夜は音がよく通る。硬い舗装道路で、車が通っていないときは、特にそうだ。スティーブが呟いた言葉は、暗い車の中、静かに座っていた老女の耳にも届いていた。
「あたしゃ、別に神様の役を演じているわけじゃないんだよ」
リディアは、スティーブたちのピックアップトラックがスピードをあげ、通りを進んでいくの見ながら、静かな声で言った。
「おバカだねぇ。あたしゃ、キューピッドの役になってるのさ。お前さんは、今まで通りの人のままでいればいいのさ・・・そうすれば、あたしたちみんな、もうこれ以上、互いを傷つけあわずに、これを乗り越えることになるから」
リディアの視線の先、ピックアップトラックが角を曲がり、見えなくなった。
リディアと、彼女のパートタイムの運転手であり、雑用係であり、庭師であり、時には料理人でもある男は、もうすでに、この車の中、何時間も座って待っていた。リディアのお気に入りである夫婦がカウンセラーと面会し、その後、二人が煌々と明かりがついたレストランの中、大きな窓の向こうで会話を行うのを、車の中から見ていたのだった。二人は一緒に車に乗って去っていった。リディアは、そうなることまで期待していなかったが、彼女とバーバラがそれを計画していたのは事実であった。
「フィル? もう車を出してもいいわよ」 リディアが言った。
「オーキー、ドーキー! ・・・ ところで、リディア様、今夜の仕事については、2倍払うとおっしゃいましたよねぇ?」
「はっ! お前は泥棒かい? あたしゃ、半倍増しと言ったんだよ。そんだけもらえて、ラッキーだろうさ」
「へいへい、わかりましたよ、奥様」
とは言え、フィルはこの夜、2倍の報酬を得ることになるだろうし、そのことは、彼自身、分かっていた。確かに、リディアは、半倍増しの報酬しか約束していなかったものの、結局は、2倍の報酬を彼に払った。リディアは、その夜、自宅に戻るまで、フィルをこんなに遅くまで働かせ、家族のもとに帰さなかったことについて、罪悪感を感じたのだった。ともあれ、フィルは、笑みを浮かべながら、リディアを家に送った。
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家に着くと、スティーブはバーバラの荷物を中に運び入れた。スティーブは玄関を入ったところで、ちょっとためらいを見せたが、バーバラは、そのような素振りは見せなかった。すたすたと廊下を進み、主寝室へと入って行った。スティーブはバーバラの後ろについて行き、寝室のドアの前に立ち、部屋の中を見回すバーバラを見ていた。
バーバラは、以前と比べて特に変わったところはないと感じた。カーペットは、最近、掃除機をかけられた様子だし、変な匂いもない。ベッドもきちんとメークされている。室内にかすかにシナモン・スティックの香りが漂っていた。スティーブの好きな、芳香剤の匂いだった。バーバラは、ベッドを詳しく調べ始めた。
「いや、一度も」 とスティーブは廊下から声をかけた。そしてバーバラも納得して頷いた。彼女は、キムから、いつもリビングでしていたと、普通は床のカーペットの上でと聞かされていた。
「もし、カウチで寝たいと思うなら、僕がベッドに変えてやるよ」
「カウチなんかで寝ないわ!」
バーバラは強い口調で言い返した。くるりと向きを変え、両手にこぶしを握り、腰に当てて、スティーブと対面した。
「あなた、前に言ったわよね。カウチで寝なきゃいけないようなことなんか、これっぽっちもしていない、って。いいこと? あなたと同じく、私もそういうことをこれっぽっちもしてないわ・・・だから、今夜は自分のベッドで寝ますから。それでいいわね?」
好戦的な口調だった。
「それも、ノニーに言えって言われたのかい?」
「いいえ。私が考えてることよ」
「分かったよ」 スティーブはかすかに笑みを浮かべ、感情を抑えた口調で言った。「好きなようにすればいいさ・・・ただ・・・あれはしないから・・・」
バーバラは、聞こえるように、ふん、と鼻を鳴らした
「その点は安心していいわよ」
スティーブは頷いた。「ということは、ようやく意見が一致したところができたということだな」 落ち着いた声だった。
スティーブは寝室の入り口から離れ、キッチンへ向かった。コーラを取りに行ったのだった。彼は、喉がからからになっていたし、バーバラが着替えをする間、その場を離れて、何か他のことをする必要があったのである。
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