もちろん、それだけではない。人には、毎日、生きていく人生がある。多くの人々が夢に願ってきた人生。彼らの人生は、幻想がテーマだった。毎日、一日ずつ、ギリギリのところで生活していく人生。彼らにとっては、幻想は現実であり、現実は幻想なのだった。彼らは、吸血鬼が陽光を避けるように、「現実世界」を避けてきた。彼らも吸血鬼も、避けるべきものに面と向かえば、肉体も魂も焼かれてしまう。そして結局は、全能の「家族の価値」(
参考)が登場し、それによって、彼らの夢は打ち砕かれ、人生は押しつぶされ、破滅してしまうのだ。誰でも、もし、その人が「普通の人とは違う」と認識されてしまうと、社会はその人に対してきわめて残酷なものに変貌するものなのだ。
ダニーは、クラブでのシーンを詳しく描写していた。「幻想こそ現実」となっている存在の彼らにとっては、きらびやかなドラッグ・クイーンとなれるクラブという場所は、重要な場所であるし、彼らの社会における身分を決定する要因となることもある。他の社会同様、彼らの社会でも、社会階層上の身分を決定するカースト制度は存在しているのだ。
状況や人物についてのダニーの豊かな描写から、彼女が「イブのあばら骨」のことを記述しているのは間違いなかった。私は、彼女がそこに通うことをどうして想像しなかったのか、未だに分からない。いつも、彼女が「普通の」クラブに通うところしか思い浮かべなかったのだ。私は、自分が偏見に基づいて思考していたことを悟った。ダニーが本の中で書いていることだが、いわゆる「普通の」クラブという場所は、ダニエルほどの美人のTガールであっても、その正体が「読まれた」、あるいはバレた場合、実際、命にかかわる危険な落とし穴となりうる場所なのである。その気がない男と知り合いになってしまうという場合もあるし、その時、その男性がどれだけ酔っているかによっても事情は異なるが、常に危険が待ち構えているのは事実だった。そのような恐怖感は、どんな女の子でも、多少、理解できると思う。