67_Popular 「人気者」
あたしは人気者になりたかっただけ。もちろん、みんな、他人がどう思おうが気にしないと言っている。でも、現実は違うでしょ? みんな、ある程度、他人の評価を気にしてるものよ。自分に正直になってみたら、それは否定できないと分かると思う。
でも、これはあたし自身のこと。あなたのことじゃないし、あなたの友人や近所の人のことにではない。あたしのこと。あたしは、これまでの人生、ずっと、目立たない存在でありたいと思って過ごしてきたの。まずは、その点を理解してほしい。別に恥ずかしがり屋だったからというわけではないの。そうじゃなくて、目立ってしまうと、必ず、イジメにあったから。イジメられなくても、からかわれたり、陰口を言われたり、さらには殴られたり。こういう状況をあなたがたがどう表現したいかは分からないけど、ともかく、あたしには、目立たない方がずっと良いように思えた。
でも、おかしなことだけど、後ろに隠れようと頑張れば頑張るほど、目立ってしまうもの。あたしがそうだった。あたしは、痩せた男の子で、しかもメガネをかけていた。両親はあたしに最新の服を買ってくれるほどの余裕はなかったので、あたしはいつも、同学年の子たちより2年位前の流行の服を着ていた。
振り返ると、あたしは、事実上、イジメてくださいと周りに頼み込んでいたようなものだった。そして周りの子たちも、その期待を裏切らなかった。あたしは、いつしか、陰口を言われるだけになる日を待ち望むようになった。そんな日がくれば、新しくできたアザや傷のことについて母親に説明しなくてもよくなるから。
夜になると、夜空の星を見上げ、もっと良い毎日を過ごせますようにと願った。人工衛星が夜空を横切るのを見つけては、あれは流れ星だと自分に言い聞かせて、願い事を繰り返した。もちろん、実際は、あたしもそんなウブではない。でも、あたしには何かすがりつくことができるものが必要だった。毎日を生き延びていけるだけの、希望が必要だった。バカげていたことだけど、それしかあたしには方法がなかった。本物の流れ星を見るまでは。
「人気者にしてください」
その物体を見つめつつ、あてのない希望をつぶやいた。その言葉は、何度も繰り返していたリフレインだったので、あたしの中ではその言葉の意味は希薄化していた。自分をなだめるための呪文のようなもので、それ以上の意味はなかった。そして、それを唱えた後、普通の夜と同じく、あたしはベッドに入り、もし、あたしの願いが突然に現実化したら、どんな人生になるだろうと空想しながら眠りについた。
あの日の朝。目が覚めてすぐ、何か変だと思った。ぼうっとしたまま、目にかかる長いブロンドの髪の毛を払った。でも、次の瞬間、自分は髪を伸ばしていないはずと気づいた。ハッとして、起き上がったけれど、胸に馴染みのない重量感があり、バランスを崩しそうになった。胸元に目を落とすと、青緑色のパジャマの中、収まりきらなさそうに、大きな肉の塊がふたつあって、前に突き出ていた。
胸の中、パニックがみるみる湧き上がってきて、過呼吸状態になった。呼吸するたびに、ふたつの肉丘が激しく上下するのを見て、恐怖心が湧き、さらに動揺が加速した。どのくらいの時間、荒い呼吸をしつつ、ベッドの上、体を起こしたままでいただろう。ようやく、シーツを払いのけられる程度の落ち着きを取り戻した。
目の前には、ツルツル肌の形の良い脚が2本、目の前に伸びていた。もちろん、それまでのあたしは、こんな綺麗な脚はしていなかった。でも、パジャマとマッチした下着に、馴染みのある盛り上がりがあるのを見て、不思議にホッとして、安堵のため息を漏らした。当時のあたしも、普通の男子と同じく、脚の間のあの付属物には大きな愛着を感じていたから。いまや女性化してしまった体にとって、ソレは明らかにそぐわないものだったけれど、それでも、それがあるのを見て、あたしは安心した。
両脚をそろえ、振るようにしてベッドから降りた。立ったけど転びそうになった。大きな胸の重みでバランスを崩しそうになったから。部屋の中には地味な女性服の山がいくつもあって、それに躓きそうになりながら、バスルームへと急いだ。中に入ると、予想した通り、というか、少なくとも予想してるべきだと思うけど、バスルームのカウンターにはあらゆる種類の女性の身だしなみに使う品物が所狭しと並んでいた。いろんな化粧品からドライヤーやヘア・アイロンに至るまで。整理整頓が苦手なスタイリストなら、こんなふうに並べてしまうのだろうと思った。
そしてあたしは鏡を見た。ハッと息を飲んだ。口をあんぐりと開けていた。恐怖、畏敬、そして少なくない性的興奮。それらの感情が混じりあっていた。鏡の中のあたしは美人だった。それ以外の言葉が思いつかなかった。
顔は自分の顔に似ていたけれど、まったくよその顔だった。鏡の中、自分が映っているのは分かっていた。体の全体的な特徴は前と変わらなかった。だけど、何もかも間違ってるとしか思えなかった。ずっと曲線美に溢れ、柔らかく、そして何よりずっと女性的になっていた。
「ヘザー!」 母の声が聞こえた。「もう起きなさいよ!」
「もう……もう起きてるよ!」と反射的に返事した。そして、次の瞬間、手で口を塞いだ。自分の声にビックリしたから。高い声だった。女の子っぽいトーンが混じった声で、誰が聞いても女性の声としか思えない声だった。
「早くしなさいよ! 大学生になって最初の日なんだから遅刻したくないでしょ?」
「大学……」 あたしはつぶやいた。少なくとも、その点は変わっていなかった。
突然、どうしたらよいか分かった。両手がまるで独自に意思を持ってるかのように、勝手に動いて、あたしは身支度を始めていた。予想したよりずっと速く、あたしは着替えも、お化粧も済ますことができた。世の中と対面する準備が完了。そして、鏡に映る自分の姿を見ながら、ある意味、自分の願いが叶ったのだと思った。その時、あたしはついにとても、とても人気がある人になるだろうと思ったのだった。