俺は、電話を切った後、バスルームに行って身体を洗い、ベッドに戻った。横になりながら、グラフ先生から電話をかけてきたことを考えた。俺に、イク許可を求めてきたとは。どうやら、俺は先生の心を支配しかかっているようだ。俺のことをご主人様と認めた以上、次のレベルへと先生を引き上げることにしよう。
そんなことを思いながら、俺は眠りに落ちた。
翌朝、目が覚めたときは、かなり遅くなっていた。仰向けに寝返りながら、クラブ・カフスのことを考えていた。
「今日は、どんなテストをされるんだ?」
窓から明るい日差しが差し込んでいる。
俺は、グラフ先生のことも考えた。先生が自分から、2回目を求めて、俺に電話をかけてよこしたなんて、いまだに信じられない。しかも、単にイキたかったら、俺に許可を求めず自分でやればいいのに、そこを、わざわざ許可を求めて電話してきた。多分、先生は、調教の本質を理解し始めてきたのだろう。
はっきりしていることは一つ。昨夜の先生の素晴らしい行動には、充分に褒美をあげる必要があるということだ。
ベッドから跳ね起き、シャワーを浴び、着替えた。すでに昼になっていた。クラブに行くまで、5時間しかない。
ブラッドの母親から脅し取った金から、少しだけ取り、ポケットに突っ込み、下に降りた。遅い朝食を食べながら、グラフ先生をクラブ・カフスに引きずりこむための計画について考えた。そして、何とかなりそうなアイデアを思いついた。
食事を終え、後片付けを済ます。それから自転車に乗ってモールに向かった。
交通量の多い道を進み、30分ほどかけて、モールに着く。こういう蒸しむしして暑い日には、エアコンの効いたモールの店内は気持ち良い。
いろんな店が並ぶモール内を歩き、目指す店についた。フレデリックス・オブ・ハリウッド(
参考)だ。
セクシーなドレスが山ほどハンガーに掛かっている。それを次々にチェックしていき、ようやく良さそうなのを見つけた。黒のサンドレス(
参考)だ。肩紐のストラップはスパゲティほどの太さで、丈は太ももの真ん中あたりまで。サイズをチェックし、大丈夫だと確認。その後、ストッキング類の部門に移動した。
俺の頭の中では、すでにグラフ先生に着せる服装は確定している。
目当てのものはすぐに見つかった。黒ストッキングとガーターのセットだ。俺の選んだストッキングは、葉のパターン(
参考)のデザインの黒ストッキングで、後ろにはシーム付だ。このストッキングを這い上がると先生のムチムチの白肌が出てくる。それを想像するだけで、股間がぴくぴく反応した。
次にブラジャー売り場に行った。お目当てはストッキングと同じ模様のやつだ。運良く先生のサイズに合うのを見つけた。このブラから、あの胸の谷間が顔を出す。気が狂いそうになるぜ。
ブラ売り場の反対側はパンティ売り場になっていた。ソング・パンティ(
参考)を探す。これもストッキングやブラと同じデザインのを見つけた。色も黒だ。生地の感触もいい。これを履かせて、先生の尻を撫で回す。熱く燃えた先生の体温が伝わってくるようだ。
靴売り場に行き、良さそうと思われるセクシーなハイヒールを2組見つけた。高さを考慮に入れて、どちらにするか考えた。そして結局、ヒール高17センチの靴底がプラットフォーム(
参考)になっているのに決めた。こいつには細いストラップが着いていて、それをふくらはぎから膝まで巻きつけるようになっている。足を覆うタイプじゃないので、足が露出することになる。これを履かせたまま、足の指を舐めてやることにしよう。
すべてを持ってレジに行った。レジは若い女で、商品のバーコードをスキャンしながら、俺のことをちらちら見ていた。
「レディの着飾り方を、よくご存知のようですね」 と微笑みながら言う。
俺も笑顔を返した。「ああ、彼女も気に入ると思ってね」
支払いを済ませ、店を出た。まだ、もう2つほど買わなければならないものがある。俺はモールの奥へと急いだ。
「ネットにおけるセックス小説:最初の20年」 Sex Stories on the Internet: The First Twenty or so Years H. Jekyll http://www.literotica.com/stories/showstory.php?id=326224
2008年2月2日
セックス小説がインターネットで非常に急速に拡大したいきさつはどうだったのか。それに関心を持つ人がいるかもしれない。目を見張る行為を写したセックス画像でもなければ動画でもない。小説である。執筆し、編集するのに膨大な時間がかかり、読むにしても時間を取られる小説。しかも、書いたとしても儲けは極めて少ない。いや、儲けなどないのが大半だ。無料のセックス小説は、インターネットが考案された時とほとんど時を同じくして登場してきたし、少なくともウェブの登場に先んじること数年前の1990年以来、ネット外の世界の評論家によって「問題」とみなされてきたのである。そんなセックス小説が広まった経緯はどんなだったのだろうか。
セックスは、何世代、いやたぶん何世紀にもわたって、見事に検閲されていた。古代ローマの邸宅を飾った露骨な壁画や、インドの洞窟内にある男女の逢引を描いた彫刻など、どの時代でも、人の身体を表現すること、特に、性的エクスタシーを求める行為を行っている人の身体を描くことは、長い間、違法とされる時期があった。作家が書いた本が「ボストンで発禁」となると、それがその作家にとって名誉の勲章とされる時もあった。
性が隠されてきた理由や経緯について深入りする必要はないだろう。性的なことには対立した概念が含まれていることを理解しない者などいないのだから。夫婦の間で行う愛に満ちた普通のセックスは一般に好ましいと考えられている一方で、相手の選択に関しても、欲望の種類に関しても、様々な性的活動があるのが事実なのだ。アレをする? 誰とする? どんなことをやってみたいと妄想する? たとえ夫婦の間であっても、セックスに関して「極端な」関心をもつことには、世間の人は眉をひそめるものだ。これはかなり深刻な事柄であるので、人は、普通、欲望や自分が行っていることを隠すのである。この前、愛する人と試してみたちょっとした実験について、最近ご近所の人とおしゃべりした人がいるだろうか?
それでも、セックス小説は拡大してきたし、ますます盛んになっている。どうしてなのか? そこで、インターネットにおける「大規模名称変更(Great Renaming)」から始めて、その歴史をたどることにしよう。
遥か遠い昔、まだ毛むくじゃらのマンモスたちが平原を支配していた時代、インターネット上のメッセージは、大部分、現在の Usenet の直接の祖先である掲示板システム(bulletin board system "BBS")を経由してやり取りされていた。掲示板に投稿されたメッセージは、Eメールと異なり、個人ではなくグループへ送られる。そのメッセージは、サーバ上の外部からアクセス可能な領域に蓄えられ、そのサーバのネットでのアドレスを知っている者なら誰でも読めるようになっていた。
だが問題がおきた。当時、存在していた様々なシステムに多数の掲示板が増殖し、システム全体が混沌状態となり、使いづらくなってしまったのである。そこで、コミュニケーションの統括を改善するため、1986年ー1987年に、主なシステム管理者たちが「大規模名称変更」を行ったのだった。ディスカッション・グループ(別名ニューズグループ)は、それが扱う話題の種類に応じて、一連の階層構造に従って分類されることになったのである。
「alt.*」で始まる階層は、分類規制が大部分できないニューズグループを収めるために作られた。altという用語は「alternative(代わりになるもの)」の意味だったが、当時の常識的なジョークでは、altとは、「アナーキスト、キチガイ、テロリスト(anarchists, lunatics, and terrorists)」の頭文字を表しているとされていた。それと言うのも、「alt.*」の階層は当初から常軌を逸した話題や反社会的な話題に集中するグループでいっぱいで、そこでの「議論」とやらは、かなりの量の罵りあいが特徴的だったからである。そして、インターネットでのセックス関係の大半が、初期の住処としたのも、このalt階層だった。
実際には、「alt.sex.*」の階層が確立したのは、大規模名称変更から丸1年後のことである。1988年4月、さんざん反対があった後、そして明らかに、ほとんど秘密のうちに、alt.sexが立ち上げられた。そう、当時は今とは事情が違っていたのである。年季の入ったネット人たちはalt.sexの設置以前にもセックス小説がインターネットに出ていたと言うが、私はいまだにそれを発見していない。ともかく、alt.sexの設置に伴って、インターネットでの露骨なセックス小説は離陸したのだった。(正確な日付は確認できていないが)alt.sex設置の直後に、すでにalt.sex.bondageのニューズグループが設立されている。