Magic 「魔法」
あたしはただ幸せになりたかった。それだけ。それがすべて。100万ドルもいらなかったし、有名にもなりたいと思っていなかった。ただ、幸せが欲しかった。そんなわけで、あたしは、あの流れ星に願いをかけた。そんなわけで、あたしは、あの、たったひとつの願いに心も魂も注ぎ込んだ。そして、それゆえ、その願いが実現したのだと思う。
成長時期、あたしは人気者ではなかった。透明人間だった。両親に放置され、同年齢の子供たちには無視され、それ以外の世の中の人たちには、いるのかいないのか分からない存在。世の中の陰に包まれた生活を送っていた。世界中で、あたしが生きてるか死んでるかなど気にする人はひとりりもいないと、確信していた。今から思うと、そんな状態だったから、あの運命の夜、父の持っていた銃を握りながら、自分で、この状態を終わらせるつもりになっていたのだと思う。少なくとも、あの時は、そう思っていた。
銃身を咥えた。思ったより大きかった。それに、思ったより冷たかった。涙が頬を伝い流れるのを感じながら、引き金に親指を引っかけた。本当は死にたくない。生きていたいんだ。幸せになりたいんだ。人を愛し、人に愛されたいんだ。普通の人生を送りたいんだ。ただ、希望する到達点への道が見えず、どうしても、達成できないと思った。だから、あたしは、引き金を引いた。
カチャっ! あの時の音を一生忘れないだろう。金属的な音。それだけ。その音は実際は短い音だったけれど、あたしの心の中、何時間も鳴り響いていた。時々、今でも、あの不発の音が頭の中で聞こえるように思う。あたしは、声に出して泣きながら、ベッドに銃を放り投げた。自分は、何と恐ろしいことをしようとしたんだろう、本当に起きていたら、なんと恐ろしい結果になったのだろうと思い、さめざめと泣いた。
泣きぬれた瞳で、寝室の窓の外に目をやり、星々がきらめく空を見上げた。そして、その壮大さに圧倒された。自分が小さく思えた。すごく、すごくバカバカしいほど小さいと。そして、その時、あれを見たのだった。夜空をサッと走り流れる、針先ほどの小さな光を。
あたしは、迷信を信じる人間だったことは一度もない。そういう類のことを信じない。でも、あの瞬間、あの、夜空を横切る流れ星を目で追った時、あたしは、それまで感じたことがない信心が湧き上がるのを感じた。自然に願いが出てきた。その願いが何を意味するか心の中ではっきり掴んでいないにも関わらず、自然に願いが湧いてきた。
「幸せになれたらいいのに」 そう呟いた。単純な文だったけれど、それまで何百回も口に出していた言葉だった。でも、あの瞬間、どういう訳か分からないけれど、その言葉が突然、何か別の意味を持つように思ったのだった。そして、一瞬にして、あたしは、少し気分が良くなるのを感じた。あの時、後ろを振り返り、ベッドの上に放り投げられている銃を見たのを覚えている。あたしの死を綴ったはずのモノが横たわっているのを。再び、自分がしようとしたことを思い恐れおののいた。そして、あたしは、もう死にたいとは思っていなかった。
その夜、あたしはそれまでと同じように眠りについたけれど、翌朝、目が覚めると、完全に別人になっていた。それが、それまでの人生で願い続けたことが蓄積した結果なのか、前夜の願いの結果なのかは分からない。でも、あたしは、ようやく、暗く深い森から抜け出る道を見つけた気持ちだった。幸福に至る方法が分かったから。
その日の午後、両親の前で自分の姿を見せた。ふたりとも驚いていたのは分かったけれど、あたしが根はトランスジェンダーだったと宣言しても、肩をすくめる程度の反応をする以上にあたしのことを気にかけてくれていたとは思えない。でも、それはどうでもいい。あたしは自分の全人生について、それまでの自分の気持ちをはるかに超えて、自信を持てた気持ちになっていた。
その後の数年で、あたしは、誰しも予想するように、良いことも悪いことも経験した。みんなにからかわれたし、侮辱された。イジメにあったし、殴られもした。でも、変身を続けるにつれ、自分の進む道への確信は、どんどん強くなるばかりだった。自分は女になるべきなのだと思った。後から思うと、そんなこと、自明すぎると言えばそうなのだけれど。
最後には、侮辱はなくなった。あたしは変身を完了し、普通の生活をし始めた。それまでの人生で初めて、幸せになった。あの、何か分からない不思議な力が、あたしに、この道を進ませたと思ってるかどうか、自分でも分からない。あたしは、引き金を引いた。人生を終わらせたかった。でも、あの星を見た後すぐ、人生が好転したのだった。そして、今、あたしは、昔なら夢に見ることすらできなかったほど、幸せでいる。それが、魔法でないなら、いったい何なのか、あたしには分からない。