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68_Escape 「脱走」
「あたしたち脱走したなんて信じられない」とアレックスは道とは言えない山道を探りながら言った。
「そうね」と彼の後ろについているガールフレンドのエリンが答えた。「まるで、あの人たち、あたしたちが逃げるままにしていたみたい」
アレックスは返事をしなかった。でも、彼女の想像も事実とかけ離れているわけではないことは知っていた。もっと言えば、見張りのひとりは、ふたりが脱走するとき、別の方向を向いていたのだ。もっとも、その見張りの動機は善意からというわけではない。アレックスは、その男に協力してもらうために充分な報酬を払っていたのである。その時の交渉で、彼は、いまだにお尻に痛みを感じている。
エリンが森の中を見渡した。「これからどうする? 文明と言えるところから何マイルも離れているところにいるのよ。そもそも、どの国にいるのかすら分からないわ」
アレックスも同じ心配をしていたが、口には出さなかった。彼は頼りになる存在である必要があった。男らしくある必要があった。
でも、それを思い、思わずアレックスは笑い出しそうになってしまった。男だって? アレックスは、自分がその描写にもはやふさわしいとは言えないことを知るのに、何も、下半身に目を向けることすら必要なかった。脚の間にぶら下がっている、小さくて萎んだ証拠を別とすれば、つい1年前までは男であったことを示すものは何も残っていなかったと言える。
エリンとアレックスはメキシコにバケーションで来てる時に拉致され、その後、知らない場所に移され、今の姿に変えられてしまったのである。どう見ても、今はふたりとも、頭が軽くてカラダだけが自慢の尻軽女にしか見えない。以前のエリンは、ちょっと太り気味の茶髪の女の子で、フェミニストだったし、アレックスはちょっとマジメすぎるとは言え普通の男の子だった。何十回もの手術をされ、様々な薬物を無数に注射され、1年にわたって条件付けをされて、この結果になったのである。
「ともかく前に進まなきゃ。そして助けてくれる人を見つけて、家に帰るのよ。そうしたら、元の生活に戻れるかもしれない」
そう思うのも分からないわけではないけれど、ふたりとも、元の自分たちには戻れないと分かっていた。この1年間、経験してきたことの後では、決して元には戻れないと。
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68_Crossed 「人を怒らせてはいけない」
「こいつは、あたしを怒らせちゃいけなかったのよ。そういうこと。単純なコトでしょ? こいつ、普通に姿を消して、ふさわしい生活をするとかしてれば、今もまだ、男だったかもしれないのに。だけど、このバカ、何を勘違いしたか、執念深い方がいいとでも思ったらしい。ねちねち、ねちねち、あたしの生活にいちいち文句をつけてきた。あの写真を全部ネットにあげようとしたし。写真が出る前になんとか抑えられて助かったわ」
「彼が変態なのははっきりしてたと思う。あなたが彼に出会った時から私には分かっていた感じ」
「場末って言葉を使ったわよね、あなた。彼のこと、中古車販売員みたいだって」
「私の言った通りだったと」
「ええ。あなたの話しを聞くべきだったわ。この次は、そうするから、いいわよね?」
「まあ、それはどうでもいいけど。さて、どうやったのか教えてくれる? 彼のような男を、こんな姿に変えるなんて、どうやったのか? 彼の脚の間にぶら下がってる小さなモノに気づかなかったら、彼が男だなんて信じなかったと思う」
「どう強制したかって訊いてるの? それとも、どう変えたかってこと?」
「両方」
「信じてもらえるかどうか分からないけど、強制自体は簡単だったわ。こいつの脳に小さなマイクロチップを埋め込んだだけ。こいつを行儀良くさせるためにね。あたしの言うことを聞かなかったら、バチンとやるわけ。こいつ、床にひれ伏して、もがき狂ってたわ。信じられないような痛みがあったんでしょうね。最初に使った時、こいつ、おもらししてたもの。二回目に使った時は、舌を噛み切りそうになってたわ。でも、その後は、ちょっと不服従の態度を示すくらいに落ち着いたわね。それも簡単に解決したけど」
「面白い。それ、職場から取って来たんじゃないのかな?」
「まあね。アレ、政府が使うものとして作られたモノ。政府がアレを使って何をするかなんて、想像できるでしょ? でも議会にバレて、この計画は非人道的だって頓挫させられた。で、あたしは、最後のプロトタイプをいただいてきたってわけ」
「そして彼の変身と」
「大半はホルモンを使ってよ。何度か手術も。エイミのこと、覚えてるわよね?」
「整形外科医の? 君の大学時代のルームメイトだった?」
「ええ。この件では、最初から最後まで彼女が重要な役割を果たしてくれたわ。もちろん、彼女は形態変化を担当。でも、手術以外の点でも、彼の体を変える計画の立案を手伝ってくれたの。ダイエットとか、エクササイズとか。2年近くかかったけど、ようやく完成したってわけ」
「でも、これからは? これから彼をどうするつもりかな?」
「あら、彼への懲罰はまだ終わってないわ。まだまだ。この2週間ほど、彼はストリップ・クラブで働いている。驚くかもしれないけど、みんな彼にチップをやるんだけど、ほとんど誰も、彼があそこに余分なものをつけてるって知らないのよ。彼がGストリングを履いてるのに、それでも、分からないの」
「確かに、本当に小さいね。前から、ああだったの?」
「まあ、大きいってわけじゃなかったわね。でも、ホルモンが役立ってくれたわ。それと、エイミからもらった、このクリーム。信じてくれるかどうかわからないけど、彼のアレが小さくなってほとんど分からなくなるのに合わせて、彼は抵抗しなくなっていったの。まあ、ちんぽが小さくなるのを見て、彼も現実を認識したってことじゃないかって思うわ」
「確かに」
「この前さ、クラブに彼の昔の友だちが来たのよ。そん時の彼の顔、あなたに見せてあげたかったわ。もちろん、昔の友だちは彼のことなんて気づかなかった。だって、誰が気づける? あんなに変わったんだもの。ともかく、最初はビックリしてた彼だけど、数秒経ったら、後は自動操縦みたいな感じでダンスを始めていたわ。でも、彼がビックリしてた数秒? あれは最高だった。プライスレス。彼、本当に恐怖パニックになっていて。だから、最後に、みんなに彼が元はどんなで、今はどうなったかを話すつもり。でも、まだ、それはしない。それはもっと引き延ばしてから。彼が、いつもの通り、お客様に下品なことをするでしょ? アレをやった後にすべてをバラすの。いまからその時が待ちきれないわ」
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68_Coming due 「もうすぐ」
「あなた、あたしを解放するつもりがないんでしょ?」
「解放する? 君は囚人じゃないんだよ、ジェシー。ここを離れたかったら、いつでも離れて構わないんだよ?」
「あたしが払いきれない対価と引き換えに、でしょ?」
「ハムレットじゃないが、それが問題だね。借金を払えば、自由になれる。それができるまでは、キミは、私がキミにできると思うことを何でも、それをして、私のために働く。キミも同意したことじゃないか」
「同意なんかしてないわ。こんなこと、決して望んでなかった」
「お願いだよ。キミは自分で決断したんだ。実際、一度だけじゃなかったよ。そして、キミは自ら進んでどんどん深みにハマってきた。判断すべき時に、悪い判断ばかり選んでね。何かを選択したら、必ず結果が伴うものだよ、ジェシー。借金は払わなくちゃいけない」
「あなたのせいであたしは奇人になってしまった」
「私のおかげで君は利益になったのだよ。利益が出れば、キミは借金を払える。私に感謝すべきじゃないのかねえ? 私はキミにスキルを与えた。今のキミのカラダそのものが大変なスキルだろ? 今は、チカラもつけてきてるんじゃないのか?」
「娼婦としてのチカラをね」
「売春が最古の職業と言われるのにも理由があるのだよ。男はいつもムラムラしていて、一発ヤッテ気持ちよくなりたくなるキミのようなセクシーな女の子を求めてるものなんだ。キミはみんなに求められているんだよ」
「死ね、バカ!」
「いや、今日はまだ死なないよ。でも、近いうちに。そう近いうちに、キミも服を着て、街角に立てるようになるさ。それまでは裸のままで我慢。まあ、街に立てるようになっても借金が減るわけじゃないけどね」
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68_Cold reality 「冷たい現実」
アビーは顔を毛布で覆いながら言った。「もう、レインったら。正直に言って。本当にただ写真を撮っただけよね?」
「まあな」と、レインは、たった今ヤッタばかりのガールフレンドの裸体を見下ろした。「俺は、お前の写真を撮るのが好きなんだ」
「削除して。今すぐに!」
「誰にも見せないよ」
「あなた、分かってないわ。もし、親たちに見つかったら……だから、削除して。いい? あなたが思ってるより、ずっと大事なことなんだから」
「なんで? 説明してくれたら、消してやるよ」
「いいわ。ママもパパも、あたしのことを知らないの。いい? ふたりともアビーのことを知らないのよ」
「親にカムアウトしてなかったのか? マジで? いったいどうやってバレずに今までこれたんだ?」
「高校出るまでの2年間、ずっと隠し続けてきたの。全部、隠し続けてきたわ。だぶだぶの服を着たり、嘘を言ったりして、ここまでやってきたのよ」
「でも、なんで? お前の親って、バイブル・サンパー(
参考)か何かなのか?」
「いいえ。そうじゃないわ。でも、パパが……パパは難しいところなの。ジョー・カートライトって名前、聞いたことある?」
「政治家の?」
「ええ。あたしが彼の娘だってバレたら、パパのこれまでが台無しになってしまうわ」
「ちょっと、話しを劇的にし過ぎていないか?」とレインは言った。「別に、トランスジェンダーの娘がいたからって……」
「パパはこの20年間、ずっとゲイの権利を阻止して過ごしてきたのよ? そのパパにトランスジェンダーの娘がいたってバレたら、パパの基盤の人たちがどんな反応すると思う? もちろん、パパ自身がどう反応するかも分からない。ベストのシナリオだったら、パパがあたしを離縁するってだけで済むと思う。最悪のケースだと……どうなるかなあ……つか、パパが何をするかなんて、考えたくないわ。だから、お願い、レイン。写真、削除して」
「分かった」と彼はスマホの写真を削除した。「でも、これだけは言いたいんだけど、お前、自分のことを隠すべきじゃないんじゃねえ?」
「そうなの。だけど、そうあるべきというのと現実っていつもマッチするとは限らないのよ」