ヒールに片足を入れ、ベルトを締めて、足に馴染ませた。それから脚を組んで、もう一方の足先にも履き、ベルトを締めた。両足を床に着け、立ち上がる。身長が急に180センチ以上になった気がした。足裏が急勾配で下がっていて、前のめりになりそうな感じにも。
試しに2、3歩歩いてみた。転ばなかったのに気をよくして、自分のオフィスの中を歩き回ってみた。歩くたびに、コツ、コツと音がする。
どうも歩き方がぎこちない。その理由を思い出し、ジェニーが教えてくれたように、腰を大きく左右に振りながら歩いてみた。すぐさま、腰を揺らすリズムに乗り、部屋の中を快調に行ったり来たりし始める。小鳥のように、両手を開き、指先が外側にむくようにさせ、腰を振って、ちょこちょこと歩く。
服装は男の服装なのに、ヒールを履いて歩き回っている。突然、自分がそんな格好をしていることに気づき、僕は素早くデスクに戻り、腰掛けた。
椅子に座りながら、ヒールをぬ剛をすると、電話が鳴った。いまの気持ちからするとちゃんとした男性の声が出るように注意しなければ。そう思いながら受話器を取った。
掛けてきたのはドナだった。
「お願い、まだ、それは脱がないで」
「何を脱ぐって?」 困惑しながら訊いた。
「そのハイヒールよ。デスクの左袖の一番下の引き出しを開けて見て」
そこを見ると、黒毛のページボーイ・スタイル(
参考)のかつらと、口紅があった。
「お願いだから、ヒールを脱ぐ前に、そのかつらをつけて、口紅をして見せて」
「そんなこと、ここではできないよ。いつお客さんが入ってくるか、分からないんだから」
「お客さんなら、ゲイルが時間稼ぎしてくれるわ。お願い。私のために、してみせて」
僕がしていることを、どうしてドナに分かるのか、依然として不思議に思いつつも、僕はかつらを取り上げ、丁寧に頭につけ、形を整えた。それから、口紅を手に鏡の前に行き、明るい赤の口紅を唇に塗った。上唇と下唇に塗り、両唇を擦り合わせて伸ばし、軽く舐める。
これまではブロンドのかつらをかぶったことはあった。いま鏡に映る、美しい黒髪の自分にも、驚きの気持ちで見入ってしまった。鏡の中、黒髪の女性がセクシーに美しい唇を舐めていた。ハイヒールのために、セクシーに胸を突き出し、お尻をつんと上げる格好になっている。
うっとりとした気持ちで、僕はゆっくりとシャツのボタンを外した。キャミソールに覆われたブラジャーが見えてくる。ゆっくりと鏡から離れ、肩越しに振り返って自分の姿を見た。男物のシャツとスラックスを着ているにもかかわらず、鏡の中には、黒髪の魅力的な美女が見えていた。アイシャドウと長い睫毛をつけたら目のところがどんな風に見えるか、想像できる気がした。
僕は電話に戻り、受話器を握った。
「オーケー、いま、かつらをかぶって口紅を塗ったよ」
「分かってるわ、ミス・ビッキー。その黒髪と明るい赤の口紅だと、あなた、完全と言っていいほど素敵に見えるわ」
僕はあたりを見回した。ドナは、この部屋のどこかにいるのは確かなはずだ。だが、どこにも彼女はいない。
ちょうどその時、いつもならパソコンのところにつけられているウェブ・カムが場所を変えていて、僕のデスク回りばかりでなく、部屋全体を捉えられるところにあるのに気づいた。
そのウェブ・カムと電話の両方に視線を走らせた。電話の向こう、ドナが笑っているのが聞こえた。それに、ゲイルの笑い声も。僕はオフィスのドアへ行き、注意深く、外を覗いた。そこにはゲイル以外誰もいなかった。ゲイルは、受話器を持ちながら笑っていた。