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56_Thin line 「薄皮一枚」
愛と憎悪の間は薄皮一枚。これは、古くからある言葉だけど、あたしにとっては、これほど真理を言い当てている言葉はない。あたしは彼を愛している。少なくとも、彼はあたしをそういう気持ちにさせてくれる。彼といるときほど、自分が人から切に求められていると感じることがない。彼があたしを見るときの顔。彼があたしに触れるときの触れ方。その他の何万もの些細な仕草。彼があたしを欲しているのが分かる。彼にとって、あたしは誘惑の絶対的極致だと分かる。あたしは彼の理想そのもの。そんな場合、人が自分は特別だと感じないわけがない。
でも、そのコインには裏面もある。あたしが今のあたしになったのは彼のせい。彼が、あたしを今のあたしに変えた。彼の求めに応じて、あたしは自分の体を彫刻するように変えていき、彼にとっての完璧な相手を作り上げてきた。それについて、あたしがどう考えていたか、同意したのかは、関係ない。考慮すらされていない。
彼は、あたしの人生の進路を変えてしまった。あたしから男性性を奪い、あってはならない形にあたしの姿を変えてしまった。その点であたしは彼を憎んでいる。これ以上ないほど憎悪している。憎悪の味を知っている。憎悪の匂いも知っている。憎悪はあたしの体幹へと染み込み、あたしの中核はそれに感染している。
でも、それでも、そのことについて感謝する気持ちになってしまう時がある。贅沢な暮らしをしているし、欲しいものはすべて手にしている。それに外の人々に対しては、あたしは彼の妻として通っている。本当のあたしを知っている人は誰もいない。嘘をついてるのは確かだけど、でもそれはあたしを保護するための嘘。
喜びもある。あるどころではなく、数えきれないほどある。あたしは、彼の導きで、肉体的な愛の行為を愛するように育てられてきた。今はその行為をいつも求めている。いつも切なく欲している。その点で、あたしは彼と同じ。その点で、あたしたちはひとつの極上の喜びを共有している。
愛。憎悪。多分、このふたつは、別々の視点から見た、同じ一つのことなのだろう。分からないけど。でも、そんなことは関係ない。あたしは今の生活から逃げられない。これがあたしの人生。どういう形にせよ、この人生を続けていく他、あたしには道がない。
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56_A new guy 「新人」
「じゃあ、あんたが新人さん? ふーん」 とボビーが言った。彼は黒いウサギ耳をつけている。他に身に着けているものはほとんどないも同然。ボビーの隣にはサムがいた。彼は細いストリング・ビキニを着ている。やはり彼も、曲線豊かな体をほとんど隠していないも同然だった。
「え、ええ…そうだと思う」とティムは答えた。握手をしようと手を出しながら言った。「ボクはティム。でも、ダイアンさんから、ここで働いてる間はダイアモンドという名前を使うべきと言われてる」
「ダイアモンド? マジで? 彼女、いつも最悪の名前を選ぶわよね」とサムが言った。「あたしはマーキュリーって名前を付けられたわ。ボビーはスパークルって名前。でも、舞台では本当の名前を使えそうな感じじゃないもんね」と彼は肩をすくめた。
「で、あんた、どうしてバンズに来ることになったの?」とボビーが訊いた。「あんたの奥さんが、可愛い秘書と逃げたとか?」
「ボ、ボクは……なんて言うか、ボクの仕事の領域では誰もボクを雇ってくれないだろうって思って、ここに来たんだ。男女差別の訴訟を起こそうとしたんだけど、どの弁護士に相談しても大笑いしてボクを彼女たちのオフィスから追い出して。男がコンピュータ・プログラマになろうなんて冗談にもほどがあるって、彼女たちみんなそう言うんだ」
「確かに、そんなプログラマ、聞いたことないわね」とボビーが言った。「それに、いい? ここではあんたはただのストリッパーなの。お客の女たちには、大学に進むために働いてるとかって言うのよ。そっちの方がよっぽど信憑性があるから」
「それに、もし女の人があなたと裏部屋に行こうとしたがったら……その意味分かるわよね?……ともかく、その場合はダイアンさんに教えること」とサムが付け加えた。「彼女、裏部屋でちゃんとあんたが安全でいられるようにしてくれるから。それにちゃんとお客の女がカネを払うよう仕切ってくれるわ」
「それって、まるで、こんなガリガリの痩せシシーとやりたいって思う人が出てくるみたいな言い方じゃない?」 とボビーが皮肉を言った。「ひとつだけアドバイス! あまり居心地よくならないこと。ここには男たちがいっぱい来ては、すぐ出て行くんだから」
ティムにはそれ以上、説得の必要がなかった。彼はずっと前から、これは一時的な解決案にすると決めていた。自立できるまでの仮の仕事と。一生、ストリッパーを続けていくつもりはないと……
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56_The ladder 「出世の階段」
「脚を上げて」とターニャが言った。エリックは言い返すこともなく、指示に従った。彼は、この職が不安定であることを知っていたし、ここまで這い上がってきた道から外れるつもりもなかった。ここまで来るのにあれだけ耐え忍んできた後だけに、なおさらだった。
エリックのアナルに、今やすっかり馴染みとなっているターニャのストラップオンがえぐりこんできた。それを受けて彼は悩まし気なヨガリ声をあげた。ターニャには、彼がこれを望んでいると思ってもらわなければならない。こういうことをすることがターニャの性的妄想のひとつなのだ。そして、そうであるがゆえに、彼は、こういう反応をしなければならないのだった。
一度ならず、エリックは、自分が本当に正しい選択をしたのだろうかと疑問に思っている。正しい道を選んできたのだろうかと。仕事の面について言えば、ターニャにこうして体を使わせていることは、疑いようがなく成功している。彼は、社内での出世の階段を、彼の動機の誰よりも早く駆け上ってきた。女体化の段階を進むたびに、昇進をしてもらった。しかし、個人的な面について言うと、自尊心が急速に朽ちていく意識に打ちひしがれていた。
彼の仕事の上での能力は関係ない。彼は数多くミスをしてきたが、すべて無視された。彼は、ターニャの求めを拒まない限り、非難から守られてきた。毎日、職場ではその立場が補強されていくばかりだったし、毎晩、家では自尊心と安定した職と自尊心の葛藤に悩まされるのだった。
もちろん、職場の誰もが、エリックはターニャが飼ってるシシーだと知っている。実際に行為をしているところを目撃した者はまだ誰もいないが、にもかかわらず、誰もが事実を知っていた。エリックも、同僚たちの意味深な目つき、薄ら笑う顔つき、それとなく聞こえるヒソヒソ声を無視できなかった。彼は、あらゆる意味で、体を売っているのである。確かに高額を受け、有力者に囲われてはいるが、娼婦であることには変わりがない。
エリックは、この状態をいつまで続けられるだろうかと思わずにはいられない。
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56_The commune 「コミューン」
「コミューンにようこそ。あたしはセス。あなたのガイドができてうれしいわ」
「あ、ハイ、セス。ボクは……」
「フェリックスよね? 知ってるわ。あなたとあなたの奥様のような新人は、そんなにいつも来るわけじゃないの。ここにいるみんな、あなたたちと知り合いになると思うわ」
「うん」
「質問があるんじゃない? あたしも初めて来たとき、そうだったもの。飛行機でオリエンテーションのビデオを見せられたけど、それでも理解できないことがたくさんあったもの。あたしが来たのは、あなたたちにここでの新しい生活に馴染みやすくなるようにするためなの。つまり、何か質問があったら、あたしができる限り答えるから安心して。何か必要なものがあったら、頑張って手に入れてあげるわ。あたしは、あなたたちのお助けのために来てるわけ」
「ということは……あなたも、ここでのことを経験してきたと?」
「もちろん、そうよ。不安になっているのは分かるわ。このコミューンは外部者にとっては恐ろしいところに見えるかもしれないもの。でも、このコミューンこそが、千年以上も前からの問題に対する最善の解決策だと理解すべきね。ちょっと訊いてもいい? ここに来たのはあなたの考え? それとも奥様の?」
「ふたりで決めたことです」
「じゃあ、奥様の考えということね。珍しいことじゃないわ。あたしたち男は、理想的な男らしさという時代遅れの考えにしがみつくよう、条件づけされているものだもの。強くて支配的に振る舞うように考えられている。ずっと前からそういうふうになっていた。でも、このコミューンでは、それに対して、こういうふうに単純な質問を問いかけるの。つまり、それで社会はどうなったのか、ってね。ここの外では犯罪率が史上最大にまでなっている。戦争はいたるところで起きている。貧困、不平等、抑圧もいっぱい。それが、世界の大半での現実。そして、その原因として責めるべきは、たったひとつ。それは、男らしさだし、その拡張として、家父長制ね。それが原因。だから、ここの創立者たちは、それを拒否しようと決めたわけ。例外なしで完璧にね。それがこのコミューン。やりたい放題の男性社会という砂漠に現れた、命の源泉となるオアシス。それがこのコミューン」
「ええ。それはパンフを読んで知っているよ。だから、ボクはここに来ることに同意したんだ」
「じゃあ、どうして? なんだか気乗りがしてなさそうなんだけど? みんな同じなの。だから、あえて訊くけど、あなたはどうしてここに来たの?」
「正直に言っていい? それはここが事実上ユートピアだからじゃないか? 生活の質も、ヘルスケアも、それに……」
「それだけでも、重要な点を示してるわね。でも、完璧さというものは、犠牲なしでは手に入らないものなの。それは、ここに来る前に知ってるわよね。あたしには、あなたがその犠牲に対応できるよう手伝う役目もあるの。まず、このコミューンでは男性は衣類を着ることが許されていないの。だから、施設に入る前に、すべての衣類を捨てなくてはいけないわよ。それから、もちろん、あなたの体も再構築する必要があるわ」
「さ、再構築?」
「変身のこと。それを格好よく言い換えた言葉よ。遺伝子治療とホルモン置換治療を組み合わせて一連の処置を受けるの。そうするとあなたの体はもっと女性的な、もっと嬉しい形に変わることになるわ。あなたは一定の体形になることが求められるでしょう。さもなければ、あなたも奥様もここから出て行ってもらうことになるでしょうね。その処置が終わったら、あなたの男らしさを示すものは脚の間にあるモノだけになるわ。あなたの立ち位置を常に意識できるように、ソコだけは残されるの。さあ、あたしについて来て。早速、処置に入るから。その後のユートピアの人生があなたを待っているわ!