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62_Choices
「チャック、これが最後だからね」と、あたしは四つん這いになった。「こんなこと続けるわけにはいかないんだから」
「分かってるよ」と彼はあたしの後ろに立った。大きなおちんちんが完全に勃起している。そしてあたしは、はやくそれを中に入れて欲しくて痛いほど疼いている状態。彼が欲しくて欲しくてたまらない。
もし、あたしの妻がこんなあたしの姿を見たら、即刻、この場であたしと離婚しただろう。そうでなくても、あたしたちの夫婦関係はすでに破局に差し掛かっていた。あたしの態度の変化がそれを確実にしていた。でも、こんなふうにお尻を高々と掲げ、親友におちんちんを突っ込んで、激しくヤッテとせがんでるのを見たらどうなるだろう? 最後の一線がぷつんと切れることになっただろう。
これは良くないこととは分かっていた。本当に。でも、やめられなかった。本当のところ、自分が本当にやめたがっていたかも分からない。単なる肉体的な快感だけではなかった。確かに、そういう側面もある。それは否定しないけれど、それより、もっとずっと大きな意味があった。
チャックがあたしを見るときの目つき。あの目を見ると、自分が特別な存在のように感じられた。彼は、あたしの「女っぽい大きなお尻」のことをバカにしたりはしなかった。彼は、あたしの小さなペニスのことや女性的な振る舞いをからかったりもしなかった。彼は、あるがままのあたしのことを好きになってくれていた。確かに妻もそうだと言えるけれど、チャックのそれは、妻に対して言えるよりもずっと本気で言える。妻は、あたしが抑えきれない振る舞いについて、そのひとつひとつについて、すかさず文句を言う人だった。
とは言え、そう言うのは妻に対してフェアじゃないとは思う。あたしは選択をする必要があったのだ。妻と別れて、新しい人生を歩み始め、それに伴うあらゆる周りの評判に対処する道。それと、今まで通り妻と一緒に仮面夫婦を続ける道。チャックとの関係を断つこともあり得て、その場合、あたしは死ぬまで楽しかった思い出で満足しなければならないだろう。
あたしは自分が取る道をすでに知っていたと思う。これまで何百回も心に決めてきたこと。いや、むしろ、あたしが取らなかった道と言い換えた方が良いかもしれない。あたしは、これからも、今までの生活を続けるだろう。いつの日か、どういう形でかは分からないけれど、この人生の道を変える勇気を手にできるようにと願いながら、今後も今までと同じ生活を続けるのだろう。
62_choice and consequences
私は決断した。そして今、その決断の結果を受け入れている。少なくとも、そういうふうに私は自分に言い聞かせている。それに、その決断は正しかったのは確か。そもそも、選択の余地はなかったし、論点も意味がなかったし。ともかく、引き返すことはできない。自分で望んでいたかというのもあり得ない論点。ともかく、望みどおりに生活させてほしいというだけの話しだった。今は、ただ、前のように生活させてくれればいいのにと願っている。それは、そんなに悪いことなのだろうか?
私たち夫婦は、ずっと子供が欲しいと思っていた。でも、それは問題だと思わない人は山ほどいると思う。そういう人は、ゲイの人というのは、テレビによく出てるようなお笑い担当の人だろって思ってる。でも、私たちはそんな人たちとは違う。一生を一緒に暮らしていきたいと思った、ごく普通の人間。だから、この世界に子供たちを連れてきて私たちと一緒に暮らしてほしいと思っても、別にびっくりするようなことじゃないはず。
私の人生で一番幸せな日は、ゲイ同士の結婚が合法化された日。まさにその翌日、彼と一緒に裁判所に行って、私たちふたりのことを合法としてもらった。二番目に幸せな日は、トーマス機関のことを知った日。その機関の助けを得れば、ポールとあたしの間で子供を持つことが可能になると知った日。
どういう仕組みでそうなるかは分からないけど、私の体の中で成長している卵子が、私のDNAで成長しているのを知っている。この子は遺伝子的にも私たちの子なのだ。奇跡のような技術。
私たちのどっちが子を産むか、その選択は難しくなかった。ポールの収入は私のよりずっと多かったから。私たちのどっちが子を産む負担を背負うかとなったら、私がその役割になるのが理にかなっていたし、私も喜んでその仕事を受け入れた。私は、とても現実とは思えない、自分が妊娠するという考えにロマンティックな気持ちを持っていた。
でも、私がつまずいた点は、その点ではない。いや、私は妊娠して気分の浮き沈みが激しくなるとか、強い欲求が出てくるとか、出産時の痛みとか不快感とか、全部、心づもりはできていた。私が予想していなかったこととは、体の変化だったのである。
私は決して女性のような体になることを欲したことがなかった。私は男なのだ。乳房も大きなヒップも、何もかも欲していなかった。単にお腹が膨らむだけだろうと思っていて、それはそれで構わないと思っていたのだった。でも、実際はそういうふうにはなっていないのだった。
周りの人々が私たちに接する態度がすごく変わった。可笑しいくらい変わった。みんな、私が女性のように見えるため、私を女性だとみなすようになった。私たちは「ノーマルな」カップルだとみなすようになった。怪訝そうな眼差しや、決めつけるような眼差し。それがすべてなくなった。このようにして、私たちは受け入れられる存在になったのである。私たちは問題ないと。そこが嫌な点。「ノーマル」だとして受け入れられる感覚を享受している自分が嫌い。これまでずっと必要ない、欲してもいないと言い続けてきた承認を与えられていることが大嫌いなのである。
だけど、今はそれが私の生活の一部になっている。もはや元に戻ることはできない。再び男性に戻ることはできない。妊娠し、子供が生まれた後も、私の体は元の体形に戻らないだろう。それが、母親になるために私が払った代償なのだし、私はそれを受け入れている。ではあるけれども、だからと言って、時々、自分の決断が正しかったのかと迷わないわけではないのだ。