そのような人のうち、何人かはイニシャルだけで呼ばれていた。その大半は、隠れて女装を行う者たちで、「(バイやゲイではない)ストレート」としての本性、職業、家族、友人を守るためイニシャルで呼ばれていた(この人たちは、女装者の世界では、「予備役兵(weekend warriers)」と呼ばれている)。その人たちより勇気があり、24/7、つまり週7日、1日24時間、女性になっている人たちの場合、その中核メンバーたちは、街での呼び名や「ドラッグ」(
参考)としての呼び名で呼ばれていた。この本では、彼女たちから多くの発言引用や、第三者への取材による内容が提供されていた。特に、その中でも、著者が自分の「ドラッグでの母」と呼ぶ人物は、毎日のように、時には、毎時間のように、ダニエルの世界の背後に存在していた。彼女の人生については、実に鮮明に、時には過剰すぎるほど詳しく描かれていた。彼女が毎日、経験する、勝利、悲劇、成功、失敗、喜び、悲しみ、そしてほとんど何気なく襲ってくる恐ろしい体験。その人物の写真が載っていた。私はすぐに彼女のことが分かり、驚きに声も出なかった。写真のキャプションには「セリーヌ・ダルシー」とある。セリーヌのことについて、私はまったく気づかなかった。
私とダニエルの話も、書かれていた。実名、場所、時間、それらを除けば、すべて書かれていた。私たちの話は、第4章以降、本全体に渡って展開されていた。第4章「夢が現実になったとき」。
「・・・私は幸運な者たちに属していました。私にはある人がいたから。彼女は、聡明で、ユーモアがあり、セクシーで、社会的に成功しており、可愛らしさも備え、エロティックでもあるし、何より、息を飲むほど美しい人でした。内面的にも外面的にも。私たちも幸せでした・・・少なくとも、しばらくの間は。他の人たちと異なり、私の場合、彼女に私の望むことを説明する時に必要となる理由付けを考える必要がありませんでした。私からではなく、彼女自身が、突然、私の変身を始めたのです。私は彼女に、「彼女が望むことをすべて」してあげていました。そのことに対する彼女なりの感謝を示す方法が、私の変身の手助けだったのです。彼女も、変身して「ダニエル」になった私を愛してくれました・・・少なくとも、しばらくの間は。彼女が男性としての私のどこを見ていたのか分かりません。ましてや、女性になった私のどこを見ていたのかも。ですが、彼女は私の中の何かを見て理解してくれていたし、私は、そのことで彼女を一層、深く愛するようになりました。そして、彼女を幸せな気持ちにさせられるなら、どんなことでもしようと心に誓ったのです。私の世界は彼女だけになっていました。そして、その彼女という世界に生活していた間、それができることは、素晴らしい幸運と感じていました。幸福というものは相対的なもので、移ろいやすいものです。その幸福が終わってしまったことを残念に思いましたが、でも、そもそも、その幸福を感じられた時期がまったくなかったらを思うと、その方がもっと深いところで悔やんだことだろうと思います。他の、多くの幸福についても、たとえ、失われてしまったものであっても、同じことが言えると思います。終わってしまったことは悲しいけれど、最初からまったくなかったとしたらもっと悲しい。少なくとも、私には幸福だった時期について、単なる夢ではない、現実の思い出があるのですから・・・」