出かける支度をするのに少し時間がかかってしまった。まずは、前の日に施したお化粧やネイルを全部落とさなければならなかった。その頃までには、自分の爪もかなり伸びていたので、よっぽど長い爪をつけたいときでないなら、つけ爪は不要になっていた。逆に言えば、自分の爪なのでいちいちマニキュアを落とさなければならない。それに偽乳房を外すために接着剤の融解液も使わなければならなかった。さらに、シャワーも浴びなければならなかった。
いま着ている服は、アンジーと出会ったときに着ていた服とはずいぶん変わってしまった。今のスーツは、以前のスーツの3倍は高額な高級服だ。アンジーは僕のスーツは高級品でなければいけないと強情だったのである。シャツも高級品だったが、中に着ているランジェリーが隠れる生地に限定されていた。ネクタイも、以前のポリエステル製のネクタイではなく、シルク製になっていた。耳には以前はゴールドの鋲ピアスではなく、クリスマス・プレゼントとしてアンジーからもらったダイアモンドのピアスがついている。
ズボンの長さは5センチほど長すぎになっている。僕の靴が7センチ半のハイヒールになってるのを隠すためにそうなっている。これを履くと、アンジーがハイヒールを履いても、だいたい同じ背の高さになれるのだった。アンジーは、僕が彼女より少し背が低いことは全然気にしていなかったが、同じ背の高さになれば周りの人たちの視線を気にしなくても良くなると言っていた。
アンジーもシャワーを浴び、ディナーに向けて着替えをした。彼女は赤ワイン色のニット・ドレスを着た。裾が膝上10センチくらいまでのワンピースだった。胸元がざっくり開いたネックラインで、胸の内側のかなりの部分が見えるデザインだったし、ニットなので身体に密着し、彼女の体つきを完璧なまでに強調して見せる服だった。
首の周りにはゴールド製でハート形のロケットをぶら下げていた。そのロケットは僕からのクリスマス・プレゼントで、中には僕の写真が入っている。靴も赤ワイン色で、ヒール高7センチ半のパンプスだ。あまりにヒール部分が細いので、本当にそれを履いても折れないのだろうかと心配になりそうなほどだ。
いつものデートと同じく、この日もアンジーが車を運転し、レストランに向かった。彼女はドライブが好きなので、決して運転席を他の人に譲ったりしないのである。僕の方は、それは全然気にならない。むしろ、彼女が運転している間、ずっと彼女のことを見ていられるので好都合だと感じている。そんなことを言うと、たいていの男性なら苛立つだろうとは思うが、彼らは僕が見ている女性を見ているわけではないのだ。
僕たちが行ったレストランはアンジーのお気に入りの店だった。その店では僕たちは優名人である。というのも、この3カ月ほど、週に1回か2回はその店に食事に行っていたからである。僕は、その店にはいつもジャックの姿で現れていたので、ジャッキーは一度も行ったことがない。
入り口でコートを預けた後、アンジーは僕の腕に腕を絡ませた。そしてウェイターに連れられてテーブルへと案内された。テーブルへと歩いている間、アンジーが囁いた。
「ジャック? 席についたらドン・ペリニョンを1本オーダーして」
これには驚いた。アンジーは普通シャンパンを飲まない。シャンパンは特別な時のためのものと彼女は言っていた。それに、だしぬけにドン・ぺリニョンを注文するのではなくて、このように予告するとは。これは、何か本当に特別なことなんだろうと思った。席につき、僕はウェイターにシャンパンを注文したが、彼の方も驚いていたようだった。僕たちがシャンパンを注文したのは、これが初めてだったからである。
シャンパンが注がれ、料理の注文を終えた後、アンジーはグラスを掲げ、こう言った。
「おめでとう、ジャック! あなたは上級調査士に昇格よ!」
一瞬、呆気にとられていた。昇格の話しすら聞いていなかったのに、いきなり昇格になっていたのだから。そして、その地位に上がるということは、アンジーの元では働けないことになると思った。上級調査士は正規法律士の元で働くのであり、アンジーはまだ准法律士だったのだから。
アンジーは僕がグラスを取ろうとしないのを見て、尋ねた。
「どうしたの? 昇格、嬉しくないの?」
「あんまり。だって、そうなると、もう君のために働けなくなるから」
アンジーはあの温かみのあるまぶしい笑みを浮かべた。
「会社に、あなたは昇格を受け入れて私の元を離れるなんてことはしないでしょうと言ったの。そうしたら、私も昇格させなくてはいけないなと答えたのよ。私も今はアレン・アレン・アンド・ロジャーズの正規法律士になったの」
この知らせには驚いた。「それはすごいよ、アンジー。とても嬉しいよ」
「私も嬉しいわ。ふたり一緒にというのがとても嬉しいの。私が昇格できたのもあなたのおかげなのは明らかね」
アンジーはシャンパンを一口啜り、話しを続けた。
「どうやら、会社では最初の女性正規法律士を加える用意ができていたらしいんだけど、レスビアンは困ると考えていたようなの。私がジャックと付き合っていて、今は同居していると言ったら、会社の人は私がレスビアンではないと踏んだらしく、昇格させてもかまわないと判断したようなの。もう、分かるでしょう? あなたが私のところで働いてくれなかったら、私は正規法律士になれなかったわ」
その話し、正直、どこまで本当なのか僕には分からなかった。だけど、彼女と言い争うつもりはなかった。僕たちは、互いの成功を祝って、乾杯した。
とても楽しくディナーを食べた後、ふたりで1時間か2時間ほどダンスをした。ダンスの後、家に戻り、まるで初めてセックスの喜びを覚えた10代の若者のように愛し合った。東の空、明るくなる頃になっても、まだ僕たちは愛の行為を続けていた。そして、その後、すっかり疲れ切った僕たちはシャワーを浴びる力も果てて、そのまま意識を失い、眠ってしまった。ふたりとも、全身、汗と体液にまみれたまま。
アンドリューの話しうーむ、最悪の事態だ。
僕たちはパティオでランチを食べていた。僕はPBアンドJ(
参考)を、ディ・ディとドニーは何か葉っぱっぽいのを食べていた。うちの小さなマンチキン(
参考)どもはテニスコートで遊んでいる。ボールを打ってネットの先まで飛ばそうとしている。時々は成功しているようだ。
ドリスは、またちょっとした遠足に出かけていて不在だ。ドリスが50年くらい前から付き合ってる老婦人が町に住んでいた。彼女は未亡人で、ドリスは彼女のことを友だちだと思っている。ジャニス・エドワーズというご婦人だ。ドリスとの契約の中に旅行をさせることも含まれていたが、僕たちはドリスをひとりで旅行に送るのは良くないと感じていた。そこで、このジャニス・エドワーズさんのことを知った僕らは、彼女におカネを払って、ドリスのお伴をしてくれないかと持ちかけたのである。というわけで、このおばあちゃん二人は国じゅうを飛び回って、楽しんでいる。今回、ふたりはアリゾナに行っている。
ちょうどチョコレートミルクを啜っていた時だった。ドニーがいきなり質問をしたのだった。
「アンドリュー? 私たちの従姉妹のひとりに子供を授けるのはどうかしら? 考えてみてくれない?」
チョコレートミルクを鼻に入れてしまったことがあるだろうか? 決して楽しい経験ではないのは確かだと言える。
ドニーの質問を受けた結果から何とか立ち直った後、僕は返事をしようとした。
「ドニー、お願いだから、何か飲んでるときにそういうことを言わないでくれよ。それで? いったい何の話しなんだ?」
そこでドニーは、従妹のダニーとやらにまつわる厄介な説明をしてくれた。そして質問を繰り返したのだった。
「するつもりはある? アンドリュー」
どうして彼女たちは、しょっちゅう、愕然とするほど難しい情報を僕の方へ投げつけ続けるのだろう? 僕は、単純なことしか求めない、単純な男なのに。僕の求める単純なことは、大半、ここにいる輝かしいほど美しくセクシーな妻たちによって満たされているのに。僕はそのようなことを伝えた後、こう言った。
「僕はディ・ディに出会った後は別の女性に目もくれたことがない。君は別だよ、ドニー。もちろん、君のことも見つめてきた。でも、他の女性にはまったく興味がないんだ。もっとセックスって、どうやって? セックスに関しては、いわば、最大値に達しているんだよ。さらにセックスって、僕のスケジュールにはそんな時間はないよ」
ディアドラも話しに加わってきた。
「アンドリュー? この話のセックスはセックスのためのセックスじゃないの。妊娠のためのセックスなの。私たちも誇りに思うのよ。あなたの能力を如実に証明することになると思うから。でも、ともかくダニーは子供が欲しいだけなの。私たちがあなたを他の女と共有するなんて、いちばんつらいのは私たちなのはあなたも分かるでしょう? でも、他に方法があるかしら? あなたのような男性を他に見つけるまでは、話しを持ちかけられる人は誰もいないんじゃない?」
ドニーは今にも笑い出しそうな顔をしていた。
「『あなたの能力を如実に証明』って。うふふ…。ディ・ディはダニーは妊娠したら私たちに嫉妬するようにさせたがっているようね。でもね、アンドリュー? たぶんダニーはあなたをひと目見た時から私たちに焼きもちを焼くと思うわ」
「でも…。だけど…」
こんなことに何と言ったらいいのだろう?
「…でも、僕は他の女性とセックスをしたくないんだよ。もう、世界中で最高レベルの性生活を送ってきているんだ。これ以上やっても、後は下方レベルへと降る方向しかないんだよ」
「でもアンドリュー? あなたは下の方へ降りるの大好きだと思っていたけど? 私たちの身体の…」
「ドニー、君は正直、この件を楽しんでいるんじゃないのか? 僕を身悶えさせて喜んでいるよ。どうやったら、こんなのうまく行くのかなあ? 場所はどこ? 僕は他の女とセックスする目的でどこかに出かけるなんてお断りだからね。本気だよ。ここでないなら、ここで君たち二人がそばにいないなら、絶対にお断りだ」
ああ、失敗した。言い方を間違えてしまった。僕の意に反して、ふたりは僕に同意させたのだった。「他に申し出があっても全部捨て去る」と言ったのもまずかった。
本当に、僕はこれっぽっちもこの件に興味がなかった。心の中のいちばん奥の秘密の部分にまで潜り込んでも、僕が他の女性について何かを思うなんてことはまったくないのに。毎日、1日につき2回セックスをしているのだ。しかも、その一回一回が極度に濃厚なヤツを。確かに休ませてもらっているときはある。周期が襲ってきて、ときどき頭痛になる時だ。でもその周期も頭痛も彼女たちの方じゃなく、僕の方なのである。それなのに、これ以上、何を求めると言うんだろう?