水曜日:個別カウンセリング
「ご主人は、悲嘆の5段階(
参考)というのをご存知ですか?」
「ええ、とても大雑把にですが、知ってると思います。1つか2つ、記事を読んだことがあります。でも詳しいことは知りません」
「そうですか、ちょっと簡単に説明させてください。その5段階とは、まずは『否認』段階。その段階では、親しい人を亡くす経験をした人は、『違う、これは自分のことではない・・・こんなことが自分に起こるはずがない』と言うのです。次が・・・『怒り』。残された人は、どうして? どうして自分なんだ? と問う。・・・」
「・・・その後に来るのが『取引』段階。その段階では悲嘆にくれた人は、神に、もし愛した人を生き返らせてくれたら、もっと善良な人間になると誓ったりします。その段階が過ぎると、『抑うつ』の段階が来る。悲しみに打ちひしがれた人は、愛した人はもう戻ってこないと認め、何もできなくなる。そして最後に、『受容』段階になります。自分の人生を進みだそうとする段階です」
「なるほど」 スティーブは平然としていた。
「そこでですが、愛する人を亡くすことと、愛する人を不倫で失うことの間に類似点があると思いませんか?」 ヒューストン氏の質問は直接的だった。
「まあ確かに」 スティーブは、意に介さぬ風に答えた。「きわめて当然ですね。僕のような素人にも分かりますよ」
ヒューストン氏は鼻を鳴らしながら答えた。「驚かれているんじゃないんですか? この5段階の話しを聞かされると、自分のこととは考えず、別の世界の人のことと考える人がいるのですが」
スティーブは、ほのかに笑みを見せた。
「それで、あなたは僕がどの段階にいると?」
「それを答えるのは私ではありませんよ。私たちはずっとこのことについて話し合ってきたのです。・・・もっとも以前は、ちょっと脱線気味でしたが。ご主人、あなたは今はどの段階にいるとお思いですか?」
スティーブは頭を振って、鼻をすすった。
「まあ、確かに怒ってはいますね。この上なく腹を立てているし、その状態はすぐに変わるわけでもなさそうだ。・・・でも、それと同時に、僕はすでに、自分の結婚は終わったという事実を受け入れているんです。ですから、怒りの段階であると同時に、最終段階の受容の段階にも来ていますよ・・・」
「・・・僕の望みは唯一つ、残りの人生をうまくやって行きたいということです。なのに、今は、このいつまでも終わらないカウンセリングを延々と続けて、そこで停滞している。すべてのことを、何度も何度も話し続けているだけ・・・」
スティーブはヒューストン氏を見た。ヒューストン氏はスティーブの目に険悪な色が浮かんでいるのを見た。スティーブは荒い調子で言葉を続けた。
「・・・否認の段階などとっくの昔に終わっています。バーバラが昔のボーイフレンドと会っているのを見た時に、すでに怒って、彼女を見捨てていたんだ、本当は。その時に、彼女を取り戻すべきじゃなかったんだ。というのも、その結果、僕は、さらにもう2回も陰鬱状態にさせられたのですから。取引もしましたよ。神とではなくバーバラとですが。今回だけでも彼女を許せば、彼女もより善良に変わって、2度と僕の信頼を裏切らないだろうと信じてね。その信頼は、2回とも裏切られましたよ・・・」
「・・・ヒューストンさん。僕の状態を言いましょうか? 僕は、時に怒りの段階にあり、ほとんど自殺したくなるほど、抑うつの段階にもあるし、いつも否認を続けている。そして同時に、不実で嘘つきの妻とは離婚しなければならないという運命を受容して、完全に納得もしているのです。取引に関しては、どんな理由であれ、妻とも、他の誰とでも、まったくする気はありません」
スティーブの話しを聞きながら、ヒューストン氏は次第に顔を不機嫌な表情に変えていった。浮気問題が起きた場合、裏切られた配偶者を説得し、夫婦関係を守るために、裏切ってしまったものの、それを後悔している、もう一方の配偶者と協力し合って、夫婦関係を守っていくようにさせるチャンスが、いかに小さいものであれ、存在するのが普通だ。ベルン・ヒューストンは、スティーブとバーバラが、すでに、関係修復のための重要な時期を過ぎてしまっているのではないかと不安に思った。良い展望が見られない。スティーブは守りの姿勢になり、かたくなに自分の立場を通し続け、気持ちを曲げる兆候を一切見せていない。
ヒューストン氏は、落胆し溜息をついた。最近、溜息をつくのが多くなっていると感じた。だが、何とか修復に向けて取り組んでいかなければならない。ヒューストン氏は、静かな口調で問いかけた。
「嘘の部分について取り組むのはどうでしょう?」
スティーブは肩をすくめた。
「取り組むって、何のために?・・・嘘をついているのは僕じゃないのですよ。カウンセリングを始めてから、僕はあなたにも、バーバラにも、真実でないことを話したことはありませんよ」
「ええ・・・つまり、もし、私がご主人に、奥さんが事実を語っているという、明白で否定できない証拠を提示できたら、どうでしょうということなんですが・・・先週、木曜日に奥さんが、2回しか、性的な・・・なんと言うか、性交渉がなかったと言った件についてです」
スティーブは、興味を示した。・・・少し疑っている顔ではあるが、ともかく興味を示した。
「どうやって?」
「奥さんは、この月曜日にここに来たとき、ポリグラフ・テストを用意して欲しいと、私に頼んだのです・・・」