Empty 「からっぽ」
からっぽ。それが、あたしが感じていること。比喩的にも、さっきのお客さんに対してなら、まさに文字通りに、あたしはからっぽ。
お客さんが来る。あたしは、次に何が起きるか知っている。すでに何百回も感じてきたことだから、ちゃんと知っている。それでも、彼に腰を掴まれた時、思わず尻込みしてしまいそうになる。それを何とか堪えると、次に、彼の手が動き始めるのを感じる。切羽詰まった荒々しい手つきで、あたしの膨らんだお尻を撫でまわし、揉み始める。振り返らなくても、彼がどんな顔をしているか想像できる。淫らに興奮した顔。そして、あたしも精いっぱい同じ表情を浮かべる。本当に興奮した感情から出る表情には似ていないかもしれない。そう恐れながらも、精いっぱい表情を取り繕う。でも、あたしには、それしかできないのだ。
ベッドがギシギシ鳴った。彼があたしの後ろににじり寄り、位置を確保したのが分かる。あたしは、次に起きる嫌なことを予感し、体が震えた。彼は、当たり前のように、あたしが震えたことを興奮の表れとみなす。それを改めるための言葉も発さない。他のお客さんと同じで、この人も、あたしがこれを求めていると思いたがっている。あたしがヤッテほしくて堪らなくなっていると。それは正しくない。あたしは一連の出来事があった結果、今の生活へと押しやられてきたのだ。路上生活をするか体を売るかのたった2つの選択肢しかない状態に。あたしは可愛く女性的で、男たちはあたしを求めていた。あたしは、こういう生活が気に入るようになるかもしれないと、少なくとも、耐えきれないことにはならないと思い、この生活に入ることに決めた。
でも、こういう生活が、あたしの精神状態に大きな影響を与えることになるとは、あたしには予想できなかった。これを受け入れ、耐えて生きることはできるようになっていた。でも、こういうことを繰り返すうちに、あたしは、最後のひとかけらに至るまで純粋無垢な気持ちを失ってしまった。男らしさも……文字通りの意味でも比喩的な意味でも失ってしまった。さらに、自分を大切にしようという感覚も。残ったのは、好色な客を相手にするたび与えられるわずかなおカネだけ。
自分がどんな人間になってしまったかとか、あたしの人生に関わったすべての人に見捨てられたこととかを考えるより、心を麻痺させ、からっぽになってしまう方が、ずっと気安い。お客さんを取るだけ。そしてお客さんに対して、ただのオモチャになるだけ。お客さんに対して、性欲を満たす、その場限りの道具になり切るだけ。それだけでいいのだから。お客さんも、そういうモノとしてあたしを扱ってくれるだけだから。
お客さんがあたしの中に押し入ってきた。あたしは楽に受け入れる。初めのころのような痛みはまったくない。あたしは悩ましい声を上げる。もっとヤッテと甘い声を出す。もっと早く、もっと強くと。お客さんにとっては、あたしは、この瞬間が嬉しくてたまらない貪欲な淫乱に見えている様子。感じまくっていると。あたし自身、そうなっていると思い込みそうになっている。
思い込み。完全には思っていない。だって、本当のことを知っているから。自分は、運命に自ら身を任せてしまったただの抜け殻、からっぽの存在だと知っているから。いつの日か、あたしはこの状態から逃れるかもしれない。繰り返し自分に言い聞かせる。いつの日か、あたしは現実の人間に戻るかもしれないと。でも、今日はまだ、と。でも、いつまでも、今日はまだと言い続けてきている。
お客さんが、ドレッサーの上におカネを置くのを見ながら、あたしは声をかける。「すごくよかったわ。これまでで一番良かった。あたしのお気に入りのお客さんよ。今度、お客さんが会いに来てくれる時が、今から待ち遠しくなってるわ」と。さらに、いくつも嘘を並べながら、彼が満足して嬉しそうに出て行くのを見送る。あたしは、ベッドに横たわったまま。彼の出したものが染み出てくるのを感じながら、あたしが何か感情を持てる世界のことを夢見る。苦痛であれ、興奮であれ、淫らな心であれ、自己嫌悪であれ、何でもいい。何か感情を。どんな感情でも。
でも、何も変わらない。いちども。
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