68_Waking up 「目覚め」
目を覚まし、瞬きした。意識が戻るのにつれて、ゆっくりと目の焦点がはっきりしてくる。依然として朦朧状態だったけれど、体を起こし、自分の置かれている環境を理解しようと周囲を見回した。最後に覚えていることは、スーパーマーケットから出たところまで。妊娠している妻のために、変な取り合わせだけれども、スナック菓子とピクルスとアイスクリームを買って出てきたところだった。そして、その後、目の前が真っ暗になった。
溜息をつきながら目をこすった。
「じきに消えるわよ」と女性の声がした。振り向くと、部屋の隅に、息を飲むほど美しいけれど、どこか見覚えがある、そして目を見張る裸体の女性が立っていた。「朦朧とした状態のこと。それは麻酔の効果だから」
「麻酔?」とボクはつぶやいた。自分の声を聞いた瞬間、驚いて唖然とし、思わず手で口を覆った。今の自分の声は間違いなく女性の声だった。
「ああ、それね」と彼女は言い、ボクの方に近づいてきた。その動きは非常に優雅で、まるで床を滑走してきてると言ってもよいほどっだった。でも、ボクは、彼女の脚の間にあるモノ以外は何も目に入っていなかった。
「あ、あなたは……あなたは男なのか」
彼女は笑った。音楽を思わせる笑い声だった。「かつては、ね」と彼女はベッドに腰を降ろした。「あなたも、かつては」
かつて? 過去形? 一瞬、彼女が何を言ったのか分からなかった。そして、次の瞬間、まるでダムが決壊したように、意識が完全に明瞭になった。最初に気づいたことは、胸に感じるふたつの重み。その直後に、長い髪の房が左右の肩をくすぐるのに気づいた。
胸の中からパニック感が湧き上がり、ボクは過呼吸状態になった。それにより、いっそう、胸の重みを実感する。自分の乳房は、このミステリアスな女性のよりも大きいとは言えないまでも、同じくらい大きいとは言える。
「あ、あんたはボクにいったい、な、何をしたんだ?」 と荒い息づかいをしつつ訊いた。
彼女はボクの肩に手をかけ、なだめる様な声で言った。「落ち着いて。ショックなのは分かるわ。でも、あたしはあなたに何もしていないの、アレックス。もっと言えば、あたしたち、あなたが思ってるよりずっと似た境遇にいるのよ」
「で、でも……」
訊きたいことが山ほどあった。でも、言葉が喉に詰まって出てこなかった。自分がどんな姿になってしまったのか。それを悟り、心が圧倒されていた。
「あたしのことが分からないようね。あたし、すごく変わってしまったから。でも、あなた、あたしのことを知ってるのよ。あたしたち、高校を出た後は接触しなくなったけれど、それまでは友達だったの」
ボクは彼女の顔を見た。見覚えがあるのは確かだった。彼女が本当のことを言ってるのは分かったけれど、どうしても、彼女の特徴をボクが知ってる人物の特徴と一致させることができなかった。
「あたしはブライアン。ブライアン・ヒギンズ」
「な、なんだって? そんな、あ、ありえない……だって、ブライアンは……」
「体重93キロの全身ゴツゴツの筋肉の塊。でも、今はそんなにないわ。ダイエットやエクササイズやホルモン注入で、男の体は劇的に変えられるものなの。言うまでもないけど、あたしはもはや男じゃない。あなたも同じ。この会話から何も理解してないとしても、そのことだけは揺るがない事実として認識して。それを理解してる限り、あまり酷い懲らしめは受けないはずだから」
「こ、懲らしめ?」 依然として、自分の隣に座る美しい女性が、かつては筋肉の塊のフットボール選手だったことに驚いていたが、それでも訊かずにはいられなかった。「いったい誰に?」
「グレッグ・ラニングを覚えてる?」
ボクは頷いた。グレッグは、高校時代、ボクたちのクラス全員にとってのパンチング・バッグだった。彼が容赦なくイジメられない日は一日もなかった。そして、今は後悔しているのだが、ボクも彼の虐待に一役買っていたのだった。
「まあ、あのグレッグは今はちょっと変わったわ。ひとつ言えば、今の彼は億万長者。それに……」
「グレッグ・ラニングがボクにこれをしたと言ってるのか?」 突然、ボクの中に男性的な怒りが湧き上がってくるのを感じた。
「ええ、あなたにも、卒業時のクラスの他のフットボール部員全員にも。まあまあの姿になった人もいれば、残念な結果になった人もいる。正直、あなたは運がいいわよ。すごく可愛いもの」
「ちょっと待って、じゃあ、君が言ってるのは……」
「これは恒久的だと言ってるの。元には戻れない。あたしも逃げようとした。他にも逃げようとして人たちがいるわ。でも、ダメだった。グレッグは許してくれようとしない。そして、彼はあたしたちの体を好き放題に使うの。あたしたちにいろんなことをさせる。でも、従順にしていたら、彼は決してあなたを痛めつけたりしないわよ。それだけは忘れないで」
彼女は立ち上がった。ボクは彼女の腕をつかんだ。「待ってくれ。まだ訊きたいことがいっぱいあるんだ」
「今はダメ。でも、後でその時間があるから。今はとりあえず、言われたとおりのことをするよう頑張るの。グレッグがここに来たら、あなたが持ってるプライドがどんなものでも、全部、心の奥に封印すること。そんなプライドのためにバカなことをしないようにすること」 彼女はボクの手を振りほどいた。「もう行かなくちゃ。あたしにもしなきゃいけない仕事があるから」
そして彼女は出て行った。ボクは自分の新しい肉体を調べ始め、この新しい状況についてどうすべきか考え始めたのだった。