるのだ。

自分が心にふさわしい肉体を持って生まれなかったことを憎んでいる。それに関しては、私自身と性差別主義のモラル戦士たちの意見が一致する点だ。皮肉だとは思う。私も彼らも同じことを求めているのだから。つまり、私が普通になることを求めているのだから。私は「普通」の女性になることを求め、醜悪な性差別主義者たちは、私に女性でなく、「普通」の男性になることを求める。

この気持ちを跳ね除ける戦いは常時続く。私は、意識的に自分を強いて、現実の楽観的な側面に心を集中させるようにしている。この世界はどんどん良くなっているのだと。口汚く怒鳴り散らす性差別主義的な考え方は弱体化していくのだと。私には、私を愛してくれる人々がいるし、私もお返しに彼らを愛していると。

かつて、私は、いま私が当然と思っている生活を夢見て過ごしていた。ツインベッドに仰向けになりながら、キーキー鳴る天井ファンを見つめ、いつの日か美しい女性に成長するのだと夢見ていた。いま私はそんな女性になっている。そして、結局のところ、それだけあれば、私は今日一日を生き延びることができるのだ。


[2018/04/26] 本家掲載済み作品 | トラックバック(-) | CM(0)

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