男たちが行くのを見て、あたしは、ほっと安堵の溜息をついた。クリスティもあたしの腕を離した。ベティは、パッと明るい笑顔をあたしに見せた。完璧と言えるような歯並びの真っ白い歯が見えた。これならどんなハリウッド女優とも張り合えそうと思った。そして彼女はあたしにウインクをして見せた。
「あのバカ男たちのことは気にしないでね。あの人たち、警察のことを口に出せば、無害だから」
「ありがとう」とあたしは感謝した。
「ほんと、ありがとう!」 とクリスティも。ようやく娘は声が出せるようになったらしい。
あたしたちはベティの後について、お店の中央部に出た。目の前にはベティの、完璧な形のお尻があって、左右に揺れている。太腿の真ん中あたりまでの丈のミニスカートを履いていて、そこからいい色に焼けた太腿が露出していた。ベティの素敵なお尻に、目を釘づけにしながら、歩いた。
「ふたりとも、ちょっと怖気づいてしまったみたいね。私がお店の向こうに行って、ちゃんと男たちが出て行ったか見てくるわ」
ベティはそう言ってあたしに近づき、またにっこり微笑み、フレンドリーな感じで、握手の手を差し出した。
彼女は、ほとんど露出したあたしの胸と、そこにくっついたままのベトベトに吸い寄せられているみたいに、そこに視線を向けていた。彼女、たぶん、このベトベトが何であるか分かったかもしれない。そう思ったら、頬が熱くなるのを感じた。
「私はベティ」 彼女はそう言い、人懐っこそうな目であたしを見て、握手をした。
ベティは、あたしがあのバス停にいた女だと覚えているはず。だけど、知らないフリをしているのだろうと思った。多分、クリスティがいるので、お互いのプライバシーをクリスティに知られたくなかったからだろうと思う。あたしは、そのベティの配慮がとてもありがたかった。
「ハイ、あたしはケイト。そして、彼女は娘のクリスティ」と握手しながら答えた。
「娘?!」 ベティはちょっと驚いたみたいで、愛らしい目をまん丸にした。
その反応から、ひょっとすると、ベティはあたしたちがビデオ・ブースで何をしていたか知ってるのじゃないかと思った。そう思ったら、なおさら頬が熱くなるのを感じた。ベティにもあたしが頬を赤らめてるのが見えていたはず。
「本当に仲のいい、母娘なのね」 とベティは言い、すぐに急いでつけ加えた。「お店を閉めちゃうことにするわね。オフィスの奥に流しがあるの。そこで身体を洗い流すことができるわ」
クリスティは、あたしに素早く目配せし、ベティの後について行った。ベティが正面ドアに鍵をかけ、OPENのサインをひっくり返すのを目で追いながら。
あたしは、できるだけ早く娘とこの店から出たいと思っていたけど、もうひとつ、ここにいて、ベティのことを見ていたいという気持ちもあった。ほんと、ベティには何か魅力的なところがある。何か、あたしの心を捉えて、ここにいたいという気持ちにさせるモノが。……彼女の身のこなし? それとも、彼女の素敵な肉体? あたしには分からない。彼女のことについて知りたいことがたくさんあった。ピアスをした乳首についてとか、あのバス停での彼女の行為についてとか。
店の奥に行くと、ベティは小さなオフィスの中に設置されている流しを指し示してくれた。あたしは、小さなナプキンを持っていたので、それを濡らして、胸の谷間についたスペルマや、脚の間のベタベタを拭った。ベティにあたしが完全な淫乱女だと思われないように。
「あの男たち、前に見たことあった?」 とあたしは、胸のところをきれいにしようと、少し胸をはだけながら、ベティに訊いた。
ベティの目が、一瞬だけ、あたしのはだけた胸元に降りて、すぐにあたしの顔に戻るのを見た。
「いいえ、初めてね、この店では。この店には、普段はもっと下品な男たちが来るの。あの男たちはオフィス勤めの人みたいだけど」
あたしは、ドレスに染みがついているように見えたので、ちょっとドレスを引っぱった。その結果、一瞬だけ、ベティに乳首を見られたと思う。ベティは、ちょっと目を見開いたあと、すぐに目を反らした。だけど、彼女の呼吸が早くなったのは確か。あたしは、ベティは、同性愛には興味がないかもしれないけど、他の女性の肌を見ると興奮する人なのかもしれないと思い始めた。
「いずれにせよ、あたしたちを助けてくれて、本当にありがとう。どうやってお礼をしてよいか、分からないわ」 と濡れたナプキンを捨てながら言った。
「あら、そんなのいいのよ。助けになれて嬉しいわ」
「少なくとも、いつか、あなたをランチに招待させて。うちの家の庭でゆったりしながらランチを食べたり、なんなら、今度プールを作るから、それができたら、浸って遊ぶのもいいかも」
あたしは、今度、庭にプールを作る計画があることを伝えた。あたしも、主人も、家にプールがあると、若い女性が遊びに来ても、楽しめるのじゃないかと思っていた。
「それって素敵ね。是非、行きたいわ。あなたたちふたりも、こうして知り合いになったわけだから、時々、ここに遊びに来てね」 とベティは言い、ウインクした。
そして、あたしたちは、ベティと電話番号を教え合い、支払いを済ませ、お店を出た。
つづく
次の他の変化に気づくまで、ほぼ1ヵ月がすぎた。今度は、ふたりがジムに行き、いつものようにウェイト・リフティングをしていた時だった。クウェンティンが、いつもの重量を、普段の半分の回数すらリフトできないことに気づいたのである。振り返って思い出してみると、確かに、徐々に筋力が衰えていた。だが、クウェンティンは、それをストレスのせいか、あるいは、よくある小さな変動にすぎないと、無視していたのだった。
だが、この時、胸からバーベルを持ち上げようとあがきながら、はっきりと自覚した。自分は弱くなっている。それはグレッグも同じだった。ふたりとも、いつも、同じウェイトを同じ回数、行っていたから。クウェンティンは、エクササイズを終え、ウェイトを棚に戻し、立ち上がった。
「ちょっと気分がすぐれないんだ」
クウェンティンは、そうグレッグに言い、そそくさとロッカールームに入った。運動着を脱ぎ、鏡の前に立った。はっきりと目に見えて分かるわけではないが、自分の身体である。はっきりと分かった。彼には、筋肉が大きくやせ細っているのが見えた。前なら、筋肉が隆起し、その隆起の間に深々と谷間ができていたのに……確かに、隆起は見えるが、前ほど隆々としたものではない。確実に筋肉が落ちている。
身長はどうだろう? これははっきりとは分からなかった。クウェンティンは背筋を伸ばして立ち、周囲の物と比較し、相対的にどうだったかを思い出そうとした。ああ、やっぱり。これは想像ではないのだ。実際に、背が低くなっている。多分、3センチから5センチくらい。前は183センチはあったのだが。
ひと月前、クウェンティンはグレッグの前では、何でもないといった体面を繕った、だが、実際は、心の中、全然穏やかではなかった。
クウェンティンは、これまでずっと、自分の身体の大きさに頼ってきたところがあった。この身体が彼に自信を与えていた。もちろん、意識の上では、逞しい身体だけが自信の元であったわけではないが、逞しい身体が彼の個性の中核を占めていたのは事実だった。
したがって、その筋肉が失われかかっている今、彼がトイレの個室に入り、便器にうずくまるように座り、声も立てずに、ひっそりと頬を涙で濡らしているのを見ても、その理由を理解するのは、難しいことではない、
だが、クウェンティン自身にすら、その涙の理由ははっきりと分かっていたわけではない。彼は、ただ、彼の世界がぼろぼろと砕け落ちていくような気持ちだっただけである。彼は便器に座ったまま、前のドアを見つめながら、ほぼ5分間、涙を流していた。そして、馴染みのある声が彼に問うのを聞いた。
「クウェンティン? ここにいるのか?」
グレッグの声を聞き、クウェンティンは鼻を啜り、顔から涙をぬぐった。
「ああ、ちょっとだけ」
クウェンティンは立ち上がり、トイレのドアを開けた。そしてすぐに洗面台に行き、顔に水を当てて洗い始めた。グレッグに顔を見られないように注意した。こんな顔を見せたら、性格の弱さをあからさまに見せてしまうようなものだ。そうクウェンティンは思っていた。そんな顔を恋人に見せるわけにはいかない。
クウェンティンは肩に手をあてられるのを感じた。優しく擦ってくれている。顔を上げると、そこにはグレッグがいた。
「大丈夫か?」
「ああ、ちょっと気分が良くなかっただけだよ」 とクウェンティンは嘘をついた。
「本当か?」 グレッグはしつこく聞いた。
「ちょっと、吐き気がしてね」
「なんなら、今日は仕事を休んでもいいんじゃないか? そうだよ。家に戻ろう。そうすれば、明日には気分が良くなっているさ」 とグレッグは提案した。
「そうだね」
クウェンティンはそれしか言わなかった。明日になっても、この悲しみが癒えているわけでは決してないのは分かっていた。これは、永遠に治らないし、進行が止まるわけでもないのだ。
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