「これって最高だわ!」 電話の向こう、ドナは興奮して叫んだ。「今のを見て、素敵なことを思いついたの。ねえ、今日はビクトリアとして仕事をしたらどうかしら? 別のオフィスからあなたの代理として来た人になるのよ。誰も気づかないだろうし、あなたも女性として過ごす練習もできるわ」
「ドナ! そんなことできないよ。まる一日、ビクトリアとして通すなんてできないし、第一、仕事にならなくなる」
「でも、ビクトリア? 鏡の前に戻って、自分の姿を見てみたら?」
僕は立ち上がり、鏡の前に戻った。鏡の中、女性らしい足取りと振る舞いで鏡に近づいてくる自分の姿が見える。確かに、僕の男性としての姿を仄めかすところはひとつも見当たらない。鏡の中、僕の前に立っているのは、黒髪の美しい女性だ。見たことがないほどセクシーなドレスに身を包んでいる。だが、確かに見た目では女性で通せるだろうけど、女性で、こんな服装で仕事をする人はいないだろう。少なくとも、僕の知る限り、そういう女性は多くない。
僕は電話に戻った。
「お願いだ、ドナ。こんなことをさせないでくれ」
「あなた、とても綺麗なのよ。それに、仕事が終わった後、帰ってくるあなたを迎えて、とても素敵なご褒美を考えているの。それを思っていて。いまはもう切るわ。じゃあ、後でね」
ガチャリとドナが受話器を下ろす音が聞こえた。
ちょうどそのとき、別の客がオフィスに来たのに気づいた。ゲイルが出迎える。
「ジョンさん、申し訳ございません。アルアは出張で今日は大半、不在なのです。ですが、別の支社から代わりに派遣されたビクトリア・スミスがおりますが、もし彼女でよかったら」
ジョン・パーカーが、それでもかまわないと言うのが聞こえた。電話が鳴り、ゲイルが彼のことを告げた。
オフィスに入ってくるパーカー氏を出迎えるため、立ち上がった。少し震えていた。デスクの横を回って進み、握手をしようと手を差し出す。ふと、そのとき、こちらから握手の手を出すべきではないと思い出し、前に出した手を降ろしがちにし、指先だけを向けた。うまく間に合って、彼には奇異に思われずにすんだようだ。パーカー氏は僕の手を取って、握手した。彼の視線が上下に動き、僕の体を一通り評価した後、再び僕の視線に合わせるのを見た。
「スミスさん、あなたに会えて嬉しいですよ。今日はビックが外出していたのは、私には幸運だったようだ」
そのお世辞に顔が赤らむのを感じたが、すぐに回復させる。握手していた手を引っ込め、椅子に座るように促し、僕自身はデスクに戻って腰を下ろした。生足の膝が隠れるように、椅子をデスクに十分に近づけて座る。
「こちらも嬉しいですわ、パーカー様。今日はどのようなご用件で?」
ジョンは、かなり長い間、僕の顔や体を見ていたが、それを頭から振り払うようにして、仕事の話を始めた。一通り話しを聞いた後、その用件をすばやく処理し、対処した。ジョンは、用件が済み、立ち上がって帰ろうとしたが、ふと、振り向いて僕に言った。
「あなたの顔は、なんだか、とても見覚えがあるような気がするのですが。一度も会ったことがないのは確かなんだが。これからは、よく覚えておくことにしますよ」
「まあ、私は、あちこちに出向くことが多いですから、多分どこかで私のことを見たことがあるのでしょう。では、また。パーカー様」
オフィスを出て行く彼を見て、僕はほっとした。
デスクに戻ると、すぐに電話がなった。
「はい、もしもし?」 できる限りの裏声で電話に出た。
「えーっと、アルアさん?」 女性の声だった。
「申し訳ございません。今日は、アルアは外出しているのです。私はスミスですが、代わりにご用件を伺いますが?」
彼女の声をもう一度聴いて、彼女が、先ほど、僕とゲイルが一緒にいたときにやってきた女性であることに気がついた。エレンという名前だ。
「あの・・・ビクターさん、ちょっと伝えたいと思って。あなた、ビクトリアとなった姿、驚くほど綺麗だったわということ。もしかすると、もう二度と、ビクトリアとしてのあなたを見ることがないかもしれないと思って、ビクトリアに会えた機会があって私がとても喜んでいたことを伝いたいと思ったの。たとえ、偶然の機会だったとしてもね。それに、言うまでもないことかもしれないけど、私に関しては、あなたの秘密は安全だから大丈夫です。心の中にしまってますから。でも、これだけは言わせて。ミス・ビクトリア? あなたは、この都市に住む美しい女性たちに、新たに加わったことだけは確かだわ。では」
「ありがとう、エレン。私ビクトリアとあなたが出会った状況を考えると、そのお言葉、とても嬉しいわ」
「あら、あの出会いは完璧だったと思うわよ。それじゃあ、素敵な一日を送ってね」
そこで電話は切れた。受話器を置くと、すぐにまたベルがなった。相手はドナだった。
「君は僕を一日中監視するつもりなのかい?」
「だって、ひとつも見逃したくないんですもの・・・それで、彼女、何て言ったの?」
「僕と会えて嬉しかったということと、僕が美しかったということ、それに、この秘密は守るから大丈夫だと、そういうことを言っていたよ。もう僕は人をだますことはできないよ。このままだと、厄介なことになりそうだよ」
「もう、ジョンをだましちゃったじゃない? ジョンは、エレンよりも、あなたのことはよく知っているのに、気づかなかったわね。女性には、男性より、観察力がある人がいるのよ。大丈夫、うまくやれるわ。じゃあ、またね、ビッキー」
受話器を置いて、今日の残りの勤務時間に備えて、身構えた。依然として、誰かが、僕が女装していることに気づき、すべてが明るみになってしまうのではないかと心配でならなかった。ドナやゲイルに説得されて、こんなことをさせられている、そんな自分が信じられなかった。だが、ともかく、始めてしまったことなのだから、最善を尽くすことにしよう。家に帰り、ドナを抱く時までの我慢だと。