その夜の夕食では、私たち5人が一緒にテーブルについた。テーブルを見ると、私の右隣の椅子が空いているので、6人分の用意ができているようだった。私たち5人だけだと思っていたのに。
そして、一番、恐れていたことが起きた。ビルが現れ、ご一緒できますかと訊いたのだった。
食事は楽しく、会話もユーモア混じりで楽しかった。マークは、これまで作ってきた映画のことについて、その失敗談を楽しく語った。マークの話しがとても面白くて、私たちは笑い転げてしまい、ビルが偶然に私の手に触れても私は気にしなかった。
ディナーの後、ヘレンとマリアと私の3人で散歩に出かけた。外はとても美しかった。想像していたほど暑くなかった。アリゾナと聞くと、普通は砂漠を思い浮かべ、すごく暑いところを想像すると思う。実際はそれほどでもない。散歩のあと、私たちは部屋に戻った。
部屋では、私たち3人は、深夜まで愛し合った。もっと言えば、互いに抱き合いながら眠りに付いた時には、すでに午前4時を過ぎていたと思う。その日、どんなことが起きるか知っていたら、私たちはもっと早く寝ていただろうと思う。
朝の7時ちょうどに、マークが私たちの部屋のドアをどんどんと叩いた。私が出た。
「マリアに、1時間以内にロビーに降りてくるように言ってくれ。マリアは、撮影開始の前に多少、朝食を取っておきたいと思うだろうから」
マリアはあまり楽しそうな様子ではなかったけれど、出演料をもらう以上、指示に従わないわけにはいかなかった。
ようやくロビーに行った時には、もう、マリアには朝食を取る時間はなくなっていた。マリアはフルーツを二個ほど取って、そのまま、マークに会いに行った。その後、コスチュームを着るため、衣装室に連れて行かれた。
1時間後、マリアはホテルのフロントに立っていた。今朝の撮影は、大半がマリアのクローズアップ撮影だった。ヘレンと二人で撮影の様子を離れたところから見ていた。マリアは、架空の宿泊客を相手に話しかけ、チェックインの作業を演技していた。
正午近く、ランチの時間であることが告げられた。マリアは部屋に戻ってきてベッドに横になった。頭痛がするといっている。ヘレンはマリアに連れ添うことにし、ランチの間は、マークとトレーシーと私の3人だけだった。幸いビルはいなかった。すでに撮影が済んだシーンについて作業があるらしい。
私は、この機会が、この映画に出ること、あるいは少なくとも他の映画でも良いけど、映画に出ることについて、マークに話しをする良いチャンスだと思った。サラダをフォークでいじりながら、マークに話しかけた。
「映画に必要な女優はみんな確保したんですか?」
マークはくすくす笑った。
「この種の映画では、いくら集めても足りないものなんだよ。でも、何とか間に合わせるだろう。明日あたりには35人、女の子がやってくるけど、正直、もっと欲しいところだな」
マークが食べ物に噛りつこうとした時、私は言った。
「もし、良かったら、私を使ってくれていいんですよ。というか、私、この映画に出たいと思ってるんです」
マークは食べ物を口に入れ、噛み下した後、返事した。
「いや、ステフィはこの映画に出ることが決まっているよ。すでに、あるシーンでは君とヘレンをプールサイドにいる人の役に指名してある。別のシーンではバーにいる人としても君を予定してある。加えて、君には他の仕事もあるのを忘れないでくれよ。君なしでは、この撮影はうまく行かないと思っているんだから」
私は、この時すでに両手が震えていたし、球のような汗が額に浮かんでいる気がした。声に出したけれど、少しどもっていた。
「わ、私をローレルやサミーと同じように使ってくれても良いと・・・」
マークはショックを受けたような顔になった。このような表情になったマークを見るのは初めてだった。マークは、その後トレーシーの方を見た。彼女はマークよりもショックを受けた顔になっていた。
マークは手に持っていたフォークを置き、私の手を握った。
「君は、ローレルやサミーが何をしているか、ちゃんと理解してるはずだが。僕たちは、彼女たちのセックス・シーンを撮影するんだよ。しかも何回も。それを分かってると思うが?」
「分かっています。まさに、それをしたいんです。でも、あなたが、私のルックスは充分でないとか、未経験すぎるとお思いなら、仕方ないけど」
「おーい。もっと前にそういうことを言ってくれてたらと思うよ。ルックスの良さについて言ったら、君は大丈夫。もっと言えば、君のような女の子を50人集められたら願っているほどだ。ステフィは、ちょうど大学に入れる年齢だね?」
マークの頭の中が高速で回転しているのが見て取れた。
「なぜ、やってみたいと思うんだい? お金かな?」
「ただ、試してみたいだけなんです。やってみたと言えるようになりたいだけ・・・それに、お金は関係ありません。この種のことがどれだけのお金になるか分からないし。ただ、試したいだけなんです」
「本当に、これをしてみたいと確信しているなら、是非、君にも加わってもらうようにするよ。でも、試してみて、気に入り、続けたいと思った場合は、今の作品がリリースされる前に君のデビュー映画を一本撮りたいと思う。この『スプリング・ブレイク 1』をリリースする前に、君の名前を公けにしておきたいんだ」
その後は食事の間、何も話しはなかった。マークは私を連れてロビーに戻ると、トレーシーの耳元に何か囁いた。私はマークの後について行くべきだと思ったけれど、トレーシーは私の腕を掴んで、引き止めた。
「思うに、その話しは、僕の・・・何と言うか、バランス感覚に反するんだ。僕自身は、人が行う行動には、どんな場合でも、思考過程が伴っていると信じた方が気が休まる・・・だが、僕自身が、いつもそうとは限らないということを示す良い具体例なのも事実だ。あの時、僕は、まったくためらわずに信号無視をした・・・その行為が正しいことか、悪いことか、あるいはどちらでもないかなど、そういうことを一切考えずに、赤信号を無視した。そのことには言い訳はしないよ・・・」
スティーブは姿勢をただし、バーバラをまっすぐに見て、きっぱりと言った。
「でもね、これにはもう一つあるんだ。あの時以来、僕は一度も信号を無視したことはない。一度たりとも。僕は、交通の流れの先頭を車で走っていて、信号に差し掛かる時は、ほとんどいつでも、あの日の午後の記憶を思い出している。むしろ積極的に思い出して、ああいった過ちは二度と行わないようにしているんだ・・・」
「・・・バーバラ? 僕たちには、もうあのようなことは起きないよ。このアナロジーを使い続けたいと思うなら、君自身、注意を払っていないときに悪いことをしてしまうかもしれないことを覚えておいた方が良いと思う・・・」
「・・・僕たち夫婦では、定員は2名だけだ。僕は、3人目の人間は受け入れない。決してね。こういうことは、二度と、なしにするつもりなんだよ、バーバラ」
バーバラは、スティーブの手を握っていた手に力を入れた。目には涙がにじんでいた。
「分かっているわ、あなた・・・ジミーやレイフとしてしまったことを思うたびに、本当に不快感で気分が悪くなってしまうの。あんなことをしたバーバラを私は憎んでいるわ。でも、あの記憶を消し去ることはしないつもりよ、スティーブ。いつも頭に入れておいて、私がまた狭くまっすぐな道から踏み外さないようにさせるつもりなの」
スティーブはバーバラの顔を見つめた。この前。バーバラは、僕がエイズにかかり、僕とセックスをすれば最終的には自分が死ぬことになると考える十分な根拠があったときに、僕とセックスをした。それまで僕はバーバラは僕を愛していないのだろうと疑っていたが、あの行為でもって、バーバラは自分に対して深い愛情を持っていることを表した。あの行為によって、僕たちの間の障壁が大きく取り崩れるようになってきたのだった。
そして今、バーバラは、他の男たちとしたことを思うだけで気分が悪くなると言っている。今後、道を踏み外したりしないよう、その痛々しい記憶をいつまでも忘れないつもりだと言っている。
スティーブは溜息をついた。今夜は溜息ばかりついているな、と彼は思った。
「分かったよ。・・・この件は気にしないことにするよ、バーバラ。僕は、世界で最も聡明な人間ではないのは確かだが、はっきりと示されれば、その論理は理解できるから」
スティーブは立ち上がり、しばらくバーバラを凝視した。それから急にヒューストン氏の方を向いた。
「で・・・これで僕は、あなたがあの時お話ししてくれた悲嘆の過程(
参考)について、全段階を何とか乗り越えたと言えるでしょうか?」
ヒューストン氏は不意を突かれ、戸惑った。スティーブに悲嘆の過程について語ったカウンセリングのことを思い出すのに、多少、時間をかけざるを得なかった。
「そう思いますよ、ええ、スティーブ・・・しかも、とても素晴らしい形で」
「じゃあ、ようやく、もっと小さな問題に着手できるわけですね?・・・最初は何からしよう?」
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