彼女は最終章をポジティブな言葉で締めくくっていた。第11章「現実の回復」
「正直なところ、この章を書くことは予想していませんでした。現実世界では、ハッピーエンドはめったにないことなので。実際、ここで書くこともハッピーエンドとは言えません。ですが、私にはかすかに希望の光が見えたのです。それは、最も考えられない場所と時に起きました。複数で肉体を絡めあっていた真っ最中に。その、体を絡めあっていた者たちの中の2人は、以前、お互いの体を触れ合った仲だったのです。その2人の触れ合いは、やがて愛撫に変わり、キスを生み出し、実際には決して息絶えたわけではなかった欲望を互いの体と心に再燃させました。涙を流させ、トラウマを生み出した出来事があったにもかかわらず・・・
「あの人と一緒に暮らした魔法のような日々。その頃は、肉体の欲望とは、互いへの愛、信頼、信念から生まれるものだったのです。性的な夢は、現実の愛に裏付けられたものとして存在し、両者はまったく同一のものでした。・・・もし、その気になって試してみたら、ひょっとして、そのような状態に再び戻れるかもしれない。そんな希望の光が見えたのです。そのような状態に戻ろうとする試みに、今の自分は、どれだけ自分を捧げられるだろうか? どれだけ自分を危険に晒す覚悟ができてるだろうか? 幸せになるということは、どれだけの価値があるものだろうか?」
木曜の夜、私はこれらの言葉を読み終えた。この言葉にどれだけ気持ちが高ぶったことか。ひょっとすると、本当にハッピーエンドが可能になるかもしれない。そう感じたのだった。そして、私は、高揚した気分のままエピローグを読んだ。
「セリーヌ・ダルシーは、4月の暖かい午後、エイズの副作用で、この世を去りました。闘病期間は長くはなく、その点では幸いでした。26歳という年齢では、そういうケースは多くないので。病院の窓から差し込む陽の光は、彼女の体を温めましたが、遠い昔に彼女と別れた恋人たちに抱かれても、彼女の体は温かさを取り戻すことはできませんでした。セリーヌの友人たちが何人か見舞いに訪れました。やがて自分たちにも訪れるかもしれない死の影に直面できるだけの強い精神力を持った人々です。セリーヌの家族もいました。もっとも、私のことを彼女の「家族」に入れてくれるなら、という話ですが。セリーヌも私のことを家族と思っていてくれたようです。私とセリーヌのそれぞれの理由は何であれ、共に他に身寄りがいないとき、私たち2人は家族となっていました。このことで私は、愛してくれる人がいるという特別な立場にいることを感じることができました。家族とは、まさにそういう存在に他ならないのではないでしょうか? セリーヌも同じように感じてくれていたと願っています。そして、この本は、彼女の残した唯一の遺産でもあるのです」
私は、泣き続け、そのまま午前3時ごろに眠りについた。金曜日、私は病欠の電話を会社に入れた。土日をかけて、私は最初から本を読み返した。
ダニーの本は大ヒットを飛ばし、しかも長期にわたってベストセラーの位置を保ち続けた。何本もトークショーに出演していた。彼女のような立場の人を励まし、同情するインタビューアもいたが、そうでないインタビューアも、ダニーの商業的な成功を気にしてか、少なくとも礼儀は守っていた。それにしても、ダニーは何て美しいの! もちろん以前から美しかったが、一層、磨きがかかったようだった。テレビ局のスタジオの照明の中だと、なお一層、美しく見えた。茶色のスーツとクレープ(
参考)のブラウスがよく似合っている。それに、新しく盛り上がった、あの美味しそうなおっぱい!