「いじめっ子」 The Bully by Nikki J.
ジョージは地べたに倒れた。レオに押されたからだ。ジョージはレオを見上げた。レオは身体が大きいわけではない。もっと言えば、身長160センチで体重も60キロだから、小さい方とも言える。だが身体の大きさは実際は関係ない。ジョージは弱虫ウインプなのである。ほとんど誰とであっても、肉体的に喧嘩をするとなったら、必ず哀れなジョージがしこたま殴られる結果になる。
「見ろよ、このホモオンナ男をよ!」 レオが嘲った。周りにはジョージの辱めを見に他の生徒たちが集まっていた。「そろそろ泣きだすぞ?」 誰もが大笑いした。
ジョージは泣くのは嫌だったが、でも泣き出しそうになる。どうしてもこらえられない。ジョージは向こうから先生が来るのを見てほっとした。ハーディソン先生だ。「けんか」を止めにこっちに来る。レオや他の生徒はいっせいに散らばった。
ハーディソン先生は手を伸ばし、ジョージはその手を握った。
「ジョージ、君は自分で自分を守るようになれなきゃダメだぞ」
「分かってます、先生」
そうは答えたけど、ジョージには分かっていた。あと2週間ほどでこの高校から卒業する。その時までいじめは続くだろうと。
ジョージは背が高かったが、痩せてひょろひょろしていた。小さいころからいじめの対象となってきた。高校になる頃には、いじめにすっかり慣れていた。他の子供たちは彼に悪口やホモだと呼んで煽り、いじめた。実際、その点について言うと、彼はバイセクシュアルではあるのだが、そのことが重要ではないのである。どんな女の子も彼に話しかけなかったし、ましてやセックスするなど問題外だった。
その出来事のあとは、ジョージにとって幸いなことに、他の生徒は近づく卒業式の方が関心事になり、概して、ジョージを放っておくようになった。2週間が過ぎ、ジョージは卒業した。
*
夏の間、ジョージは家でビデオゲームばかりをして過ごしたが、その夏が終わり、彼は大学に進んだ。ジョージは期待に胸を膨らませていた。彼の専攻は生化学専攻。最初の数日は楽しく過ごした。実際、これから友だちになれるかもしれないと思える人たちとも出会えた。
だが、それも突然瓦解する。キャンパスをぶらぶら歩くレオの姿を見たからだ。ジョージは隠れようとしたが無駄だった。レオに見つかったからである。
その後の流れは、ジョージが予想したようになった。レオはジョージを嘲弄し、まだホモなのかとからかったりである。それに対してジョージは反論すらしなかった。学生たちの多くがそれを見ていた。
その日から後、大学も高校と大差なくなった。ジョージと話しをする学生はほとんどいなくなったし、ましてや彼を友人と思う者は皆無になった。ただひとつだけ明るいことがあり、それは彼が学業で優れていたことだった。そして、たった3年で生化学の学士号を取り卒業。その1年後、修士号を取り、さらにその1年後、博士号を取ったのである。
学生同士の付き合いがほとんどなかったことで時間が十分あり、自分の選んだ分野を探求する機会に恵まれたおかげだろうとジョージは思った。
大学院を出てたった2年が過ぎたころ、彼はほとんどの癌のタイプに効く薬品を開発し、その特許を売却した。その売却により大金を得るとともに、会社の株も与えられた。結果、数百万ドルにもなった。
大成功を収めたお祝いに、ジョージは2ヶ月ほど遊んで過ごした。大金を高価なものを買ったり、美しい女性たちとセックスをするのに使ったり、社交を学んだりである。ひとしきり遊ぶと、やがてジョージはそれに飽きてしまった。別の病気を治す薬の開発に精魂を傾けることも考えたが、たぶん壁にぶち当たるだろうと思った。いや違う。もっと自分のために何かをやりたい。
彼が自分の希望を悟るまで、じっくり考える時間は2週間しかかからなかった。復讐したいと思ったのである。あのレオを懲らしめたい。だが、単に身体的苦痛を与えるのは望まない。
ジョージはある復讐計画を思いついた。その計画は社会実験にもなるものだった(科学者としての彼の頭脳が、そういう部分を入れることを拒めなかったのである)。
早速ジョージは彼がもっとも得意とすることに取り掛かった。すなわち薬を作ることである。復讐を現実にするための化学合成物。
その薬剤を現実に作ってみると、実に簡単にできた。たった数週間で合成を終えたのである。遺伝学や生化学の新しい分野を調査しなければいけなかったが、彼にはしっかりしたモチベーションがあった。
この薬は作成と同様、効果も単純だった。これを取るとレオの身体にいくつかの変化をもたらす。第1に、レオのアヌスと乳首が性感帯になる(乳首自体も少し大きくなるし、興奮すると勃起するようになる)。アヌスは特に敏感になる(もっと言えば、ペニスのもたらす快感を上回るようになる)。第2に、レオの体形も少し変化する。腰回りが少し大きくなり、ウエストは細くなる。また尻も丸みを帯びるようになる。加えて、声質も少し高音になる。肌も柔らかくなり、体毛の大半がなくなるだろう。顔も丸みを帯びる。第3として、ジョージは、ある種のフェロモンに関して、その分泌とそれへの反応も調節した。男性のフェロモンより女性のフェロモンに似たものになる。
この変化は段階を追って生じる。月単位で少しずつ発生してくる。
ジョージは会社の特殊業務部員を雇い、レオの家に忍び込ませた。そしてこの薬物を仕込み、一連の小さなハイテクカメラとマイクをしかけた。ジョージはこの労作の結果がどうなるか、目と耳で確かめたかったからである。
*
レオは驚いて目を覚ました。実に変な夢だった……。正確には思い出せないが…。彼は目をこすり、身体を起こし、投げるようにしてブランケットを剥いだ。ベッドから出て、仕事に行く準備を始める。シャワーを浴び、髭を剃り始めた。でも、途中でやめた。髭剃りの必要がないと気づいたからである。そもそも彼は髭剃りが嫌いだった。
職場につく。彼は投資会社の低レベルのアナリストである。秘書に挨拶もせず、オフィスに入り、デスクについた。彼は勤務時間の大半をインターネットをして過ごす。YouTubeで面白い動画を見たりである。概略的に言って、仕事らしい仕事は何もしない。これがレオにとっての典型的な一日である。
勤務時間が終わると、バーに飲みに出かけ、その後、酔ったまま車で家に帰った。幸い、事故には会わなかった。そして家に入り、カウチにごろりとなってそのまま意識を失った。
翌朝、レオは酷く体調が悪かった。吐き気が止まらず、やむなく職場に欠勤の電話を入れた。次の日になっても良くならなかったら医者に行こうと思った。
*
幸い、次の日は気分が爽快だった。もっと言えば、これほど爽快な気分になのは、ずいぶん久しぶりのことだった。元気に跳ねまわるようにしてシャワーに入った。そして、身体を洗いながら、アヌスの開口部を擦った時だった。なんか違う感じがする。嫌な感じではない。いつもと違う、前より敏感になっている感じだ。
レオは肩をすくめ、シャワーを終えた。職場での一日はほとんど何もなく過ぎた。ただ、乳首が疼き続けてた。多分、発疹か何かだろうとレオは思った。そして、その日もネットを見て勤務時間を過ごしたのだった。
31
性的魅力はパワーだ。その魅力を自分に都合が良いように使う方法を知るだけでよい。女性は太古の昔からそれを知っている。僕はその人生の根本真理を学び始めたばかりだ。
施設内に入るまでは問題がなかった。あのIDカードのおかげで、何の問題もなく数々のドアが開いた。だが、施設に入ったところで捕まってしまった。作り話をでっち上げたが、相手の方が僕の顔を知っているようだった。
「私のことを知ってるの?」
彼は頷いた。「君は被験者だから」
「でも私の名前も知ってるの?」
彼は頭を振った。
「私はアレックス。彼らが私に何をしたか知ってるでしょ? あんたの名前は?」
「グレッグ。グレッグ・アンドリューズ。監視担当。だから、君がここに来たのを知っている。君が毎日何をして、どこに行ったか、我々はすべて監視している」
彼が言ってることの含意を深く考えてる余裕はなかった。そんなことで僕のミッションを軌道修正させるわけにはいかなかった。あまりに多くのことがこのミッションにかかっていたので、監視されていたことに怒ってる暇はなかった。要するに、彼らは僕を監視してる必要があったと言うこと。そうね? 僕は研究対象だったということ。僕は、僕は…彼は何と呼んだっけ? ああ、被験者。名前すらない。人格すらない。単なる、いじって遊ぶための実験室のラット。僕がジェニーの夫だと知ってる人は何人いるのだろう?
だが、そんなことはどうでもよかった。問題はワクチン。そういうわけで僕は唯一持っている武器を使った。
「あなた、私のことをずっと見てきたんでしょ? 何もかもすべて?」 と無邪気な声で訊いた。
彼はまた頷いた。
「私がオナニーしてるところも見たんでしょ? ねえ?」
彼のズボンの前が膨らむのが見えた。僕はシャツを脱いだ。今日はノーブラで来てる。
「これがあなたが見たいものなの?」
ズボンを脱いだ。
「人によって形とか大きさとか違うのよね? そうでしょ?」
パンティを脱いだ。
「私を見ながらオナニーすることある? いいのよ、オナニーしてても。男が私を欲しがってると思うと感じてくるから」
彼は私を見つめたままだった。
「ちょっと秘密を聞きたい?」
彼は頷いた。私は彼に近づき、彼の前に身体を傾けた。そして耳元に囁きかけた。
「あなたのズボンの中、大きなおちんちんがありそう。いま私が思ってること、何かと言うと、そのおちんちんをお口に入れること。それだけなの…」
そう言ってすぐに彼の前にひざまずき、僕の人生で2本目のペニスをしゃぶり始めた。これはアンリのとは違った味がした。違いはほんの少しだけだったけど。彼を逝かせるのに時間はかからなかったし、最後の一滴まで飲み込んであげた。最初にした時ほど、汚らしい感じはしなかった。
ことを終え、服を着ながら彼に言った。
「私が来たことはふたりの間だけのことにしましょうね。いい?」
彼は頷くだけだった。
「いい子」と、かれのお尻を軽く叩き、僕は部屋から出た。
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32
自分が何を期待していたのか分からない。ことの全貌が突然分かるとか、そういうことだったのか、あるいは本来の自分に、少なくとも気持ちの点で、奇跡的に戻るとか、そういうことだったのかもしれない。ワクチンを手に入れた後は、すぐにそこから出ていくべきだったと思う。でも、ジェニーは正確にどんなことを僕にしていたのか、それをどうしても知りたくて、その場を離れられなかった。
だから、運よく関連情報を見つけたときにはちょっと驚いたと思う。それは軍のために用意されたプレゼン資料だった(この会社は資金等を引き続き得るため軍を納得させる必要があったのだろう)。僕は素早くそれをメモリにコピーし、できるだけ早くその場から離れた……。
家に帰り、早速、ジェニーが僕に何をしていたにせよ、その詳細を調べる仕事に取り掛かった。
どうやら、マインド・コントロールは可能のようだ。だが普通に考えられてるようなやり方ではないらしい。テレパシーのように何か思考がビームのようになって脳に送りこまれるなどはあり得ない。それは馬鹿げている。この方法は、脳の暗示への順応性を加速することと、そのような暗示を適切に行うことの組み合わせのようだった。同じ暗示を充分な回数繰り返すと、その暗示を脳が自分で生み出した考えであると思い始めるということ。音楽と一緒に暗示をかけると、サブリミナルなメッセージが被験者にまったく気づかれるに済むらしい。
そこまでは理解できた。政府は(それにおそらく多くの民間人も)このようなテクノロジーのためなら人殺しもするだろうと理解した。
プレゼンテーションの中では僕のことはずっと「被験者」と呼ばれ続けていた。基本的に、(例えば髪を長くするとかの)小さな変化では充分ではないらしい。連中はもっと変化を求めた。その結果、大幅な減量が加えられた。だが、それでも充分じゃなかったのだろう。連中はもっと証拠が欲しかったのだ。そういうわけで、僕の女性化が開始された。ジェニーが、平均的な筋肉質の男性である僕を、僕に気づかれずに、女性化させることに成功したら、このプログラムは確実な成功を収めたものとみなされる。そういうことらしい。
それこそ、ジェニーがこの2年間してきたことだった。この資料を読む前から、ジェニーに責任があることは知っていた。でも、僕は、それは何か間違いで起きたことなのではと期待していた。計算して行った実験ではないと。僕は完全に間違っていた。ジェニーは、この2年間、ずっと、自分が正確に何を行ってるか、知っていたのだった。
それに資料によると、1年を過ぎた後は、効果は永続的になるらしい。1年以内なら、精神的変化を逆回転できる。だが、それを過ぎると、被験者(つまり僕)はずっと変化したままになる。
そういうことだ。僕は、良かれ悪しかれ死ぬまでこのままでいることになるのだ。
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33
ジェニーは僕が永遠にさよならすると知っていたように思う。僕はスーツケース1個しか持たなかったけれど、彼女には分かっていたはずだ。僕が300万ドル近くのお金を海外の銀行口座に振り込だのを知っていたはずだから。ジェニーほどの大富豪であっても、それだけのお金がなくなっていたら気がつくものだから。それに気づいていながら、何もしなかったのは、僕に対して行ったことに対する、彼女なりの謝罪だったのかもしれない。あるいは、単に僕に消え去ってほしいと思ったからかも。このお金で僕は解雇したと。
どっちにせよ、彼女はすべてを知っていたと思う。僕がいろいろ調べていたこととか、会社に侵入したこととか、僕が事実を知ったこととか。ジェニーは、もはや僕を操作することができないと知っていたが、それでも僕に留まってほしいと思っていた。そこまでは僕も理解できる。実際、いろんなことをされたけど、ジェニーが僕に留まってと頼んでくれたら、僕もそうしたかもしれない。彼女の口からすべてを明らかにしてくれて、どうしてあのようなことをしたのか、どうして夫である僕をテストの被験者として利用したのかを説明してくれたら、そうしたら僕も話しを聞いたかもしれない。そして、ひょっとすると、本当にひょっとするとだけど、彼女を許せたかもしれない。
でもジェニーはそういう人じゃない。彼女は自分が間違ったことを認めることができない人なんだ。…とても頑固な人。彼女が行ったありとあらゆることを目の前に突き出されても、彼女は、彼女によって人生を盗まれた男に対して謝ることすらできない。男? 僕はもはや男ではない。ずいぶん前から男ではなくなっている。
本当に不思議だ。この選択肢が与えられたとして、僕自身ではこの道を進むことを決して選ばなかっただろう。そもそも、身体的に可能だったとも思わない。……このような変化を自分自身に課すような意志の力なんか僕にはないから。誰もそんな力は持っていないと思う。でも、僕はこの数々の変化を強制されたにもかかわらず、僕は、今の姿になった僕を嫌ってはいない。これは不思議だ。
この変化、特に身体的変化をどうして受け入れているのか? それには根拠がないわけではない。もともと、僕は、背が低いせいで、自分の身体に不安を抱いていた。そのため、あれだけ筋肉を鍛えたのだった。筋肉は、僕の男性性を支えるための頼り綱になっていたのだった。ジェニーの影響がなければ、僕はこの事実すら認めなかっただろうと思う。あの頃のままで僕の人生を続けていただろうと思う。
いまの僕は幸せだ。そう思う。少なくとも、愛していた女性に裏切られたことを知ったばかりの人間で、僕ほど幸せであると思える人は他にいないだろう。裏切られたという状況については不快だけど、でも、今は、今の自分に満足している。あれだけ元の自分にしがみついていたにもかかわらず。僕は自分のことをどんな男と思っていたのか、それがどうであれ、その男は敗れ去ったのだ。その男性性にしがみついていた頃の僕は幸せではなかったのだ。
だから、今は、僕は今の自分に喜んでいると考えている。そう考えると裏切りにあった心の傷が少しだけ癒される。それでも、僕は去らなければならない。それ以外に道はないから。
あの、最後にジェニーを振り返った時の彼女の姿。ジェニーは泣いていた。あの時はつらかった。あの生活に別れを告げたところだった。これからどこに行くかも、何をするかも、考えていなかった。ただ、去らなければならない。それだけだった。あの時のジェニーの姿を思い出すと心が痛む。
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34
ふと、この日誌をつけること自体、ひょっとしてジェニーの計画の一部だったのではないかと思った。だがもう、それはどうでもいいのは知っている。ただ、この日誌をつけることが、あの恐ろしい実験から逃れるための助けになったのは事実だ。でも、もう僕には書き続けることができない。ジェニーの元を去ってから、もうすぐ1年になる。あれ以来、彼女とは一切連絡を断っている。もっとも、今でも彼女の影響が残ってる感じはある。ほぼ、毎日。でも、次第に良くなっている実感はある。行動における僕の選択は、ジェニーが僕に対して行ったことに影響を受けているのは知っているけど、それでも、僕の行動は僕自身が選択して行っていることだ。あの、変態じみた、めちゃくちゃな状況においても。
ともあれ、僕はフランスに落ち着いた。フランスのどこかは言わない。それに今は別の名前で暮らしてる。でも、このフランスこそが僕がいるべき場所じゃないかと思っている。フランス語の会話すら、どんどん上達している。これは考えてみると不思議なことだ。というのも、高校時代、僕はフランス語の授業で落第したのだから。
ここでは、誰も僕の過去を知らない。たいていの人は、僕のことを、こちらではよくいる、父親のお金で遊び暮らしてるアメリカ娘と思っているようだ。そう言われても僕は訂正しない。
でも、僕が一緒に寝る男たちは…そう、僕は男としか寝ない…その男たちにはいくらか説明しなければならない。脚の間にアレがついてるわけだから。なので、そういう時には、僕はずっと自分は女の子だと思ってきていて、そのような生き方を選んできたと伝えることにしている。たいていの男たちは、僕の脚の間にあるものなど、全然気にしない。彼らにはペニスを突っ込める穴があればいいのだ。それに、本当のことを言えば、僕も彼らがどう思おうと構わない。僕としては、あの「お互いのことを知りあう」時間をすっ飛ばして、欲しい物を得られれば、それでいい。
心の通った親密さ。それが僕にとっての問題のようだ。その問題点に気づくことができるほど、自己判断はできるようになっている。でも、なぜその問題があるのか、その理由も分かっているような気がする。僕が経験してきたこと、僕が一生寄り添うと決めた女性であるジェニーが僕にしたこと、それを考えれば、この問題があるのも当然ではないかと思う。
とにかく、これが僕の最後の書き込みだ。この日誌には今後一切、書き込まない。耐え忍んだ様々な嫌なことにもがき苦しむのはやめて、今から僕は、自分の人生を歩んでいくのだ。
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35
彼は、私の元を去った18ヶ月後、この日誌を送ってきた。私はこれを読み、そして何度も何度も読み返した。読み返すたびに、彼に経験させた様々なことを思い、何度も何度も悔やんだ。私は、何より、重視されたかったのだと思う。世界が私を認めてくれるような何かをしたかった。それだけだった。そういうわけで、あれを開始した。でも、その後は……その後は、私自身があの実験がもつパワーに飲み込まれてしまったのだ。私が彼にしてほしいと思うことを彼にさせる。その事実を楽しんでいる自分がいた。彼自身が何をしたいと思っても、どんな人間になりたいと思っても、彼には私が命じた人間にならざるを得ない。
思うに、私には、何か深く根付いたレズビアン妄想を持っていたのかもしれない。それに導かれて、彼をどう変えるかについて、私はあのような選択をしたのだろう。あるいは、私は、性的にも精神的にも感情面でも誰かを最終的に支配できるようになるという考えが気に入っていたのかもしれない。これを始める前は、私は本当の権力と呼べそうなものを経験したことが一度もなかった。何かを仕切るということが一度もなかった。自分自身で何かを決定するということが一度もなかった。私がすると決めたことは、他の誰かが求めたことへの対応であるのが常だった。だから、ようやく権力をふるうチャンスが巡ってきた時、私はそれに飛びついてしまった……。そして、その権力が逆に私を飲み込んでしまったのだった。
彼を探し出し、私のしたことの謝罪をし、私を元に戻してと彼にお願いする。そうしたい衝動に毎日のように駆られ、毎日のようにそれをこらえている。でも、そんなことは起こりはしない。私はいろんなことを決めた。そして、最後に、彼もひとつだけ決めた。私が彼が決めるのを止めなかった、最後の選択。私は彼が別れることに決めるのを止めなかった。
彼が何をしていたか、私は知っていた。彼がそれをしてるところを見つけたら、私は彼にやめさせただろう。でも、もし、知らないふりをしていたら…。もし、彼が嗅ぎまわっていたことや、フェラをして情報やキーカードを手に入れたことなどすべてが私のレーダーに入っていないふりをしていたら、ひょっとすると、彼はその機会をとらえて、自分で自由の身になるかもしれない。ひょっとして、彼は私も自由にしてくれるかもしれない。彼をコントロールしたいという気持ちから自由にしてくれるかも。そして、彼は実際、そうしてくれた。
それにしても、奇妙なことがある。日誌を読むと、彼のセクシュアリティが完全に変わったのは明らかだ。性的に男性に惹かれること。彼は、私が彼の心にその気持ちを植え付けたのだとみなしている。でも、これは違う。どうして私がそんなことをするだろう? 私は、私のための彼を求めていたのだから。彼を他の男と共有することなど求めていなかったのだから。私にだけ献身的になってくれるようにしたかったのだから。
あの時…あの、彼が「ヤッテ」とか「ちょうだい」とか叫んでるのを見たあの時、「味わいたい」と言ったあの時、ひょっとしてそうなっているのかもしれないと思った。でも、その時は、私はこれは一時的な変調であると考えた。混乱して深い意味のない妄想をしてるにすぎないと。だけど、あれははるかにそれを超えるものだったのだ。あの時点で、彼のセクシュアリティは不可逆的に変化したのだ。あの後も私とするときがあったけれど、あれはただの行為。彼が本当に求めていたものの代償行動だったのだ。
でも、何が原因で? 深く根付いた欲望が原因? あるいは、彼に起きていたことに対する、心の単なる反応? 頭の中、好奇心が渦巻く。でも、それを解明しようとすると、同じ道をたどることになるのが怖い。同じ間違いを繰り返すことになってしまう。でも、本当に知りたい。
それに、あの、人をコントロールする力も懐かしい……
26
今日、新しいディルドに乗っているときに、ジェニーが入ってきた。このディルド、とてもリアルで、底のところに吸引カップがついてる。だから、手で押さえなくても乗ることができるディルド。今まで、これをしてるところをジェニーに見つからないようにと、とても気を使ってきたのに……。僕の性的妄想が、ストレートな男のそれとは全然違うことがジェニーにバレたらと恐れてきたのに……。あんまり夢中になりすぎてて、彼女が入ってきた音すら聞こえなかった。
昔の僕は、アメフトの大ファンだった。アメフトのシーズンになると、毎週末、テレビの前に座って、全試合を観たものだった。でもドルフィンズが僕のお気に入りのチームだ。しばらく、あまり強くなかったけど、でも、まあ、本当のファンというのは、ひいきのチームにこだわるものだろ?
今も、僕は試合を観ている。でも、今は、試合の最終スコアには興味がなくなっていて、むしろ、あの大きくて逞しい男たちがフィールドを駆けまわる姿を見る方が中心。時々、観てるうちに、あまりに興奮してしまって、アレを……ディルドを持って来てしまうことがある。ジェニーは日曜日は普段いないから、いつもはうまくいったんだけど……
このとき僕が妄想していたのは、こんな状況。僕はチアリーダーのひとり。どうしてもロッカールームに行かなくちゃいけない(いろんな理由から―これは話しには重要じゃない)。そして僕がロッカールームに入ると、周りには裸の男たちがいっぱいいて、彼らに取り囲まれてしまう。これは僕の妄想だから、当然、男たちは僕の可愛い身体を欲しがっている。
ジェニーが入ってきた時、妄想の中の僕は、先発のラインバッカーの上にまたがっていて、ランニングバックのペニスが僕の唇の真ん前に来ているところだった。彼は僕の顔に噴射しようとしているところ。
「ぶっかけて! 味わいたいの! お願い!」
そう、こんな感じで、すべてがバレてしまった。ジェニーはものすごく驚いて、心を傷つけられたような振舞いをしたけど、どうしてなのか分からない。だって、僕をこんなふうに変えたのは彼女なんだから。
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27
ジェニーに見つかった後、ふたりとも黙ったままだった。僕の叫ぶ声をジェニーが聞いたのは間違いないし、僕が叫んだ言葉から、僕がどんな状況を夢想していたかジェニーには分かったはず。でもジェニーは、ただ悲しそうな、落胆したような顔で僕を見るだけだった。…ああ、目に涙を浮かべているのは見えた。そして、彼女はドアを開けて、出て行った。その後しばらくして、ジェニーは戻って来たけど、その時はあの件の痕跡はまったく残っていなかった。僕としても、とても怖くて、あの件のことを話題にできなかった。話しをしたらジェニーがどうするかとても怖い…。僕と別れる? いま以上に僕を変える? もはやジェニーがどういう人か僕には分からなくなっている。
あの出来事の後、僕たちの性生活は大変化を遂げた。多分、あの出来事はジェニーにとってちょっと目を開かせる出来事だったのかも。最近、(家に連れ込んでくる男たちを優先して)僕をないがしろにしていたこととかを気づかせる出来事だったかも。僕も性的に飢えていて、それを満たすために男に抱かれることを妄想するほどになっていたことを知り、罪悪感を感じたのかも。ジェニーがそんなことを思ってるのが僕には分かった。彼女はそういうふうに思う人だから。事実はそうじゃない。どれだけジェニーに性的に満たされても、僕の妄想は太いペニスをもった逞しい男が中心になっている。飢えてたから、仕方なくというのではない。もっとも、僕はそのことをジェニーに話すつもりは、もちろんないけど。
この2週間ほど、僕たちは、それぞれが求めているものを得られるよう、ちょっと違ったことを始めていた。僕だって、女性がストラップオンで性的な満足を得られると考えるほどウブじゃない。女だったら、やっぱりペニスを入れてもらいたいものだもの。今の僕にはその気持ちが分かる。というわけで、ジェニーが双頭ディルドを買ってきた時、本当にこれは素晴らしい考えだと喝采した。ふたりとも四つん這いになって、互いにお尻を突き出しあって、ピタピタ鳴らす。そうやって、ふたりで同時に挿入し合って、渇望を満たす。これって信じられないほどエロティックだし、いやらしい。
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28
もうこんな生活は続けられない。あまりに性的にも精神的にもフラストレーションが多いし、身体的にも消耗しすぎる。2年以上を経て、とうとう僕は、もうたくさんだという気持ちになった。自分の未来は自分で変えることにした。自分から動くことにした。
ジェニーに可愛いオンナ男として献身的に、無知を装って尽くす役割を演じ続けても、何も変わらない。もっとずっと前に何かことを起こすべきだったのだろうけど、たぶん、僕は怖がっていたんだろう。ひょっとすると、ジェニーはそういう恐怖心を僕に植え付けたのかもしれない。でも、もう僕はやり過ごすつもりはない。ジェニーの方がずっとずっと酷いことをしてきたのだから……。
僕は自分の生活を自分で仕切り始めた。少しずつ、少しずつ。ジェニーの影響は軽くなってきてるように思う。この日誌のおかげだ。僕がどんなことをしてきたか、僕がどんな人間に変化してきたかについて読み返すと、その行為や変化の当時より、ずっとリアルに物事が見えてくる。最初の頃を振り返っている。あの髪の毛を伸ばし始めたころだ。あの頃から一連の出来事が連鎖し、今の僕につながっている。そう想像するのは難しくない。
でも今の僕はこのとおり。これはコントロールできない。でも、自分の進む道はコントロールできると思う。そう信じなければならない。でなければ、気が狂ってしまうだろう。いや、もう狂ってるのかも……僕のあの強烈な妄想の数々。それが正常じゃないのは充分、承知している。それに、ジェニーが僕の精神に与えた影響から完全に離脱できないかもしれないことも分かってる。でも、僕は自分の未来を自分で決めることができるなら、それはそれで構わないと思ってる。
そういうわけで、その目的のため、僕は昨日グレーブズ博士に会った。僕の姿を観た時の彼の表情。恐怖と憐れみが混じった不思議な顔をしていた。僕に対して申し訳ないと感じている様子だったけど、同時に、僕を助け出そうとし、ジェニーの怒りを喚起してしまうことを非常に恐れている様子でもあった。僕には、ジェニーが、部下に恐怖心を植え付けることができるような人間には決して思えない。だけど、ひょっとするとジェニーは仕事のためなら、僕が思いこんでいること以上のことができるのかもしれない。
グレーブズが言ったことは、僕に家に帰って、全部忘れろと、それだけだった。僕と会ったことについてはジェニーに言わないとは言ってくれたけど、それ以上のことは僕が自分でしなければならない。
正直、グレーブズを責めることはできない。ジェニーが知ったら、彼に何をするか分からないから。彼にどんなことをさせるか分からないから。
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29
とうとう突破口が現れた。何カ月にも渡る調査で、ようやく探していたものが見つかった。この3、4カ月の間に生化学についてこんなに学ぶことになるとは思っていなかった。ジェニーの会社について、その全体像を調査し、ジェニーが僕に与えた影響を克服するのに役立つ人物を探し、そしてとうとう、その人物を見つけたのだった。
彼の名はアンリ・トゥイサン。ジェニーの元で働いてるフランス人の生化学者だ。プロジェクトの全体像はあまりに謎に覆われていて、その研究所の誰が何を担当しているかについて正確に知るのは難しい。何百人もの従業員がいて、その仕事が明示されてるのは用務員だけときている。でも、運が良かったのか、とうとうアンリを見つけた。
調べて分かったことだけど、治療薬は存在している。あるいは少なくとも治療薬の原形と呼べるものは。いや、これも呼び方が間違ってるかもしれない。治療薬の原形と言うより、ワクチンと言った方が良いのかもしれない。簡単に言って、その薬を飲めば、今後の操作からは免れるというものである。ジェニーが僕に正確に言って何をしたか、依然はっきりとは分からないけど、その答えを見つけても、それは大部分関係なくなってる。重要なのは、治療薬があるということ。それさえ知れば僕はいい。希望が生まれるから。
自分がしたことを誇りに思ってるわけではない。でも、他に方法がなかった。自分の身体以外に手段がなかったから。だから、やった。それにやったことを振り返り、反省する余裕なんかないのだ。
それでも、これだけは言いたい。僕にとっての生れて初めての本物のフェラチオがこんなふうになるとは想像すらしてなかった。何百回も、千回近く想像してきたことなのに。……全然、魅力を感じない男の前にひざまずき、その男のペニスをしゃぶる。ただ単にIDカードを手に入れるために…。とても汚らしいことをしてる感じがした。しかも全然良くないことを。
でも、これはうまくいった。欲しい物を手に入れた。後は僕の情報が正しいことを祈るのみ。そうじゃないと……。
もし僕がジェニーの渾身の仕事を暴露しようとしてることをジェニーが知ったら…。彼女は僕に何をするだろう? 考えただけで身体が震えてくる。
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30
今日は僕が人生を取り戻す日だ。今日はジェニーのサディスティックな精神操作の檻から解放され自由の身になる日だ。でも僕は彼女のことしか考えられない……。
ジェニーは邪悪な人間ではない。僕には分かる。彼女はただお金と権力に囚われてしまっただけだ。それに何より好奇心が勝ってしまった。それが本当だと今の僕には分かる。心から分かる。あるいは、そうであってほしいと僕が思ってるだけかもしれない。いずれにせよ、僕は、ジェニーはサディストに見えるかもしれないが、実際はそうじゃないと信ずることにした。
ともかく、家に帰り、ジェニーが帰ってくるのを待ちながら、僕はこんな格好になっていた。
「ねえ来いよ。前のようにやろうよ。前にしていたように。……僕が変わってしまう前にしてたように」
ジェニーは実際、大笑いした。「それを勃起させるために、いったいどれだけバイアグラを飲んだの?」
「僕は…」
「あなたのこと愛してるわ。でも、自分の格好、見てみたら? このちっちゃなモノを? これで感じれると思ってるの? それに、あなたのそのポーズ。私に見てもらおうとして、そんな格好してるんだろうけど……」
「で、でも……」
「脚を広げて、私ににアヌスをしてもらおうと誘っているようなものじゃない? 無意識的にそういう格好になってるのね? お尻に挿してもらうこと。それが今のあなたにとってのセックスになってるんでしょ? もう、男性だってフリすることすら無理よ」
ジェニーはまだくすくす笑ってた。
「意地悪で言ってるつもりはないの。ふにゃふにゃになって可愛らしいところ、私、大好きよ。何とかして男性的な役割を満たそうとがばってるあなたを愛してるわ。でも、端的に言って、もはやあなたにはその役割は果たせないの」
「ぼ、僕はただ……」
「言わなくても分かってるわ、あなた…。さあ、良い子になって服を着てちょうだい。そう言えば、ジュリオ…ジュリオのこと覚えてるでしょ? 彼が後で家に来るわ。ちょっと楽しいことしに。その時に私を怒らせるようなことしないでね!」
その言葉を最後に、ジェニーは部屋から出ていった。その言葉を最後に、僕は最終的な決心をした。僕は出ていく。振り返ることはしない。あのワクチンを手に入れたらすぐに……。