家には女物の服はない。だが、思い出した。俺は、別れた妻が俺の大きなセーターを着た格好が大好きだったのだ。そこで俺はTシャツを着て、その上に好きなニットのセーターを着た。
Tシャツもセーターも大きすぎて、裾が尻の下まで来ていたが、鏡の前でくるっと回りながら見てみたら、実にキュートに見えた。これは可愛いぞ!
だが、前の方を見ると、裾のところからペニスがだらりと下がっているのが見える。また、前の疑問が出てきた。俺はいったいどうやってこれを隠したらいいのだろう?
まず、ズボン類はどんな種類のズボンであれ問題外のように思えた。ズボンを履いて隠しても、確実に巨大な盛り上がりができてしまう。と言うことは、スカートを履くかドレスを着る他なさそうだった。
俺はだぶだぶの赤いプレード柄(
参考)のトランクスを履き、着れそうなモノを探し始めた。
衣装箱やタンスを探し回ったあげく、ようやくお宝を見つけた。元妻の古いウォーク・イン・クローゼットの中でだった。
棚の一番上に不要物として置いて行った箱があったのだが、それを降ろしで中を漁ったら、履き古しのナイキの靴とプリント地の古着が出てきたが、その他に、そもそも着る気がなかった衣類があったのだ。
裾が膝までの灰色のスカートも出てきた。プレイド柄のプリーツ・スカート(
参考)だ。多分、元妻はこのスカートは腰回りがきつすぎて着なかったのだろう。いまの俺は元妻よりずっと小さくなっているので、このスカートはちょうどいい具合のサイズだった。
ふと、俺は元妻のサラのことを考えていたにもかかわらず、全然、心が痛んでいないことに気がついた。確かに悲しい感じはしたが、前は感じていた、あのハラワタが煮えかえるような怒りとか絶望的な悲しみとか、全然感じていない。もっと言うと、感情面では実にハッピーで、不思議なことに、あらゆることに穏やかな気持ちでいることに気がついた。ひょっとすると、俺は、前の俺より、いまの俺であったほうが、この先、より素晴らしい人生を送れるのではないか。「いまの俺」というのは、まだまだ知らないことばかりなのではあるが。
急にお腹がぐうーっと鳴った。考えてみれば、俺はこの二日間、何も食べていなかったではないか。いや、あの怪物の出したスペルマと俺自身が出したスペルマは食べていたが、それ以外は何も食べていない。
基本、前の俺は荒れた生活をしていたわけで、この家には何も食料を置いていなかったことに気がついた。というわけで、モールに行って何か食べ、新しい服を買ってくることに決めた。
ナイキの靴の匂いを嗅いで、イヤな匂いがしないことを確かめた後、裸足のまま靴に足を入れた。ちょっと大きいが、何とかなるだろう。
俺の古い財布から現金とクレジットカードを取り、iPhoneと一緒にセーターのポケットに突っ込んだ。このクレジットカードを使う時、誰かに質問されないだろうか? その時は、これは私のパパのカードなのと答えよう。それでやり過ごしてもらえればありがたい。ともかく、そう期待する他なさそうだ。
実際のところ、俺は経済的にはかなり裕福である。仕事の給与は良かったし、貯蓄もたくさんある。10万ドルほど株があるし、家のローンはすでに終わってる。それに、結婚前にした財産分配に関する取り決めと、妻が浮気をしたのが離婚原因であったため、離婚に際して、一切、慰謝料は取られなかった。
元の自分の消失と新しい自分の出現を、世の中のレーダーから隠し、いまの財産を保持し続けるにはどうしたらよいか、だいたいその計画が頭の中にできつつあったが、とりあえず、今は、食い物と服だ。
ポールの店を出て、車に戻る途中、アンジーが私の顔を両手で挟んで、火がついたような熱いキスをした。私は突然の攻撃に、つまずきそうになり、両腕をバタバタさせた。
「これ、何で?」 とやっとの思いで訊いた。
「直ちに10や20は理由を出せるわ。でも、まず最初に、これをしてくれてありがとう」
「これって? まだ何もしてないけど」
アンジーはひるまなかった。「でも、これからすることになるわね。あなたのことよく分かってるもの。絶対にすることになる。あなたの場合、何を始めるにしても、いつも必ず最後までやり遂げる人だわ。大それたことも些細なことも、全部、最後までやり遂げる。今度のも、そのひとつ。あなたのこと愛してるわ!」
その最後の言葉が彼女の唇から出た時、私はたじろいだ。大げさすぎる。ひょっとして、と彼女のことを疑った。
アンジーは、私の疑念を抱いたことを、ためらっているのだと誤解したらしい。身体をギュッと私に押しつけ、誘うように下腹部を私に擦りつけた。そして、また、あの魅惑的なチシャ猫の笑みを浮かべた。
「あなた、私の身体が欲しいのね。そうでしょう? 少なくとも月曜の夜には、そんな印象を私に与えたわよ」
これは、ダイアナと一緒にいるときに経験したのと同じダブル・アンタンドレ(
参考)だった。彼女の身体を自分のモノにする。男としてその身体を奪いたいのか、女としてその身体になりたいのか。私が一方を否定したら、彼女はもう一方を否定するだろうか? ダイアナを私のモノにした時、このことがどうしてそんなに重要に感じたのだろう? そもそもダイアナは私のモノになっているのか? それを言うなら、アンジーは私のモノになっているのか? 心の中、警報が鳴り響いた。
「身体のことについてお医者さんに会いに行こう」 と私は溜息まじりに言った。
アンジーは優しくキスをしてくれた。
「絶対あなたはそうすると確信してるわ。とても美味しそうな体つきになるわよ。たぷたぷだけど張りのあるメロンがふたつ。キュッと細い腰、そして丸々と大きなお尻! ちょうど私みたいに!」
確かに、美味しそうだ。
***
ピーター・レーガン医師のオフィスは、元巨大倉庫街の一角にあった。倉庫だったとはいえ、今はずっと高級感を増している。風通しのよいロフト風のオフィスは、全壁面が新たに明るい色に砂吹きし直され、硬材の床や扉は光沢を放ち、椅子やソファは快適そうではあるが、決してひけらかした趣味ではなく、水彩画が壁面に飾られ、金物類は真鍮製で、シダ類の植物の鉢植えがいくつも置かれていた。
天井は高く、配管されたばかりダクトが露出したままになっている。診察所という雰囲気ではなく、まさにリバー・ノース地区(
参考)のヤッピーたちが集うバーのような雰囲気だった。私は、心半分、その医者はブッチ・マクガイア(
参考)のような顔をしているのではないかと思った。
だが、実際は違った。レーガン医師は30代後半で、身長180センチくらい。濃い茶色の髪はふさふさ、どんな些細なことも見逃さない鋭い瞳、野性的なルックスだけど、笑うと北極海の氷山も溶かすような笑顔になる人だった。