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56_Sales pitch 「セールス・トーク」
「すごいわ、クララ。本当にすごい。ふたりとも知ってるの?」
「どういうこと?」
「つまり、何と言うか、ふたりとも自分が何をされたか知ってるかしら? それとも、よく分からないけど、催眠術とかをかけられているの?」
「催眠術は効かないわ。うまくいったことが一度もないの。だから、ええ、そう。ふたりとも知っているわ。もちろん」
「じゃあ、どうやってこんなふうに? 前のふたりのことは知ってたけど。もちろん、こんなふうじゃなかったもの。まったく、この気配すら感じなかったわ……」
「ハードコアのマニピュレーションよ。いい? 人間というのは、間抜けな人間ほど従順になるの。で、このふたりはというと? 最高レベルのバカだった。実際、そんなに難しくなかったわ。ほとんど抵抗もなかった」
「でも、どうやって? マークとトミーといったら……」
「花形選手? マッチョ男? それが今はあの通りの、間抜けなエロ女になってる? 何が起きたか知ってるわ。あたしが現場にいたから。というか、あたしがふたりを変えるように仕向けたの。いい? 心理学を理解すれば、そんなに難しいことじゃないのよ。すべて、条件付けの問題。ポジティブとネガティブの両方ね。良い行動をしたら快楽が得られる。悪い行動をしたら苦痛を得る結果になる…普通は心理的な苦痛ね。それを繰り返したら、最後には、ふたりとも、あたしが用意した狭い道をまっしぐらに歩き始めていたということ」
「ということは、あなたは、ふたりを自分の意思で女に変身するようにさせたってこと?」
「女じゃないわね。シシー。シーメール。あなたがふたりをどう呼びたがろうとも構わないけど、ふたりは自分を女とは思っていないわ。確かに男じゃないけど、女でもない。確かに、最初はうんざりするくらい脅かしがあったけれど」
「あなたがどんなことをしたのか知らないけど、結果は確かに素晴らしいわ。文句が言えないほど。これ、繰り返すことできる? それとも、ふたりの場合だけ可能だったということ?」
「ちゃんとした環境が整っていたら、誰でも変えられるわよ。あなたの旦那さんもね」
「それこそ、あたしが訊きたかったこと」
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56_Sacrifice 「犠牲」
「な、何と言ってよいか分からない」とグレッグは、古い見覚えのある写真を見つめた。「お前がこれを見ることはないはずだったんだが」
彼は写真を伏せてテーブルに放り、信じられなそうな顔をしている息子を見た。
デビッドは唇を噛んだ後、父に尋ねた。「これ、お父さんなの?」
グレッグは顔を背け、頭を振った。「当時は今とは違う時代だったのを理解しなければいけないよ。私は当時、今から考えると実に不思議な行動をする決心をしたんだよ。そして……」
「それで、これ、お父さんなんだね?」
グレッグは頷いた。「ずいぶん前のことだ。80年代。当時はね、ある種の人の集まりでは、男女の性区分というものは確固とした区別というより、違いの示唆程度だったんだよ。私はただ……」
「でも、どうしてこれがお父さんなの? お父さんには……その……」
「胸のインプラント。そして、私は20歳代の大半を女性として生きていたんだ」
デビッドにとって、この古い写真を見つけたときから、すべての謎が解けていくように思えた。写真を見た瞬間、これが自分の父の姿だと分かった。間違いようがなかった。だが、単に父と分かったことよりも大きかったのは、父について彼が知ってるすべてが、突然、完璧に理解できることに変わったことだった。彼の父はずっと前から特に男っぽい男性とは言えなかった。女性的な顔かたち、仕草、そして言葉使いなど、氷山の一角にすぎない。
「だけど、今はお父さんには胸の膨らみはないよね? 何が起きたの?」
「お前の母親は、私が出会った中で最も素晴らしい人だったんだよ。でも、おじいちゃん、おばあちゃんのことは知っているだろう? おじいちゃんたちはお前の母親が他の女性と関係を持つことを決して許そうとしなかったんだよ。だから私はインプラントを取り除いて、男性に戻る長い道のりを歩き始めた。でも、お前にだけに言うと、本当に男性に戻っているとは確信が持てないでいるんだ」
デビッドはこのことをどう考えてよいか分からなかった。彼はかすかに母親のことを覚えていた。彼の母親は肝臓がんで彼がたった6歳の時に亡くなっていた。デビッドの目に涙があふれてきた。
「たくさん聞きたいことがあるのは分かっているよ」とグレッグは息子の手に手を重ねた。「分かってるよ。私はお前に話すべきだった。話すつもりはあったし、いまこうして話してもいる。だけど、いつ話すかというと、いつを取っても、良い時間と言える時を見つけられなかったんだよ。いつだったら良かったのかな?」
突然、父が犠牲を払ったことの意味がデビッドの心に直撃した。「じゃあ、お父さんは、お母さんだけのために、自分のアイデンティティを捨てたということ? ど、どうして基に戻らなかったの? お母さんが……お母さんが亡くなった以上、また元の……」
グレッグは肩をすくめた。「それを考えたこともあるんだ。お前が小さかった時、そうしようとしたこともあったよ。でも、お前が大きくなるにつれて、あまり意味を見出せなくなっていってね。お前には普通の人生を歩んでほしいと思ったんだ、デビッド。そして、もしそれが私の側でちょっとだけ犠牲を払うことを意味するなら、それはそれで良いんじゃないか、とね」
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56_Resistance 「抵抗」
彼女の目に現れているのが見える。ボクに諦めてほしがっている。ボクも彼女を責めるつもりはない。ふたりとも、残酷な苦痛にどっぷり嵌っていたし、ボクもギリギリの状態になっていた。この苦痛から逃れることさえできるなら、屈服してしまいたいと思っていた。そして、そんなことを願う自分が嫌いだった。
ボクはすでに自分の人生を奪われていた。彼らはボクのまさに男らしさを奪い去っていた。差し出せるものとして他に何が残っているだろう。何もない。そうだろ?
彼女は口に入れられていた噛ませものを吐き出した。「あいつらに話すのよ。あいつらの言うことをするのよ」
ボクは拒否の唸り声をあげて返事した。でも、決意が弱ってきているのも感じていた。彼らが欲する情報を与えなければ、この拷問は終わらないことは知っていた。本当に情報をバラすことは、そんなに悪いことだろうか? 誰がボクを責められるというんだ? そう思った。
ボクと姉は、父の間違った行いのせいで誘拐されたのだった。狂信的な扇動者、レイシスト、国粋主義の男性上位主義者。それがボクたちの父だった。そして父は大統領の地位にあと一歩のところまで来ているのだった。誘拐者たちは、ボクたちに、公の場で、父の数多くの欠点を詳細に述べることだけを求めていた。
もちろん、今の姿になったボクが表に出るだけで、父にとって恥となるし、何度も同性愛者を嫌悪する発言を繰り返してきた父の虚言を露わにすることになるだろう。これはすべて、大衆の認識をそらし、父の影響力から国を守ろうとするために彼らが計算したことだった。
でもボクはこの計画でのカナメとなっていた。彼らは、ボクの口から、彼らの行動は正当だと言わせたがっていた。そして、そのための時間が切れかかっている。ボクはいつまで抵抗を続ける力を維持できるか、分からなくなっていた。