マークはAV装置のそばに立っていて、DVDをセットしているところだった。トレーシーが私にソファのところに来るよう手招きした。ソファのところに行くと、トレーシーは、私のシャツの裾をスカートの中から引っ張り出して、下のボタン3つを外した。それからシャツの裾を結び、結び目が胸の下のところに来るようにさせた。その次、シャツの残りのボタンも外し、ブラジャーが露出するようにさせた。
それから私をソファに座らせて、言った。
「とてもセクシーよ。あなたの衣装を勝手に選んだこと気にしないでくれるといいけど。何を着てよいか分からないんじゃないかと思ったの」
「ええ、確かに分からなかったんです。選んでくれて喜んでいます」
トレーシーは私に腕を回し、抱き寄せた。
「服の選択が分からなかったこと、気にしなくていいのよ。そういう感覚は、知らぬ間に、自然と身につくものだから。私の場合がそうだったわ」
私たちは数秒、ねっとりとしたキスをした。するとマークが戻ってきて、腰を降ろし、ビデオのスイッチを押した。
映画の最初のシーンは、ある女の子が街を歩いているシーンだった。背が高く、細い脚、それにかなり魅力的な体つきをした女の子だった。10代後半か、20代前半の年頃で、長いブロンドの髪をポニーテイルにまとめていた。どういうわけか、私はその女の子を知っているような感じがしていた。見覚えがある感じなのだが、誰だかはっきり分からない。
その女の子はウィンドウ・ショッピングをしていたが、しばらくすると、ある靴の店に入っていった。若い男性の店員に助けられながら、2、3足、試しに履いてみる。店員は20代前半か、中頃の年齢だった。口ひげを生やし、非常に筋肉隆々とした逞しい体つきをしていた。この男性についても、どこかで見たことがありそうな印象があった。
次のシーンは、予想していたものとは違っていたが、どんな種類の映画を見ているか、私は悟っておくべきだったかもしれない。演技はそれ程、素晴らしいと言うわけでもなく、台詞もありきたりだった。だが、カメラがパンして女の子の脚の間へと上がるときまで、私はポルノ映画を見ているとは気づいていなかったのだった。
女の子はパンティを履いていなかった。カメラにも、それに店員の男性にも、無毛に剃った股間を露わに見せたのだった。女陰のショットが2秒ほどあった後、店員が、店の奥に特別の靴があるので、一緒に来てくれたら、それを試しに履いてもいいですよと言った。
店の奥に行くと、店員の男性は女の子を抱き寄せ、キスを始めた。このような場合、たいていの女性なら、悲鳴を上げ、店員から逃れようと暴れるものだ。だけど、この女の子は、店員にキスを返し、さらにはズボンのボタンを外し始めたのだった。何秒も経たないうちに、女の子は店員の男性の前にひざまずいて、フェラチオを始めていた。
セックス・シーンはそれから20分ほど続いた。まずは店員の男性がフェラでいかされ、その後、彼は女の子にクンニリングスをし、最後に、さまざまな角度から彼女にピストン運動をしていた。女の子は、ことセックスになると、まったくダレるところなく、あらゆる男性の行為にうまく合わせて行っていた。最後に店員が射精したときには、ペニスを口に咥え、最後の一滴まで飲み下していた。
そのシーンの最後になってようやく私は、女の子がトレーシーに良く似ていて、男がマークに似ていることに気づいた。もっと言えば、これは若かった頃のマークとトレーシー本人じゃないかと思った。
妻は、満面に笑みを浮かべながら寝室には言ってきました。そして、一言も言わずに、スルスルと滑らすように服を脱ぎ、素っ裸になってベッドに来たのです。
「ねえ、見て。あの、逞しくて精力いっぱいの男たちが私の体に何をしたか、見てよ。おっぱいを何度も平手打ちされたわ。赤くなるまで、はたかれた。それに、お尻や脚も、ベルトで鞭打ち。とても乱暴なの。そして、その後、あのすごく大きな黒いおちんちんで私を貫いたわ。私の小さな可愛いアソコにぐいぐい乱暴に突っ込んだの。アニ? いい? あの男たち、あなたの妻を思う存分、犯したのよ。あなたの承諾も得ずに、やりたい放題!」
自慢げな口調でした。
「お願いだ、やめてくれ!」 嫉妬心を感じながら、私は言いました。
「あら、どうしたの? あの男たちが私を何回犯したか、知りたくないの? それぞれ4回ずつよ。合計8回。私のあそこは、8回も、ベンとトニーにみっちりと詰め込まれて、すっかり広げられたわ。そして、毎回、あの素敵な熱い液をお腹の中に撃ち込まれたの。ほら、見える? 今も、中は、あのどろどろでいっぱい!」
妻は、びらびらに緩んだ赤い陰唇を指で広げ、私に見せ付けました。その中は、いまだに泡状の白いものが溢れそうになっていました。
それを見せ付けられ、屈辱感と嫉妬心にさいなまれていたにもかかわらず、私の小さなペニスはピンと勃起していました。この時ほど、妻の体を抱きたいと思ったことはありませんでした。その気持ちを察したのか、妻は、両腕を私の首に巻きつけるようにして私に抱きつき、ねっとりとしたキスをしました。柔らかく、セクシーな温かい体が私の体に押し付けられている。
「アニ? 私にヤリたいの?」
「ああ、今すぐ」 私は口の中をカラカラにさせながら喘ぎました。
「そうねえ・・・それは、ダメ」
妻はいきなり高笑いをしました。
「今夜、私は、本物の男たちに入れてもらってきたのよ。あなたのちっちゃいものじゃ、全然役に立たないわ。何の意味もない。でも、私の脚の間に顔を埋めて、私の大好きな男たちが出してくれたものを舐め取ってくれたら、手でやってあげるわ」
「お願いだ、口でしてくれないか?」
「イヤよ!」
きっぱりとした返事だった。
「今夜からは、私のお口とアソコは、もうあなたのものじゃないの。しばらくは、ベンとトニーの持ち物なのよ。2人とも、それに値するおちんちんをしているから。さあ、手こきをしてもらいたかったら、さっさと舐め始めなさい!」
僕たちは東海岸に住んでいた。でも、3週間に一回、いや4週間に一回か5週間に一回か、お父さんが僕たち全員を車に押し込んで、中西部のノースダコタに住んでる親戚のところに行くことがあった。行きも帰りも、丸々3日、車に押し込まれたまま、苦痛しかない旅行だったけど、ともかく、親戚訪問は続けられた。その親戚たちの方が僕たちのところにやってくることは一度もなかった。そのわけは、親戚たちが農家だったから。ということは、とりもなおさず、彼らは一度も本当の休暇っていうものを取ったことがないということ。それに、彼らはかなり貧乏で旅行する余裕がなかったという理由もある。あの親戚たち、ノースダコタ州の外に出たことが1度もなかったんじゃないかと思うよ。
とにかく、僕にとっての最初の体験は、7歳か8歳の頃に起きた。どうしてはっきり覚えているかと言うと、僕とアネットで、地下の物置へ通じる階段のところで「お医者さんごっこ」をやっていたんだけど、それを僕のお母さんに見つかってしまったから。いまは、この歳になったわけだから、「君のを見せてくれたら、僕のを見せてあげるよ」の遊びもオーケーになっているわけだけど、当時は、まだ、あの年齢だったし、僕とアネットが互いの性器をじっくり調べていたところに、お母さんが現れたという、間の悪さ。
このときの出来事は、しっかり僕の記憶に焼きついている(と同時に、しっかり僕のお尻にも焼きついた)。というのも、このとき初めてお父さんが僕にベルトで尻タタキをしたから。僕が大きくなるまで、お父さんは僕に尻タタキをしたのは3回だけ。このときのが、3回のうちの初めてだった。僕の家族はかなり信心深い連中で、ズボンを降ろしてるところを見つかるのは、罪深いことだったんだよ。それに、尻タタキに加えて、僕は外出禁止1ヶ月にされたし、お小遣いも半年間、半額に減らされたんだ。勉強にはなったけど、高くついたよ。
次にバケーションでノースダコタに行ったときは、僕は多分10歳か11歳。アネットは僕より1歳半ほど年上で、そろそろ思春期の兆候を示し始めていた頃だった。胸のところに、可愛い小さな乳房が盛り上がり始めていた。トレーニング用のブラ(
参考)をつけていたけれど、多分、それすら必要なかっただろう。それほど小さい胸だった。ま、実際、彼女は。フリルがついたブラとかを買うお金がなかったのも事実。その回の滞在中、僕とアネットは農場で遊びまわっていたが、ある時、僕は納屋の陰で彼女にキスを試したのである。アネットは抵抗はしなかったが、僕に協力的でもなかった。それに、僕には、それがどれだけ大きな意味を持つかも分かっていなかった。映画やテレビでは、誰もが誰もにキスしていたから。僕にとっては、たいしたことじゃなかったわけ。
本当の意味での性的体験を経験したのは、その次の訪問の時。すでに僕は、多分14歳か15歳。いやひょっとすると16歳かも。正確には忘れた。ともかく、その時、僕は10代の真っ盛りなわけで、ノースダコタに行きも帰りも3日間、車に乗っていくなんて、真っ平ごめんだったことは、しっかりと覚えている。だが、僕の両親が、僕が家に留まるのを許して旅行に行くなんてありえなかった。で、僕はどうしたと思う? やっぱり、ついて行ったわけ。
着いたときには、僕はぶすっと不機嫌になっていたね。ドライブの3日目なんて、11時間近くも乗っていたんだ。すっかり退屈しきっていた。その挙句にノースダコタの田舎の農家に1週間もいなくちゃいけないし、さらにまた同じく3日間かけてニュージャージーに車で戻らなくちゃいけないと。もう、うんざりだよ。