電話に出た父は、とても晴れ晴れとした、快活な声を出していた。父の声を聴いた瞬間、自分がこれから父を苦しめようとしているのを思い、電話をするんじゃなかったと後悔しそうになった。
「お父さん、僕だよ、スティーブ」
私は、無意識的に、普段使っている、女の子っぽい甲高い声で話していた。
「スティーブ、ちょっと声の様子が変だな。大丈夫なのか?」 と心配そうな父の声。
私は本来の男の声を使うのを忘れてしまったのだった。咳払いをしてから、返事した。
「大丈夫だよ、お父さん。そっちはどう?」
「私は大丈夫。それより、何か問題でもあるのか? 何か困ったことでも?」
父の声には、ちょっといぶかしがっている調子が入っていた。
私は、10歳の頃までは父に電話をしていたが、その後は一度もこちらから電話をしたことがなかった。今になって電話をかけたことで、父は疑念を抱いたに違いない。
「いや、大丈夫。何も問題はないし、困ってもいないよ」
「そうか、良かった。ともかく電話してくれて嬉しいよ。そろそろ、お前の誕生日が近づいてきた頃だと思っていたところなんだ。一緒に祝いたいとね」 父は安心した声に戻っていた。
一つ、父のために言っておくべきことがあって、それは、父が私の誕生日を忘れたことがなかったということだった。いつも、私の誕生日に何かしてくれた。たいていは、一緒にレストランに行って食事を取った。私の誕生日は、次の金曜日だった。だから、父と会う機会を持つのに格好の理由となると思った。父と一緒に祝う誕生日は、これが最後になるだろう。それだけは、確信していた。
「僕もそうしたいよ」
「良かった。それじゃあ、金曜日の7時に、フランクリンの店で会うというのはどうだろう?」
「分かった。そこでお父さんに会うよ」
私は、この電話も、もう終わりに近づいてると、少し安心した気持ちになっていた。そして、少し話しを続けた後、互いにさようならと言って、電話を切ったのだった。後は、金曜になるのを待つだけになった。
電話を切るとすぐにトレーシーが、どんな感じだったか訊いてきた。レストランで会うことになったと伝えると、彼女は、その時のために新しいドレスを買わなくちゃいけないわねと言った。
それを聞いて、私は、新しいドレスを買いにショッピングに出かける楽しみに、興奮し、夢中になってしまった。だけれども、その日の夜、ベッドに入り、落ち着くと、父はどんな反応をするかと心配になったのだった。
マークは、この週、出張していて、木曜まで帰ってこない。それなので、私はトレーシーと一緒にベッドに入っていた。
トレーシーは優しく前戯を繰り返し、私の心から父のことを振り払わそうとしたけれど、うまく行かなかった。トレーシーがしようとしていることに入っていけるほど、くつろいだ気分になることができない。
トレーシーは私を興奮させることを諦めたようだった。
「お父さんが何をするか、心配しているのね? お父さんが、レストランで騒動を起こすと思うの?」
私は頭を振った。
「いや、そういうことだけは、父は決してしないとはっきり言えるわ。たとえ警察署であっても、公の場所で騒動を起こしたりは、父は絶対にしないと思う。そうはならないと思うわ。多分、黙って店から出て行って、その後は、2度と私に口を聞かない、とそういう反応をすると思う」
私は、そう言いながら、涙が頬を伝うのを感じた。
トレーシーは私を抱き寄せ、囁き声で言った。
「それなら良いわ。つまり、お父様が、あなたを傷つけたりしないならね。少なくとも公の場所では。私とマークも付き添うから、お父様があなたをどこかへ連れて行って、痛めつけたりするようには、決してさせないから」
「ええ、でも・・・本当の気持ちでは、父には、少なくとも話しをするまでは、立ち去ってもらいたくないの。多分、父は、むっとして出て行ってしまうだろうとは分かってるけど、そうなって欲しくないと期待しているの」
私は涙を流しながら話した。トレーシーは優しく私をなだめながら、気持ちは分かるわと言っていた。でも、私にはトレーシーにも私の気持ちは理解できていないのじゃないかと思っていた。このことについては、誰にも私の気持ちは理解できないと思っていた。
「報復」 第8章 Chapter 8
10月下旬
木曜日:夫婦合同カウンセリング
彼はリラックスしていた。大半、気分よくいられた。確かに、依然として、モンゴメリー一家に対して行ってしまったことについて、嫌なことをしてしまったと感じていたが、それでも、あれには目的があったのだと考えていた。
あのビデオで、キムが強力なドラッグをあからさまに使用するのを見ていたし、彼女が週末泊まっていったこの2週間、何度も彼女がトイレへと席を外し、不自然に長時間、そこに篭るのを知っていた。そういうふうにトイレに篭ってから出てきたときは必ずと言ってよいほど、キムは目をギラギラ輝かせ、顔を火照らせ、いつセックスを始めても構わないような雰囲気に変わっていた。キムが、スティーブの家に薬物を持ち込み、使っているのだろう。誰にでも想像できることだった。
先週の日曜日、キムが帰って行った後、スティーブは、便器の後ろに小さな包みが押し込められているのを見つけた。小さな布袋の中には、残余物がほんの少ししかなかったが、彼はそのすべてを集め、暖炉に放り込んだ。彼は、めったに暖炉に火を入れない。そもそも、ここ南テキサスでは、暖炉を焚かなければならぬことなどほとんどない。それでも、その日は、暖炉に火を入れる理由があったのである。
もう一つ、スティーブは、キムが明らかにポルノに興味を持ち、自らポルノ映画を撮っていることも、非常に危険だと感じていた。ロイドとダイアンが自分の娘を何とか助けてあげられたら良いと願うスティーブだった。遅すぎでなければ良いのだがと。
ヴェルン・ヒューストンは、スティーブが急に平静になった理由を知らなかった。だが、その彼の雰囲気に、安心していたのは事実だった。ここ何週間か、スティーブ・カーティスは、個人カウンセリングでも夫婦カウンセリングでも、非常に攻撃的になっていて、しかも、ますます、その度合いを高めてきていたのだった。
だが、もし仮にヒューストン氏が事実を知らされたら、彼は、この夫婦についての仲裁は諦め、すぐにでもタオルを放り込もうとしたことだろう。彼が知っているどんなカウンセリングのテクニックにも、さらに同業のカウンセラーが勧めるどんなテクニックにも、このような事態をうまく収めることができるものはないだろう。
ヒューストン氏は、スティーブがちょっと席を外し、ヒューストン氏の秘書のところに行って、これまでのカウンセリング料の清算をする様子を、目を細めて見ていた。そして、彼は急に疑い始めたのだった。
ヒューストン氏は心理学者ではない。だが、こういうことに関して、長年にわたる経験を持っているのも事実である。荒れ、すさんだ人間が、突然、平穏に変わる。さらに、し残していたことを片付け始める・・・えてして、こういう行動は何かを警告するサインとなっている。ヒューストン氏は、急に口が渇いたように感じ、唇を舐めた。ともかく、もっと知る必要がある。
スティーブは、オフィスに戻り、ヒューストン氏のデスクの前にある椅子に腰を降ろした。この椅子には、もう何ヶ月も、毎週水曜日の午後と木曜日の夕方、座ってきた。スティーブは辺りを見回した。この部屋のすべての特徴を逐一確かめるように見回し、そのすべてを記憶に留めようとしているようだった。ここに来るのも、今回で最後になるかもしれない。スティーブは、改めてそう思い、喜んだ。
椅子にゆったりと座り、脚を伸ばし、左の足首の上に右の足首を乗せた。口元にはかすかに笑みが浮かんでいた。スティーブは、こういう良い気分になるというのはどういう感覚か、忘れてしまうところだったなあと思った。
ヒューストン氏が切り出した。
「どのくらいバーバラさんを待ったらよいか、分かりませんね。奥さんは、今夜、遅くなるとかあなたに言っていませんでしたか?」
すでに、普段、カウンセリングが始まる時刻より、10分も遅れていた。
スティーブは頭を左右に振った。
「いえ・・・しばらくバーバラとは話してませんから。でも、今夜は多分、来ないんじゃないかと思いますよ・・・」 スティーブは不注意にも、そう付け加えた。
「・・・今は、もう夫婦関係は終わったと思ってるんじゃないんですかねえ。ようやく、納得したんじゃないかと・・・」
スティーブは口元をきりっと締めた笑顔を作った。両脚を前に伸ばし、お腹の上で両手の指を絡ませ、握る。
突然、部屋の外の方で人の声がし、スティーブもヒューストン氏も驚いた。スティーブは上体を起こし、身体をひねらせてドアの方を見た。
ドアが急に開けられたのだろう。再び締まるまで、外で交わされていた二人の会話がヒューストン氏のオフィスにまで聞こえてきたのである。会話する声、そしてポーズが入り、次に内側のドアが急に開いた。
バーバラが入ってきて、ドアを閉める。彼女はスティーブにもヒューストン氏にも目をくれず、いつも座っている椅子に向かって進み、きっぱりした態度で腰を降ろした。
バーバラが入ってきて椅子に座るまで、スティーブは彼女をじっと見ていた。彼は、彼女がここに来るとは予想していなかった。もっとはっきり言えば、彼女は2度と姿を見せないだろうと思っていたのだった。しばし、信じられないという面持ちで彼女のことを見ていた。それから、ゆっくりと元の姿勢に戻り、椅子に背中を預けた。
「遅れてごめんなさい。タクシーの予約を入れたんだけど、時間通りに来なくて」
バーバラは落ち着いた声で言った。