ディアドラは、会社に来る時、いくつか別の振舞い方もできたはずだった。ナーバスそうに、恥ずかしそうにして来て、すべて、ひどく間違ったことだったというふうに振舞うこともできたはずだ。あるいは、恋に夢中になったティーンエイジャーのように、僕たちが互いに惹かれあってることを中心に考え、しなければならない仕事をなおざりにしてしまうような振る舞いもできたはずだ。
だが、彼女は、この、ちょっとした、リラックスした雰囲気の楽しいセックス・ジョークだけでわだかまりを吹き消し、後は、すべてビジネスライクに振舞った。彼女は、隅から隅まで、完璧に、有能なビジネス人になりきっていた。昨夜は、最初のセックスでは完膚なきまで激しく犯され、次のセックスでは快楽の波に全身を洗われ、そして、その後、余韻に浸りながらうっとりとしていたにもかかわらず。
この美しい女性は、どのように振舞っても、喜ばしいものになってしまうように思われた。彼女の人格の、明かされたすべての側面から、彼女がセクシーで、心温かく、しかも自分自身に完全に満足している女性が浮き彫りにされる。
その日の午前中、僕たちは仕事を続け、大きな進捗を見せた。前にも言ったかどうか忘れたが、ディアドラは、素晴らしい頭脳を持っている。僕が賛成できないアイデアを彼女が言ったとしても、彼女からちょっとだけ補足説明があれば、それだけで、僕は直ちに彼女の見解を賛成する立場に変わった。僕は論理的なタイプの人間で、非の打ち所のない論理には簡単に屈服する。
ああ、確かに、皆さんが考えるとおり。僕には、ディアドラの瞳を見つめながら、同時に客観的であり続けるのは難しい。それは認めよう。一般的に、彼女がこれこれであって欲しいと言ったら、僕はすぐにそれに賛成するだろう。
その点を、もう一度、言わせて欲しい。ディアドラが求めるものなら、僕は何でもするというところは肝心かなめのところなのだ。彼女が求めるなら、僕は行う。彼女は、要求するだけでよい。僕が求められたものを彼女にあげる。どんなものでも。どんなことでも、僕は行う。
このため、交渉の場では、僕は若干、弱い立場になった。
僕は理論に嵌まっている。世界の出来事や僕の人生に起きた出来事を、論理的な全体像へと組み直し、事実の背後にある意味を理解するのが好きだ。何があって、それが起きた理由は何かと考える。そう考えることで、洞察が得られることがよくある。閃光のようにインスピレーションが沸いて、奇妙な世界の仕組みが明らかになることがしばしばあるのだ。
まあ、確かに、そういう洞察が得られるのは、僕がハイな気分になっているときが多い。翌朝、どんな洞察だったか思い出せないことがあるからだ。だけど、洞察に溢れた考えだったというのは確信している。
男はペニスで思考する、ということだ。
分かっているよ、皆さんも、これはどこかで前に聞いたことがあると言うだろうし、正確に言って、僕のオリジナルな考えではない。でも、ちなみに聞くけど、その証明はあるのかな?
僕は、「男はペニスで思考する」という単純な陳述に、補足事項を付け加えている。つまり、この「ペニス思考」・・・そう呼びたかったら呼んでくれていいんだけれども・・・は、僕の「化学誘引子」理論とぴったり調和するということだ。この理論について考えながら、僕は自分が一種の「統一理論」へ近づいているのを悟った。様々な理論を、単一の、妥当な全体像へと昇華させつつあると。
僕の「化学誘引子」理論によると、非常に希なことだが、二人の人間の身体的化学物質が、あまりに適合してるため、その二人は、互いに相手に対して、ほとんど麻薬のような存在になるということだった。それは、そういう人間の中のレセプターに関係しているもので、そのレセプターが、もう一方の人間のフェロモンか化学的分泌物か肌か何かと完璧に適合することによる。あ、いや、理論のここの部分は、もうちょっと検討が必要だというのは認めよう。
ともかく、そういうわけで、僕の「化学誘引子」理論を、僕のもう一つの「男はペニスで思考する」理論を駆動するメカニズムとして使って構わない。実際に、このような適合する化学誘引子を持つ二人の人間が出会う確率は、非常に少ないので、実際には、めったにこの現象は起きない。
だが、仮に、そういうことが起きた場合、それにより、もう一つの普遍的な疑問に解答が与えられることになる。歴史を振り返ってもいい。時には、皆さんご自身の人生でもそういう人を見かけることがあると思うし、皆さんの家族の中にそうなった人がいるかもしれないし、ひょっとすると、皆さん自身がそういう人であるかもしれない。つまり、人が、何か狂ったとしか思えないようなことをすることがあるということ。みんなは、それを見て「あいつ一体、何を考えていたんだ?」と思う。
僕の理論では、これに対して答えを出せる。その人は、ペニスで思考していたのである。自分の化学誘引子による激情に揉まれてしまったという、致命的な結果なのである。
これは素晴らしい理論だ。ノーベル賞とかは期待していないが、ピューリツア賞はありえるかもしれない。
以上が、僕がディアドラが望むことは何でも、喜んで行うという事実の説明だ。僕は、僕自身の「男はペニスで思考する」理論の生きた証明なのだ。