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64_No regrets 「後悔なし」
時々、いまだに自分のことを男だと思うことがある。目を覚まし、家族と顔を合わせ、仕事へと出向く。自分から奪われた人生。それを生きているような錯覚。一時的であれ、自分の身に起きたこと、自分が変わってしまったことを忘れる。でも、その後、現実が襲い掛かってきて、何もかも思い出す。その現実は、胸に感じる重みの場合もあれば、裸の自分の腰に絡みつく男性の腕とか、視界を邪魔する長い髪の毛とか、前日の夜の行為による体の鈍い痛みとか。現実の自分を思い出すための手掛かりが山ほど襲ってくる。現実から隠れる場所があまりに少ない。
私は警官だった。しかも優秀な警官だった。私には家族がいたし、友人たちもいた。家族も友人も、いまや誰も私を探していない。彼らにとっては、私は3年以上前に行方不明になって、死んだのだろうとされている。多分、私という男性は死んだ。行方知れずになって、忘れ去られたのだ。男性ではない何か他のものに姿を変えられたのだ。
潜入捜査を始めたとき、これは長期にわたる任務のはずではなかった。二日ほど出入りして捜査したら、ドラッグ売人が街から消え去ると。だが、実際はそういうふうには進まなかった。
彼らはすべてを知っていたのだった。私が誰であるかもバレていた。私の家族についても知っていた。より重要なことは、もし、私が彼らが言うことに従わなけば、私が愛する人すべてに恐ろしいことが起きるということだった。本当の意味での選択肢が私にはなかった。そして、彼らの要求に従ったことを私は後悔していない。少なくとも、後悔したいとは思わない。
でも、鏡で自分の姿を見るたび、自分がどんな人間になってしまったかを見るたび、少しだけでも家族をリスクに晒しても良かったのではないかと思う自分がわずかに浮かんでくる。家族を守ることができたのではないか、家族もそれに耐えてくれたのではないかと、そう思う自分がでてくる。
もちろん、それは無意味な妄想だ。終わったことは取り戻せない。私はもはや警官ではない。私は男でもない。かつては別人だったが、今はただの売春婦だ。これが今の自分の生活だし、それを変えることは私にはできないのである。
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64_Missing the window 「逃した機会」
時々、彼は決断を後悔しているんじゃないかと思うことがある。楽しいはずがないもの。いつも脇役で、誰といても中心にはいられないなんて。彼に悪いことをしたかなって思いそうになる。でも、思い出してみれば、彼は自分がどんなことに首を突っ込んだのかちゃんと知っていた。自覚して選択したのだ。そして今、彼は、その決断の結果に甘んじて生きなければならない。
彼と出会った瞬間から、彼はあたしのことを大好きになってどうしようもなくなるだろうなって分かっていた。そういう目の表情をしていたし、その恋愛感情がすぐに強迫観念に変わるだろうとも思った。その時点ですぐにあたしは彼との関係を断つべきだったのだし。自己弁護させてもらえれば、実際、あたしはそうしようとした。でも、職場が同じだったこともあり、彼を完全に避けることができなかった。
もちろん、彼のことが嫌いだったわけではなく、むしろ好きだった。ただ、ロマンチックな意味で好きだったわけではなく、彼はとても仲の良い友人という位置づけだった。あたしのことについては彼も知っていたし、そのことを彼に何回話したか覚えていないほど。多分、彼は、いつの日かあたしを変え、突然、男性が好きになるようになると思っていたのだろう。正直、彼の心の中で何が起きていたかあたしは知らない。知ってることは、あたしは自分が誰を求めているか、迷ったことは一度もないということだけ。
彼がトランスジェンダーだとカムアウトした時、正直、これはあたしに近づくための見え透いた企みだろうなと思った。あたしは女性が好きなわけで、彼は、もし自分がもっと女性的になったら、あたしが彼のことも何とか好きになるんじゃないかと思ったのだろう。そんなふうにはならないものなのよって、彼に叫びたかった。だけど、あたしには言えなかった。その代わり、あたしは、彼を支援する友達の役割を演じた。そして、あたしたちは以前より近しい間柄になったのだった。
思うに、あたしがヘザーとデートし始めたとき、彼はひどく落ち込んだと思う。まさにその頃から、彼は本当の意味で一線を越え、ホルモンを摂取し始め、様々な手術を受け、完全に女性として生き始めたのだった。女性になるための努力を倍にしたのである。
皮肉なことだけど、もし、当時の彼が、今の彼のような容姿だったら、ひょっとするとあたしは彼の言い寄りを拒否しなかったかもしれない。今の彼はとてもステキで、まさにあたしが好きなタイプになっているから。でも、あたしはヘザーと付き合っているし、ヘザーのことを愛している。
多分、あたしたちは適切な機会を逃してしまっただけなのだろうと思う。
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64_Making a choice 「選択」
「わっ、すごくヤッテって言わんばかりのお尻してるじゃないの。まるで、ヤルためにあるようなカラダしてるのね」
「ハレ、本当に、からかうのはやめて。からかわれるのはイヤ。知ってるくせに」
「ジョーイ、からかってるわけじゃないわよ。誉めているの。ほんと、そのウィッグをかぶると、彼女そっくりになるわね。そこのちっちゃなのを除けばってことだけど」
「また言うけど、お願いだからベネッサのことを言うのやめられない? あたしが一番聞きたくないのが姉さんのことだって知ってるでしょ?」
「だって、言わずにいられないんだから仕方ないじゃない? それに、これが何なのか、あなたも分かってるでしょ? あたしが何をしたいか、完全にはっきり言ったはずよ。それに、言わせてもらえれば、あの時、あなたも完全に同意していたじゃない?」
「分かってるけど……」
「ジョーイ、あたしはレズビアンなの。女の子が好きなの。特にあなたのお姉さんが大好きなの。そして……」
「分かってる。でも、もし、あたしにさせてくれたら……」
「……そしてあなたがあたしに付き合ってと頼んだ時……『しつこく』頼んだ時と言ってもいいわね……その時、あなたに言ったはずよ。あなたとするとしたら、あなたが彼女にそっくりになったときに限るって。あなたはベネッサの身代わりなの。代用品。あなたがそれ以外になるなんて一言も言わなかったわよね?」
「ただ、あたしは……」
「あなたはあたしを変えられるかも、と思ったんでしょ? あたしが女性が好きなのは一時的だろうと。ただの一段階にすぎなくて、じきに変わるかもしれないと。ふん! そんなんじゃないのよ。まあそうねえ、あたし、あなたのこと好きよ。嫌いじゃないわ。それに、あなたが今みたいに面倒くさいことを言いださなければ、あなたとのセックスは気持ちいいし。でも、一瞬たりとも、忘れないでほしいの。あなたがいつものジョーイに戻ろうとしたら、その瞬間、あたしはあなたとは別れるから」
「ど、どう言っていいのか……」
「何も言う必要ないわよ。選択肢はふたつ。ひとつは、いつものように、あなたはベネッサになって、あたしにお尻を突き出して、ふたりでちょっと楽しむこと。もうひとつは、あなたは男に戻って、そのままお別れとなること。あなたがどっちを選ぶにせよ、あたしとしては、この話し合いはもうお終いにするわ。というわけで、どっちか選んで。今すぐ。選択するの。男になりたい? それともあたしの彼女になりたい?」